第2話 山姫と呪物 祭壇と山姫
禁忌の山域 飛鳥井久仁彦
広場から少し離れた場所へ入る。
木々が生い茂っているのもあってか、こちらは月の明かりが届きにくいみたいだ。
首から下げているライトの明かりを強くして、足元をしっかりと照らす。
そこかしこに枯れた葉っぱや枝が落ちているから、火種や薪を集めるのに苦労はなかった。
ホンの十分ほどで両手で抱えるほどの量を拾って、広場へと足を向ける。
三回ほど繰り返して十分な量の薪が集まった。
「ご苦労さま」
と師匠が労ってくれるのが地味に嬉しい。
その声を聞きながら、焚き火の準備を終えた。
「さて、久仁彦くん。今日の手順は覚えているかい?」
少しだけ逡巡して俺は大きく頷いた。
「いつもみたいに俺は隠形印を使って隠れているといいんですよね」
「これから呼び出すのは山姫って妖怪……半神半妖でね、男を見ると精気を吸いたがるから気をつけて」
精気を吸うって……エロい妖怪なのか。
でもこの手のタイプってだいたい男が死ぬまでやめないんだよな。
いわゆるサキュバスタイプだ。
えっちできれいなお姉さんならいいんだけどな。
ちなみに師匠はきれいなお姉さんだけど、エロくはないんだよね。
スタイルだって悪くないし、なんでだろうっていつも思う。
「別に構わないけど、久仁彦くん。キミは表情に出過ぎだ」
ううん。師匠の方を見すぎたのかもしれない。
ここは素直に謝っておこう。
「ごめんなさい」
そんな俺を見て師匠は苦笑いをうかべた。
「さっき渡したお水は残っているかい?」
「半分くらいあります」
「だったら清めておくといい」
そう言って師匠は懐から取り出した摩利支天の護符を俺のおでこに貼る。
摩利支天ってのは陽炎の神さまだ。
触れられず、見えないって性質から、忍者や修験道で信仰されている。
武士からも人気が高かった神さまだね。
「うっす!」
師匠が焚き火に火をつけて、注連縄で囲んだ結界の中に入っていく。
それを見ながら、俺は手と口を濯いだ。
大きく深呼吸を二度ほどしてから外縛印を結ぶ。
外縛印は恋人つなぎみたいに指を絡ませて、手を組むだけの基本的な印だ。
ただ右の親指が上にくるようにするんだけど、俺はこれが気持ち悪い。
自然に組んだら左の親指が上にくるからだ。
違和感がすごくて、収まりが悪いんだよね。
外縛印から両手の人差し指を伸ばして合わせる。
続いて中指も伸ばして人差し指に重ねるのだ。
これが大金剛輪印になる。
大金剛輪印を結んだ手は身体の中心からやや左寄り、心臓の位置で固定しておく。
「オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ」
摩利支天の真言を唱える。
本当は心臓からおでこ、おでこから左肩、左肩から右肩、右肩から頭って順で印を移動させるんだ。
それから印を隠形印に変えて、”オン・アビテ・ヤマリシ・ソワカ”と百八回唱えるのが正式な摩利支天の法になる。
ただ俺の場合は師匠のくれた護符の効果もあって、かなり簡略化しているんだよね。
百八回も正確に数えられんのよ、これが。
二十回くらいなら平気なんだけど、回数を重ねるとつい何回だっけってなる。
そうなったらもう集中が乱れて隠形ができないなるんだよね。
簡略版だと手の位置は固定、印も大金剛輪印のままでいい。
あとは摩利支天の真言を唱えているだけだからね。
難易度が桁違いに低い。
ということで俺には簡略版の摩利支天の法で精一杯だ。
ふ、と師匠の声が聞こえた。
師匠は朗々と祝詞を唱えている。
高くもなく低くもない。
だけど心地いい声だ。
おっと。
集中が切れそうになった。
気をつけなくちゃ。
しばらく師匠が祝詞を唱えていると、いつの間にか祭壇の向こう側に女性がいた。
平安時代の貴族が着ていた重そうな着物をきた女性だ。
顔は白くて、目が細く切れ長である。
鼻筋は通っているのに鼻そのものは小さい。
おちょぼ口なんだけど、唇の血色がやけにいいのが気になる。
そして髪が長い。
踵のあたりまであるんじゃないだろうか。
現代的な感覚で言えば美人ではない。
ただ楚々とした仕草やその姿は高貴さが滲んでいた。
しずしずと進んで祭壇の上にふわりと立つ。
周囲の音がすべて消えるような圧がかかる。
『喚ばれてきてみれば、これは懐かしいのう』
雑音まじりのラジオから聞こえてくるような声だと思う。
こういうのって大抵はヤバいヤツなんだよね。
扱いを間違うと、とんでもないことになる。
師匠が祝詞をやめて、スッと姿勢を正した。
「ご足労いただき恐縮です、山姫様」
『そなた……
「はい。先ずはこちらをお納めくださいませ」
酒器と徳利の載った三宝を師匠が前に出す。
『いただこう』
女性は祭壇の上で座り、三方から酒器と徳利を受け取った。
手酌で酒を注ぎ、上品な仕草で酒盃に口をつける。
その瞬間、女性の白目の部分が黒く染まった。
すべてを飲み込むような真っ黒な瞳だ。
『美味いのう』
血で濡れたような唇の赤さが増す。
焚き火に照らされて、より肌の白さが際立っている。
幻想的な雰囲気だけど、ただ美しいだけじゃない。
無理矢理に狂気を抑え込んでいるような、そんな雰囲気を感じる。
師匠が半神半妖とまでいうわけだ。
徳利の酒が尽きると、山姫は唇を三日月の形にして笑う。
邪悪、そんな言葉がピタリと当てはまるような笑顔だった。
『馳走になった。して此度は何用じゃ、巳輪の姫君よ』
その言葉に師匠はひとつ首肯した。
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