天狗少女は将棋好き
takemot
第0話 むかーし、むかし
僕の母は、夜に布団の中でお話をするのが好きでした。短い物語。今日あった不思議なこと。面白いテレビ番組。ジャンルなんて様々です。でも、とある話に関しては、何度も何度も聞かされました。それは、母の昔話。
「むかーし、むかし。お母さんは、ある天狗の女の子と出会いました。その子の名前は……」
「『テンちゃん』でしょ」
天狗の少女。名前はテンちゃん。本名というわけではなく、母が付けたニックネームだそうです。
「おー。よく答えられました。さすがは
「僕、もう8歳なんだよ。何回も聞いてる話、覚えてて当然だよ」
「そっかそっか。じゃあ、テンちゃんの好きなものは?」
「えっと……いなりずし」
これも以前聞いた話。いなりずしが好きなんて、変な天狗もいるものです。いや、別に、天狗について詳しいというわけではないのですが。
「正解。でも、他にも好きなものがあるのよ。食べ物以外で」
「食べ物以外で? うーん……」
「10、9、8、7」
母のカウントダウンはとても意地悪。明らかに時間の進みが早いのです。これに何度慌てさせられたことか。
「わー! お母さん、待ってよ!」
「6、5、4、3」
「えっと、えっと……」
「2、1、0。はい、時間切れー。残念でしたー」
ニヒヒと笑う母。その姿は、まるで悪魔。幻覚でしょうか。母の頭の上には、小さな二本の角がニョキリと顔を出しているように見えました。
「うう、分かんない。早く教えて」
僕は、母に縋りつきます。そんな僕を見て顔をほころばせながら、母は問題の答えを教えてくれました。
「正解は……将棋だよ」
「将棋!? 僕と同じだ! 僕も将棋大好き!」
思わず興奮してしまう僕。
僕が将棋を始めたのは小学校に入学してすぐのこと。きっかけは、たまたま見た日曜日の将棋トーナメント。最初は、何が行われているのかよく分かりませんでした。ですが、僕は見入ってしまったのです。小さな盤を挟んで戦う二人の棋士の真剣な表情に。きっと、体に電流が走るとはああいうことを言うのでしょう。気がつくと僕は、母に「将棋やってみたい」と告げていました。
「ふふ。テンちゃんは強いわよ。お母さんは全然勝てなかった」
「お母さん弱いもんね」
「グハッ。よ、容赦ないわね。我が息子ながら恐ろしいわ」
正直、母はとても弱いです。いや、訂正しましょう。とてつもなく弱いです。僕が将棋教室で覚えた戦法を指すと、母は手も足も出せずに負けてしまいます。加えて、駒の動かし方を間違えてしまうなんてこともしばしば。
「テンちゃんと将棋してみたいなー」
「いつかできるかもね」
「いつかって? 明日?」
「どうかなー? いつになるかはお母さんにも……ゴホッ! ゴホッ!」
突然苦しそうに咳き込む母。母は昔から持病持ちで、あまり体が強くありません。けれど、僕は知っています。母が僕のことを大切に思ってくれていることを。体に鞭打って毎日仕事を頑張ってくれていることを。僕に苦しい姿を見せまいとしてくれていることを。
だからこそ、僕は母のことが世界で一番大好きなのです。
「お母さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫。ちょっとむせただけだから。もう寝ましょうか」
「うん。おやすみなさい、お母さん」
「おやすみ、蒼空」
母が亡くなったのは、それから数年後。高校入試の合格発表が行われた日のことでした。
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