私の二つ目の心臓は止まっている

黒羽カラス

第1話 蘇る記憶

 自身の酒臭い息で目が覚めた。まばらに生えた顎髭を撫でながら横目をやるとカーテンが淡い光に包まれていた。

 午前六時前後を想像して煎餅布団から這い出し、床に丸まっていた褞袍どてらを拾い上げる。襟に付いた数本の白髪は指先で摘まみ、ゴミ箱に入れた。柔らかくて厚みのある敷布団のせいなのか。腰の部分に鈍痛を感じて適当に回した。

 温かい格好で窓寄りの炬燵こたつに入ると眼鏡を掛けた。愛用のノートパソコンを起動して次作の小説に関連する情報をネットで探す。該当する文章を見つけると丁寧に読み込み、関係する動画をじっくり観た。

 数時間を費やしたあと、一階で遅い朝食となった。定番のパンとゆで卵、紅茶で腹を満たす。歯磨きを終えると再びネットを彷徨さまよう。

 目薬を差す。必要な情報は全て手に入れた。記憶から抜け落ちそうな箇所はアプリのメモ帳に保存した。

 集中力が途切れて喉の渇きを意識した。億劫おっくうに思いながらも立ち上がり、のろのろと階段を降りる。踊り場の辺りで足を止めた。

 上がりかまちに座った母がしゃがれた声で喋っている。話し相手は死角で見えないが掠れた低い声は年配の男性を思わせた。

 私は身を潜めて会話の内容に耳を傾ける。母の話し相手は心臓の機能低下が原因で半年前にペースメーカー植え込み手術を受けたという。担当医から術後は日常生活を送れるようになると説明を受けていた。安心したのも束の間、次々に起こる不具合に怒りが収まらず、不満を言い立てる。熱心に聞いていた母は目に怒りを込めて、同意の言葉を軽く咳き込みながら返した。

 私は足音を忍ばせて二階へ引き返す。自室の座椅子に腰を下ろして炬燵の中で両脚を伸ばした。瞼を閉じて軽く息を吐く。胸中で真っ白に朽ちた記憶が形を成し、ゆっくりと色付いて疼痛とうつうのような刺激をもたらす。

 三十年以上、経過しても当時を思い出すと妙な気分になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る