第92話 やはりまだ怖いんじゃな

 師匠と暮らし始めてかなりの月日が流れた。人間であれば、小さな子供が社会人となるくらいの時間。けれど、私たち天狗は寿命が長く、見た目にそこまで大きな変化はない。かくいう私も、周りの人間からは十五歳ほどの少女に見えていることだろう。


「君のことは、おじいちゃんがお店を経営してた時から知ってるけど、全然見た目が変わらないね。どうして?」


「いやー。なんででしょうねー。あ、これ、今月の新作です」


「お。今月は明るめのパーカーか。ふむふむ。いい感じだね。今回も君が作ったのかい?」


「はい。まだまだ師匠には及びませんけど」


「いやいや。上出来だよ。さっそくお店に置かせてもらうね」


「ありがとうございます。ではまた」


 人間と関わるのにも慣れた。冗談を言ったり、相手をからかったりするくらいには。といっても、大勢の人間がいる所は苦手。なぜなら、思い出してしまうから。昔、大人の天狗たちや人間たちにののしられたことを。あんな経験、二度とごめんだ。


「師匠。ただいま帰りました」


「うむ。ご苦労。二代目店主の反応はどうじゃった?」


「よかったですよー」


「なら安心じゃの。さて、おぬし。ちょうどわしは手がすいておる。ここらで一局どうじゃ?」


「望むところです。今日こそ勝ちますよ」


「はっはっは。威勢がいいの」


 不意に始まる師匠との将棋。これも慣れたものだ。師匠と初めてあった頃は手も足も出なかったが、今は手くらい出るようになっている……はずだ。今まで一度だって勝てたことはないが。


 パチリパチリと優しく響く駒の音。何度も何度も耳にしてきた、けれど、全く飽きることのない音。私は、その心地よさに身をゆだねながら、ゆっくりと駒を進める。


「のう。おぬし」


 局面が中盤に差し掛かったあたりで、師匠が切り出した。


「どうしました?」


 盤上から顔を上げる私。目の前の師匠は、腕組みをしながらじっとこちらを見つめていた。


「昨日ふと気になったんじゃが、わしと暮らし始めてから、おぬしはわし以外の誰かに自分の正体を明かしたかの?」


 肩がビクリと吊り上がる。思わず、「え」という言葉が口から漏れる。まさか、突然そんなことを聞かれるなんて思ってもみなかった。心の奥底に閉じ込めていた昔の記憶が泡のように湧き出てくる。


「……いえ。明かしてません」


 絞り出した私の声を、師匠はどう受け取ったのだろうか。


「やはりまだ怖いんじゃな」


「……はい」


「昔も言ったが、人間との関わり方を決めるのはおぬし自身。じゃから、これはただの独り言として聞くがよい」


 視線を下に落とす師匠。流れるような手つきでぎんを手に取り、前進させる。師匠が放ったのは、将棋の基本戦術。ぎん飛車ひしゃの三枚で相手を攻める棒銀ぼうぎんという戦法。


「おぬしには、もう一人くらい、心を開ける者がいてもいいと思うんじゃがの」

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