第6章 女神の愛し子

第25話 未来からの来訪者と邪神復活

「もう! せっかく朝ご飯を用意したのに、無駄になっちゃったじゃない」

「ごめんな。でも、あのままあそこにいたら後宮に連れて行かれるところだったんだ」


 だが平謝りする俺に春香はジト目をして問い詰めてくる。


「後宮って、まさかメリアーナさんやアリシアさんみたいな女の子が沢山いるところじゃないでしょうね!?」

「後宮なんて言われてもわからん。俺はどちらの国にも行ったことないからな。日本だと平安時代とかだし、春香も想像つかないだろ?」


 そう言って肩をすくめた俺に、何故か春香は顔を赤くする。


「アキくん! 源氏物語を知らないの!?」

「はあ? そんな昔の物語を知るわけないだろ」

「それでしたら、資料にありました」


 右手に控えるアリシアが中空に少女漫画風のコミックを投影した。


「なんで漫画になってんだよ! 古文から変換したのか?」

「いえ。地球の出版物のありのままを記録しています」


 中空で高速に捲られていくページを見ながら、どんどんヤバいシーンに突入していく様子に慌ててアリシアに制止をかける。


「ストップ! もういい、わかった! てか、この話の流れだと主人公の母親に似た年上の女性や小さい子まで出てくるじゃねーか。冗談じゃねーぞ!」

「なかなか興味深いお話でした。アキト様がお望みでしたらヘイゼルリース様のように肉体年齢を操作して、幼い頃の姿で夜伽のお相手をすることもやぶさかではありませんわ」

「望んでねぇよ! 人を特殊性癖の持ち主にするな!」


 そう言って左手のメリアーナの方に振り返ると、参道の脇に植えられた紅葉や楓の紅葉が目に飛び込んできて、俺はふと我に帰った。


「いや待て。というか、なんでメリアーナにアリシアも神社の結界内に入れてるんだ? 春香の話では二人とも鳥居の結界に阻まれて、神社の敷地に入れないって話だったじゃないか」


 だからこそ最後の避難先として神社に転移したというのに、結界が機能していないのか?


「それは、僕が彼女たちの転移を許可したからだよ」


 突然降って湧いた声に後ろを振り向くと、そこには十歳やそこらの子供が悪戯っぽい笑みを浮かべて佇んでいた。日本人のような黒髪に翡翠の瞳という珍しい組み合わせだが、結界をどうこうできるということは神社の関係者なのだろうか。


「春香、こいつはお前の親戚か? 弟はいなかったよな」

「いないけど、おかしい。ものすごく近しい縁を感じるの……」


 困惑した表情を浮かべて左右に頭を振る春香に、俺は謎の少年に問いかける。


「お前は誰だ。春香の血縁には違いないようだが、なんの用だ。それにメリアーナやアリシアを結界内に入れるなんて、何を企んでいる」

「質問はひとつずつにしてよ。僕は晴翔はると。僕は単純に春香の中の女神様に会いに来たんだ。それと……」


 パチン!


「僕と一緒に来てもらうためにね」


 目の前の少年が指を鳴らすと春香がその場から消えた。


「なっ!? お前、春香をどこにやった!」

「心配しなくても、しばらく一緒にいてもらうだけさ。それまで、そこの二人に相手をしてもらえばいいでしょ? じゃあね!」


 そう言って目の前の少年は姿を消した。転移先を検知しようとしたが、まるで女神様が転移した時のように、痕跡が残っていない。


「一体どうなってるんだ……」


 突然の出来事に呆然と立ち尽くす俺の前に、予兆なく小さな子供が転移してくる。先ほどの子供と同じ年頃だろうか。金髪にアクアマリンの瞳をした少女の顔立ちは、どことなく幼い頃の春香に似ていた。

 少女はあたりを見回して最後に俺の様子を見ると、眉を寄せて呟いた。


「あちゃー、どうやら遅かったみたいね」

「君は誰だ?」

「晴翔の双子の姉、愛佳あいかだよ。初めまして、!」


 そう言って人懐っこい笑顔を向けてくる少女の言葉に、俺は思考を停止させた。


 ◇


 アキトが突然の少女の出現に泡を喰っている頃、春香を連れ去った少年は天元世界から遠く離れた世界線で会話を交わしていた。


「やっと会えて嬉しいよ、ママ!」


 十歳くらいの男の子に抱きつかれて困惑するが、血縁の親等を推し量れる春香はその言葉に嘘偽りがないことを直感的に理解できるので引き離すこともできず問いかける。


「晴翔くん。私がママってどういうこと?」


 しかしその問いに答えたのは晴翔ではなく、春香の内に宿る女神だった。


『未来の其方とアキトと間に生まれた子じゃ。より正確に言えば、妾の子でもある』

「ママ! 生まれたての僕たちを置いて天界に戻っちゃうなんて酷いよ!」


 女神の存在を感知してパッと笑顔になるが、すぐにその表情を曇らせて恨み言を吐く晴翔。聞けば、未来で双子が生まれた後に春香の内に宿る女神は天界に戻ってしまったという。それで、もう一人の母親である女神に会うために過去に転移してきたのだとか。

 春香が晴翔の事情を聞き終えると、女神は困りきった声音で嗜め始めた。


『其方がこの時代に来てしまったら、せっかく安定に向かおうとしている未来が揺らいでしまうではないか』

「でも、僕はママに会いたかったんだ!」

『其方の母なら春香がおるじゃろう』

「ママは、もう一人のママと違って永遠に生きられないでしょ。膨大なリソースを受け取った僕らにとっては、瞬きをする間だってママだってわかってるはずだ!」


 涙を流してしがみ付く晴翔に春香は困惑しながらも、目の前の男の子が母親を求めて必死に訴えかけていることは理解できた。


『其方こそ神格を持つ存在なら、わかっておるはずじゃ。後継を産んだ女神は天界に戻らねばならぬ定めを』

「うん。だからこうしてママをパパから遠ざけて、少しでもその時を遅らせようとしてるんじゃないか。ほんのちょっと、十年くらいなら大丈夫でしょ? その間のパパの相手は神社に置いてきたから大丈夫だよ!」

『それは……そう、なのかの? 春香』


 我が子の必死の訴えに女神も情に絆されたのか返答を春香に委ねてきたが、春香はそれに猛然と反対の意を唱える。


「大丈夫じゃありません! 十年もアキくんに会えない上に、その間の相手を置いてきたって、ひょっとしてメリアーナさんとアリシアさんのことですか? 絶対にダメです!」

『だそうじゃぞ。春香は他の女子おなごより早くアキトと交尾したくて仕方ないそうじゃ』

「ち、違います! いえ…違わないけど、違いますぅ!」


 支離滅裂な春香の返答だったが、神格を持つ晴翔は真意を正確に察して困った顔をする。


「もう、めんどくさいなぁ。あれだけ毎日してるんだから、ちょっとくらい遅れてもいいじゃないか。一人だと大変そうだからパパにも気を利かせて二人置いてきたのに……愛佳と一緒に気が付かない振りをするのも大変なんだよ?」

『これこれ。そういったことは其方らにはまだ早い。一億年くらいはのぞいてはいかんぞ。母との約束じゃ』

「うん! わかったよ、ママ!」


 二人の間で交わされる会話の内容に春香は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせたが、次の女神の言葉で冷静さを取り戻す。


『それはともかく、その愛佳も其方を追って過去に来てしもうたようじゃ……ん? 神社の結界が緩んでおるが、どういうことじゃ』

「パパの近くにいたお姉さんたちを入れるために少し緩めたんだよ」

『なんじゃと!? このたわけが! 封じておった邪神が復活しおった、すぐに戻るぞ!』


 女神が柏手を打つと、春香と晴翔は天元世界の社にある祭壇の前に転移していた。そこにはそれぞれ赤色と青色のオーラを纏った不浄の幽体が二体浮遊していた。


『これは尊様、そろそろ刑期が切れたのでしょうか。であれば、また科学文明の進歩に邁進して宇宙爆発の芸術をご覧にいれて見せましょう』

『何を言っているの? 進歩させるなら、やはり魔法文明に限るわ。全てが凍りついた宇宙こそが美の極致というものよ』


 それぞれ一歩もいかない様子の幽体に、春香の肉体を完全に掌握した女神が呆れた表情をして二つの幽体に再封印を言い渡す。


「何億年経過しても相変わらずじゃな。其方らが仲良くせぬから妾は宇宙の存続に苦労したというのにまったく反省しておらんのか。大人しく再封印されるがよい」

『これは無体な! 尊様のために精一杯努力した結果です!』

『またあんな退屈な場所に戻るのは御免だわ! 逃げるわよ!』

『逃すか! 来たれ、火のイグニスフィア、水のティアミューズ、風のヴォルティニア、土のグラテアージュ! 四神封神陣!』

『『ぎゃああああ!』』


 東西南北の四方に姿を現した始原の四姉妹による封印に、二体の幽体は再び祭壇の奥に吸い込まれていった。


「さすがママ! あんな強力な邪神を一発で封印しちゃうなんて凄いよ!」


 手放しで喜ぶ晴翔に、春香の表層に出ている女神が浮かない表情をして首を振った。


「いや。大部分は封じたが、意識体を切り離して遠い世界線に逃げおった。それぞれが得意とする文明が先鋭化した世界にな。妾はここで封印を維持しておるから、晴翔と愛佳はアキトと共に討伐してまいれ」

「ええ!? 僕、愛佳と違って戦うのは苦手なんだけど」

「其方たちがいないと邪神の転移を封じられないじゃろ。そうそう、これをアキトに渡してくれ。邪神を討伐するための草薙の剣じゃ。転移した世界座標はここじゃ」


 春香の右手に出現した異様な神力の籠った剣を受け取り邪神の居場所を確認すると、晴翔は渋々祭壇の間を後にしてアキトの元に向かう。その様子を見送っていた女神は、ポツリと独り言を漏らす。


「可愛い子には旅をさせよというが、この妾がママ…か。なんともくすぐったい響きよな」


 そう言って振り返ると、祭壇に飾られた神鏡には慈愛に満ちた微笑みを浮かべた女神本来の姿が映し出されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る