第4話
私は住み込みのメイドだ。屋敷に併設された少しリッチな小屋が私の住所である。
車を指定の場所に駐車し、そのまま小屋へ帰宅する。
「あああああぁぁぁぁ………」
小屋に着くなり、地の底を這うような深くて低い溜息を吐く。玄関に靴を脱ぎ捨て、固くなった首と肩をボキボキ鳴らす。脱いだメイド服は乱雑に洗濯機の中へ放り込み、下着の状態でベッドへダイブ。コンタクトを取ってメガネ女子と化する。顔中に塗り手繰られた厚化粧がべったりシーツに付着したが、また次の日に洗えばいい。仰向けになってスマホの電源ボタンを押す。
「よし、ツイッター、ツイッタ~♪」
先ずは、適当にインフルエンサーのツイッターを漁って今日一日に起きた出来事をリサーチする。著名人の炎上はメシウマだ。躊躇なく低評価を押して、一人晩酌。人の不幸を肴にして飲むお酒は格別だ。冷蔵庫の中からキンキンに冷えた缶ビール三本を取り出し、口の中に流し込む。喉をゴクゴク鳴らして、下品にゲップする。同時に腸内に溜まったガスが外へ出そうになるが、さすがに女として汚過ぎるので我慢する。
「さてさて、愚痴っていこう~」
一通り酒を飲んだあとは自分の裏垢を開いて、酔った勢いで愚痴る。アルコールに侵された脳は溜まっていた不満を爆発させる。勝手に指が動いて文字が埋まっていく——。
「宮下さんの夜のルーティンは最悪ですね」
「はひっ⁉」
ベッドにうつ伏せになって足をバタバタ。吞気に鼻歌を歌っていると、耳元で女の声が聞こえた。
「だ、だれ⁉」
「フフッ、ボクですよ、ボク」
持っていたスマホを枕に放り投げ、ベッドから転げ落ちる。ベッドの上にはなんと、メイド服を着たままの美々花がちょこんと行儀よく座っていた。
クソ。ドアの鍵を閉め忘れていた。
「ア、アンタ、お嬢様の世話は⁉」
「完了済みです」
「じゃあ、どうしてここに?」
「どうしてって、ボクも今日からここに住まわせてもらうからですよ」
「はいいいいいいいいい⁉」
満月の夜に私の叫び声が響き渡った。普通に近所迷惑だ。
「ど、どういうこと? 貴方、バイトだよね? バイトの子は住み込みできないよ」
「いえ、今日からバイトではなく正式なメイドとして働くことになりました。ちょうど見習い期間が終わったので」
「うちのメイドに見習い期間とかあんのかよ……」
驚きのあまりパンツにシミができる。「漏らしてますよ」と冷静に指摘してされたので、慌てて股の部分を両手で隠した。
「まさか、あの清潔感のある宮下さんがこんな怠惰で汚い夜を過ごしていたとは。ハッキリ言ってドン引きですね」
「あ、あははは……」
ホントは「うっさい!」と言いたい所だが、今の私とこの部屋を見たら誰もがドン引きするに決まってる。彼女の言っている事は毒舌ではなくただの正論だ。ぐうの音も出ない私は後頭部に手を当て、乾いた笑い声を上げる。
「ジー」
「な、なに?」
美々花はベッドから降り、私のスッピンを至近距離で凝視する。
「いや、なんかブサイクな宮下さんは新鮮だなと思いまして」
「平然とブサイク言うな。普通に傷つく」
化粧してないとシミや肌荒れがバレる。両手で顔を隠すが虚しく、美々花の辛辣な言葉によって精神的なダメージを受ける。もっとオブラートに包んで欲しかった。
美々花は不意にキョロキョロと辺りを見渡し、腕を組んで考える素振りを見せる。
「この散らかった部屋だとボクの寝る場所がありませんね」
「てか、マジで今日から住むの? お嬢様にちゃんと許可もらった?」
「はい。二つ返事でオーケーしてくれました。あの母親ヅラババアと仲良くやれよと」
「母親ヅラ? ババア⁉」
ボロカスにも程がある。過去に何か良からぬことでもしましたか。長年、お嬢様のご機嫌取りに徹していた私が馬鹿みたい。
自棄になった私は再び、ベッドにダイブしてスマホを弄り始める。
「開き直るのはいいんですが、早くこのゴミ屋敷をなんとかしたいです」
「ゴミ屋敷って言うほど散らかってないでしょ。一応、足の踏み場があるんだし、取り敢えずその辺で雑魚寝すれば?」
「対応が冷たいです」
「普段の貴方よりかはマジだと思うけど」
「ちっ」
棘のある口調が気に障ったのか、柳眉を逆立てて聞こえよがしに舌打ちされた。
「宮下さん、約束を新たに追加しましょう」
「は?」
「追加した約束を破れば、この自堕落な生活をお嬢様にチクります」
「なにバカなこと言ってんの⁉」
スマホから視線を外し、偉そうに腕を組む美々花の方へ向き直る。
「一日一回、おでこにキスして膝枕してください。そして、優しく頭を撫でて貰いたいです」
「真顔で何言ってんだ、コイツ……」
真顔は真顔でもどこかあどけなさを感じる表情。約束がどれもこれも子供みたいで思わず笑いそうになる。
「まず、服を着てください」
「イヤだって言ったら?」
「即チクります」
「へいへい」
彼女の指示通り、タンスにあった上下安っぽいジャージを着てベッドに座り直す。
「女の色気を感じさせない服装ですが今日のところはそれで許します」
「何様?」
謎の上から目線で私のジャージにジト目を向ける。
「では、失礼します」
「おおっ、いきなり⁉」
美々花は渋々といった感じで私の膝の上に頭を乗せてきた。
「デコにキスをお願いします」
「それは一日一回なのでは?」
「今日は初回限定で無制限となります」
「おい、勝手に決めんな」
美々花は前髪をかき上げ、静かに目を閉じて私のキスを待つ。
「——早く」
「わ、わかったよ‼」
モジモジしていると美々花が眉をピクピクさせて急かしてくる。
二回目とはいえ、一回目の時と同じように緊張する。ドクドクと動悸がうるさい。精神統一に時間がかかる。乾燥した唇を尖らせて、彼女のおでこへ接近する。
「ストップ」
「な、なに?」
「鼻息がうるさい。最初からやり直し」
「最初からってどこからよ……」
「文句言わない」
「ぐぬぬ……」
おでこに口付けする直前、生意気に苦情を言われた。おでこにキスするだけなのにこだわりが強い。
「お母さんっぽくお願いします」
「お母さん⁉」
「ボクを自分の娘だと思って」
「いや、無理があるって」
膝の上に仰向けになった美少年紛いの少女をどうやって自分の娘だと錯覚させるんだ。正直、この扇情的なシチュエーションに性的な興奮を覚えてしまう。自分の娘だと思い込む前にまず、相手が女性で未成年であることを自覚しないといけない。
「——ゴメン。キスは一日一回で勘弁して」
「はぁ、分かりました」
一回目はテンパ過ぎて欲情する暇もなかったが、今はどうしても下心が邪魔をする。透き通った心で挑まないとお母さんっぽくキスすることは難しい。今回は諦めさせてもらう。
「じゃあ、このまま頭ヨシヨシをお願いします」
「う、うん」
無機質な声音で「頭ヨシヨシ」は似合わない。普通ならここでギャップ萌えで悶え苦しむ場面のはずだが、今はそんな余裕はない。手汗をジャージの袖で拭き取ってサラサラの髪に触れる。
「もっと触って撫でてください。場所は頭辺りをわしゃわしゃと」
「は、はいよ」
彼女の細かい指示のもと、ぎこちない手つきで頭をわしゃわしゃする。良からぬことを考えないよう無心で挑む。
「気持ちいい?」
「はい、気持ちいいです」
拙い撫で方だが、美々花は満足そうに目を細める。ものの数秒で可愛いらしい寝息を立て始めた。
「猫みたい」
彼女の寝顔は年相応で幼く見えた。ふと昔、飼っていた猫の事を思い出し、自然に笑みが零れる。先ほどまでの緊張は解け、自然体で頭を撫で続ける。
「——ママ」
突然、ジャージの袖を引っ張り、寂しそうに寝言を言う。どうやら夢の中で私の手を母親の手と勘違いしているみたいだ。
「さて、これはどうしたもんかね……」
退かそうにも退かせないこの状況。ベッドに転がりたいのは山々だが、彼女の睡眠を邪魔してはいけない。
私は仕方なく、膝枕した状態で眠りにつく。
このまま姿勢だと、きっと起きる頃には全身の筋肉が痺れて激しい痛みに襲われるだろう。考えるだけで涙が出てくる。
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