第20話 価値観の合わない二人

 放課後、いつものようにサッカー部での練習を終えた後の事。


「樋口、ちょっといいか?」


 俺は、樋口をコートの端にある用語倉庫前へと呼び出した。

 部員たちは既に片づけを済ませ、部室へ戻って行ってしまっている。

 他の部活も活動を終えており、今グラウンドにいるのは、俺と樋口の二人だけ。

 これなら、誰にも話を聞かれる心配はないだろう。

 だからこそ、話しずらい内容でも、心置きなく話すことが出来るというもの。


「それで、何の用かな?」


 樋口が、俺に向けて優しい表情で尋ねてくる。直球で樋口に向かって尋ねた。


「そりゃ、言われなくてもお前が一番分かってるんじゃねぇのか?」


 俺がそう言うと、樋口はふっと優しい笑みを浮かべたまま、視線を横に逸らした。


「古瀬から聞いたのか?」

「まあ大体はな」

「そうか……」


 もう逃げられないと察したのだろう、樋口はスっと視線を合わせてくる。


「それで、初木が俺に聞きたいのはなんだい?」


 樋口は顔もよければ性格も優しい。

 本来であれば、引く手あまたの存在だ。

 なのに、今まで色恋沙汰の話を聞いたことがない。

 となれば、導き出される答えは一つ。


「お前さ、本坂さんに夢持たせるぐらいなら、きっぱりと断ってあげろよ。そっちの方が、彼女のためになるだろ?」


 俺がそう言うと、樋口はどこか難しい顔を浮かべる。


「……やっぱり、初木は察しがいいね」


 諦めた様子で、樋口は肩を竦めた。


「古瀬のケアをしてくれたのは感謝するよ。ありがとう」

「ケアなんてしてねぇよ。ただ、お前の対応が気に食わなかったから、同調してやっただけだ」

「そういう素直じゃない所も、君らしい」


 やっぱり、樋口とプライベートで話すのはとてもイラついてくる。


「大体、お前が本坂さんの誘いをはぐらさなければ、こんなまどろっこしいことにはならなかっただろ」

「それに関しては、申し訳ないことをしたと思ってるよ」

「罪悪感あるなら、付き合ってあげれば良かったじゃねぇか」

「出来ないよ。君だって分かってるんだろ?」

「いーや、分からないね」

「分かるさ。だって俺は、君と思考が似ているからね」


 同族判定をされて、俺の怒りは最高潮に達する。


「はぁ? 俺とお前の思考が似てるだ? ふざけんな……! お前は根本的に勘違いしてる。お前は俺なんかと違って、自分の立場をもっとわきまえた方がいいんだよ」

「あぁ、分かってるさ。だから俺は、

「……⁉」


 樋口の強い意志を感じ取り、俺は思わず言葉を失ってしまう。


「俺は、誰かが傷つく姿を見たくないんだ。だから、誰とも付き合う気はないし、みんなで青春を楽しみたいんだ」

「……ふっ、そんなのただの偽善だろ」

「君は浜岸の件があって、敢えて孤立する道を選んだ。自分の青春を捨てででも」

「い、今は浜岸の件は関係ないだろ」

「あるさ……俺も君と同じ恋という点に関しては、青春を捨てた身だ」

「……」


 樋口の指摘は正しい。

 俺は浜岸の一件があって以降、自身の恋を諦めた。


「だから俺は、少しでも残りの青春を楽しみたい。君が捨てたものをね」


 そして、俺と樋口が決定的に違うのは、学園生活をどう過ごすかという点。

 俺は青春すべてを投げ捨て、樋口は恋だけを諦め、きらきらと輝く学校生活という名の青春だけは守ろうとしているのだ。

 だから、樋口は本坂さんに二人で遊ぼうと誘われた時、みんなで行った方が楽しいと、案の意味で結論を先延ばしにして避けたのである。

 全ては、楽しい学園生活を保つために。


 俺だって、それは痛いほど痛感してきている。

 告白して失敗してしまえば、今まで培ってきた関係性というのはすぐに破壊されてしまう。

 それを何度も経験してきたからこそ、樋口は全員との関係性を崩したくないのだ。


「確かに、お前の言う青春が理想なのかもしれないけど、全員仲良しこよしってわけにはいかねぇだろ。お前が自制できたとしても、周りは自分勝手に動くし、コントロールすることなんて出来ないじゃねーか」


 樋口界隈でざわつくことはないかもしれないけど、樋口の周りで色恋沙汰が発展してしまった場合、それを樋口が直接的に止めることは不可能。

 関係性は変化してしまうし、樋口の求める青春にもひびが入る。


「そこはまあ、俺が上手くやるさ」

「ふっ……ばかばかしい。そんな薄っぺらい関係なんて、何のためになるってんだよ」


 聞いているだけで呆れてきてしまい、俺は思わず、ニヒルな笑みをこぼしてしまう。

 それでも、樋口は真っ直ぐ真剣な眼差しを向けてくる。

 こいつはまだ信じてるんだ。

 自分が何とかすれば、どうにか関係性は保たれるものだと……。

 でもそんなもの、一瞬で崩れることを、俺は知っている。

 だからこそ、樋口が求めているモノを聞いて、憐れに思えてしまったのだ。


「まっ、お前の言い分は分かった。ただまあ、俺から言えることは、時には傷つける勇気も必要だって事だ。今のままだらだら本坂さんとの関係性を続けても、その先に彼女が望む未来がないなら、はっきり気持ちを伝えてあげることも、時には必要だと俺は思う。それだけ言っておく」


 言いたいことを言い終えると、樋口は柔らかい表情のまま頷いた。


「そうか……分かったよ。やっぱり、初木は芯があるな。そういう真っ直ぐぶつかってく所、尊敬するよ」

「んなことねぇ。俺もお前と同じで、現実に向き合うことの出来ないただの臆病者だよ」

「ほんと、初木は素直じゃないな」

「お前にだけは言われたくない」

「ははっ……そうかもしれないな」


 何がおかしいのか、樋口はくすくすと肩を揺らして笑っている。

 やっぱり、コイツとはどこで会ったとしても、価値観が合わないだろうなと思った。


 とそこで、視線を校門へと続く銀杏並木へと向けると、見覚えのある顔が二つ。


 前を早足で歩くのは、肩にかかるかるほどのショートボブを揺らし、短いスカートの裾をひらひらとさせながら歩く星川の姿。

 そして、その後を追うのは、黒縁眼鏡の星兄こと冬弥先輩だった。


 冬弥先輩が、何やら星川に話しかけている様子だが、当の本人は嫌そうな顔を浮かべて完全無視。

 逃げるように歩いている。


「星川のことが気になるのか?」


 俺が星川に視線を向けていると、樋口が尋ねてくる。


「いや別に……」

「気にしなくていいさ。放課後に二人で、よく漫画喫茶に行って遊んでるんだろ?」

「なっ⁉」


 信じられん。

 どうしてコイツにバレてるんだ⁉


「そんなに警戒しなくていいよ。たまたま見ちゃっただけだし、誰にも言わないから」


 樋口がそう言うので、俺は警戒心を解いた。

 こいつが口が堅い事だけは、誰よりも知っている。


「あれは星川のお兄さんだよ。元テニス部の。ほら、今日の昼休み、教室に殴り込みに来ただろ?」

「あぁ……そう言えばそうだったな」

「なぁ、初木」

「あ? なんだよ?」

「初木はもう少し、自分をもっと見つめ直した方がいいぞ」

「はぁ? どういうことだよ?」

「いや、分からないならいいさ。俺達もそろそろ部室に戻ろうか。下校時間が近づいてる」

「おう……」


 樋口に話をはぐらかされたような気がして、少々引っ掛かったものの、時間も迫っていたので、ここは大人しく、部室へと向かうことにした。



 ◇◇◇



 ピロン。


 部室で制服に着替えていると、俺のスマホにメッセージを知らせる通知が届く。

 通知を確認すると、星川からのメッセージだった。


『ごめん初木、急で悪いんだけど、今から時間取れる? ちょっと話したいことがあるんだけど』


 星川から送られてきた文面を見て、俺は少し嫌な予感がした。

 俺はしばらく、返答に悩んでから――


『分かった。いつもの場所でいいか?』


 と無難な返事を返した。


『おっけー。それじゃあ、いつもの場所で待ってる』

『OK』


 やり取りを終えて、スマホをポケットにしまい込み、俺はふぅっとため息を漏らしてしまう。

 先ほど見かけた光景から察するに、星川が放課後につるんでいる相手を、星兄が探り当てようとしているのではないかと……。


「……こりゃ、色々と覚悟が必要かもしれないな」


 こんなに気が重い約束は、今までなかった気がする。

 俺は重い脚を動かしながら、星川との待ち合わせ場所へと向かうのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る