第50話 ……ごめん

「……負け、ました」


 対局の終了を知らせる言葉。それを告げた僕は、女性に向かって小さく頭を下げます。その瞬間、体全体に押し寄せる疲労。きっと今、僕の顔には、疲れ切っただらしのない表情が浮かんでいることでしょう。


「ありがとうございました。いやー。最後、ハラハラしたよ。あんなかく捨てがあるなんてね」


「あはは……。けど、あれのせいで僕の王様が詰まされちゃいましたからね。悪手あくしゅでした」


 そう。僕の敗因は、王様を下段に落とすための角捨て。あの局面。本来、攻め駒の不足している女性は、どこかで駒を補充する手を指す必要があったのです。ですが、僕の指した悪手のせいで、その手間を省かせてしまいました。結果として、僕の王様が早く詰まされるに至ったというわけです。


「うーん。そりゃ、結論はそうかもだけど、ああいう手が指せるのはすごいと思ったよ。私じゃなかなか指せないからね」


「……ありがとうございます」


 女性は、励ましの言葉をかけてくれます。それにお礼を言いつつも、素直に喜べない自分がいました。


「さて、私は結果を本部に報告してくるね。対局、ありがとう」


「こちらこそ。次も頑張ってくださいね」


「もちろん。またどこかで対局しようね」


 ニヒヒと子供のような笑顔を浮かべながら、女性は席を立ちます。そして、軽い足取りで人や椅子の間をすり抜けながら、本部の方へ去ってしまいました。


 あとに残される僕とテンちゃん。気まずい雰囲気が流れます。


「えっと」


「…………」


「テンちゃん。あの……」


「……とりあえず、出よっか」


「……はい」


 ヨロヨロ立ち上がり、僕はテンちゃんの後ろについて歩き始めます。


 いつもよりもゆっくりと歩くテンちゃん。人混みの中を進んでいるというのもあるでしょうが、別の原因でそうなっていることは明白でした。


 そう。それはきっと、僕への呆れ。あれだけ特訓に付き合ったのに。そんな、諦めにも似た感情。


 この後すぐテンちゃんに謝ろう。胸にズキズキとした痛みを抱えながら、僕は重い足を引きずりました。


 会場を出ると、冷たい空気が肌を打ちました。人の圧迫感から解放され、頭が徐々にさえていくのを感じます。僕たちは、会場の入り口から少し離れたところにある大きなソファーに、横並びで腰を下ろしました。つい一時間ほど前まで受付が行われていたこのロビーに、人はほとんどいません。会場はそこに見えているのに、人々の喧騒はとても小さく聞こえました。まるで、もっと遠くに会場があるかのよう。


「…………」


「…………」


 お互い無言。先ほど、すぐテンちゃんに謝ることを決めたはず。それなのに、僕の口はなかなか動いてくれません。


 テンちゃんの顔色を窺いたくて、チラリと横に視線を向ける僕。そして、どうやらそれはテンちゃんも同じだったようです。突然ぶつかった視線に動揺し、僕は慌てて目を閉じました。


 ダメだ、こんなんじゃ。早く、テンちゃんに謝らないと。


 改めて決心し、目を開く僕。再びぶつかる視線。


 数秒の間。


「……ごめん」


 僕が告げるはずだったその言葉。ですが、それはなぜか、テンちゃんの口から告げられたのでした。

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