第256話 衝撃的な悪の天才



 マリラード宮殿。


 ロザムール家の富の象徴と言われる、この世界屈指の宮殿の威容を言葉で表すのは難しい。


 数字をあげられるものを思いつくままに列挙すると、迎賓館を合わせた居室数は二千二百室にものぼり、他にも五千人以上が収容できる饗応室、百五十台の馬車が停められるガレージに四百頭の馬が飼育できる厩、八百点以上のシャンデリア、六面のプールなどがある。


 浴室だけでも三百室というこのマリラード宮殿の延べ床面積は60万㎡で、日本で一般的な田の字型の3LDKマンションが75㎡だとすると、その八千倍の規模となる。 


 ちなみにここは皇帝の正式な住居兼仕事場ではあるが、万が一ここオリンパスが戦場になった際に皇帝が入り、指揮を執るオリンパス城はまた別にある。


 流石は全ての富と権力が皇帝に集中するロザムール帝国という、恐るべき威容と言えるだろう。



「まったく。ただでさえ各国要人が集結して世界中の耳目がここオリンパスに集まっておるというのに……碌に送り迎えアテンドもできんとは、無能にも程があるぞ、アリーチェ! なぜ商業区になど行ったのだ! そなたを指名した父上の顔に泥を塗りおって」


 皇帝の執務室である玉座ぎょくざの間に呼ばれ、馳せ参じたアリーチェとグラフィアに対し、長兄のギライはそのように面罵めんばした。


 むろんアレンが送迎の途中に迷子になった事を指している。


 想定外の展開である事に加え、ユグリア王国が積極的に喧伝したことにより事態が想像以上に各国の耳目を集め、すでにギライには制御不能な状況にまで事態が広がってしまっている。


 すべてをアリーチェに押し付けて、まずは自分をこの騒動から切り離すことが重要だとギライは考えている。


 ギライの後ろには要人達がずらりと控えており、すでにギライに都合のいいように歪められた内容で根回しは終わっているのか、そのどの目にも二人に対する非難の色が浮かんでいる。


 アリーチェは唇を噛んだ。


 そもそもの始まりは、警備のために動線を管理しているはずの貴族区で賊に襲撃されたことにあり、その賊を用意したのは目の前にいるギライに違いないのだ。


 だがもちろんそれがギライによるものだという証拠はない。


 そして何より、アレンが行方不明になったのは商業区へ移動してからの出来事であり、賊の襲撃とは直接的には関係がない。


 ギライが管轄していたはずの区域の警備の不備を指摘する事は出来るが、その点を突かれたら反論は苦しいものになるだろう。


 無言でアリーチェを見ている父、皇帝ラウールは結果で黙らせろという方針の人で、理屈をこねて言い訳をするのを嫌う。


 そもそも、わざわざこの場で釈明しなくても貴族区内で起きた出来事くらいの事は、目の前の父は把握しているだろう。


「申し訳ありません、ギライお兄様。アレン様にはお兄様の用意してくださったは、退屈だったようですわ。帝位争いはガイドブックには載っていなかった、そんな事よりも商業区を観光したいとおっしゃりまして」


 アリーチェが少々演技がかった口上でそのようにやり返すと、玉座の間はざわつき、ギライはその口元から余裕の笑みを消した。


「何の話かな……?」


 ギライが感情の籠らない目でそう言うと、アリーチェは王座の間に響き渡るほど大きなため息をついた。


「……不毛な言い争いをするつもりはございません。ですのでこれは独り言ですが……暗殺などはしょせん弱者が考えること。本気で帝位を目指す私はもっと民がついてくるやり方で、堂々と正面から己の力を示します」


 王座の間のざわめきが大きくなる。


 これまでアリーチェは、形式的には帝位争いの外にいた。


 十五歳でオリンパス魔法学院を卒業して成人するまでは継承権が無いためなのだが、この春に晴れて継承権を得ている。


 正式に敵対するのか軍門に降るのか、それとも態度を保留するのか、その言わば試金石の場で、アリーチェはギライに、そして居並ぶ候補者に真っ向から挑戦状を叩きつけたと言えるだろう。


「ぷっ! よく言った、リーチェ。確かに小物臭えネズミがこそこそ動き回ってやがったが、あいつにゃまるで相手にされてなかったぞ? 沢山隠れてるまぬけ共は警備の人ですか、なんて笑顔で手まで振られてな。ユグリア王国が広めてこれだけ噂になってんだ、各国のゲストはもちろん帝国の小物がコケにされた事を知ってるだろうよ。うすみっともねぇ」


 後ろに控えていたグラフィアはそんな独り言で追い打ちをかけた。


「なっ! 第一皇子であるギライ様になんたる無礼な! 何か皇子が卑怯な手を使ったという証拠でもあるのか!? いくらそなたでも許されぬぞ、グラフィア・インディーナ!」


「ふんっ。誰の事とは言ってねぇだろ? もちろんギライ第一皇子様は、帝国の恥を晒したあの中途半端どもとは無関係だ。そうだろう」


「……何の話かさっぱり分からんな」


 ギライは怒気を発しながら、ゆっくりと首を横に振り、玉座の間は静まった。


 そこでこれまで玉座で行儀悪く足を組み、肘をついて成り行きを見守っていた皇帝が口を開いた。


 すでに歳は五十も半ばのはずだが、その見た目は四十歳でも通じそうなほど若々しく、生気に溢れている。


「くくっ。やつは強そうだったか、リーチェ」


 この国の皇帝が問う『強そうか』という尺度には、あらゆる意味が包含されている。


 アリーチェはアレンの印象をその脳裏に思い浮かべた。


 そしてあの毒気のない田舎の少年のような男の子が、がらりと雰囲気を切り替えた瞬間を思い出し、その背をぶるりと震わせた。


 死の淵に佇む死神のような感情のない眼――そして滲むゆるぎない覚悟。


「……えぇ。震えるほどに――」


 そう言って楽しそうに笑ったアリーチェをみて、皇帝もまたにやりと笑い、玉座の脇の階段を上がっていった。



 ◆



「まだ見つからんのか! この無能どもが!」


 居並ぶ重鎮の前でアリーチェにこけにされたギライは、自室で側近達に当たり散らしていた。


「も、申し訳ございません。目撃情報は多数集まっています。むしろ不自然なほどに商業区のいたるところで目撃されており、果ては一般居住区にいたなどという情報もあり、真偽の確認に時間を要して――」


 ギライは手元の本を側近に投げつけた。


「何としても誰よりも先に見つけ出して、この私の前へと連れてこい! どいつもこいつもこの私を愚弄しおって~」


 他の陣営はもちろん、各国の諜報員まで血眼になって捜索を開始しているこの状況で、人知れずアレン・ロヴェーヌを拉致し、宮殿内に連れてくることなど不可能だ。


 出来ぬ注文を繰り返すギライに側近たちはひたすら謝り、罵倒され続けた。



 ◆



「ここだ……なぁ俺らはここまででいいか?」


 せっかくなのでこの帝都の貧民街スラムを見て回り、王都との違いを感じようとポロ君とリゲル君に案内を頼んだのだが、二人は即座に断ってきた。


 何やらこの帝都のスラムは、ここ数年は『悪童』と『怪童』と呼ばれる二人組が取り仕切っており、その二人に話を通さずよそ者を案内などできないという話だ。


 法の及ばないスラムには、スラムなりの秩序がある。


 俺は別に正義の味方ではないし、他国のスラムの秩序にまで干渉するつもりはさらさらない。


 それなら単に観光したいだけで迷惑を掛けるつもりはないと、予め話を通したほうがいいだろう。


「まだだめです。大金貨一枚分は働いてもらわないと。ね、俺の財布をすろうとしたポロ君?」


 俺がそう言ってにこやかに肩を組むと、ポロ君は半べそになった。


「こ、この二人は本当にヤベェんだって! あんたが強いのは何となく分かるが、好奇心は猫を殺す。死にたくねぇだろ?!」


 隣からそう必死に説得してくるリゲル君が、何度も聞いたこの二人がいかにやばいかの説明を再度してくる。


 道々聞いたところによると、その悪童と怪童という二人はとんでもない悪党とのことだ。


 腕っぷしのほうも尋常ではないが、いったいどれほどの悪事を働いたら手にできるのか見当もつかないほどの途轍もない資金力があり、怪しい薬の販売だの、人身売買だの黒い噂は枚挙に暇がない。


 さらには何やら怪しげな団体が背後にいるとさえいわれている。


 もっともスラムの末端であるポロ君とリゲル君は、その二人のことを直接は知らないらしい。


「はいはい、それは怖いですねー。挨拶したら帰りましょうねー」


 正直俺はこの二人のいう事を全く信頼していなかった。


 これまでも散々、どこそこのスラムの誰それはホント〜にヤバいっ! などと聞かされてきたが、蓋を開けてみればどいつもこいつも名前負けの見かけ倒しばかりだったからだ。


 考えてみれば当然で、腕っぷしが金になるこの世界で、実力がある人間がスラムで子供を相手にいきがる必要などどこにもないからだ。


 中でも群れを組む奴は、まず間違いなく大した事がない。大体は子供のまとめ役は単なるスケープゴートで、裏に悪い大人がいるパターンが多い。


 それもスラムの子供を使う奴など三流四流以下で、高が知れている。


 王都のスラムで名前を売っていて、一番マシだったのが下品なデブベンザという体たらくだ。


 そんな俺に何を期待しろという話だ。


 もし存在するのなら、人を惹きつける魅惑があるような、本物の大悪党に会ってみたくすらある。


 だから俺は本当に、全く期待していなかった。


 こんな所で本物の『悪のカリスマ』に出会うなどとは、微塵も――



 ◆



「キャティ! あのユグリア王国のマッドドッグ狂犬が会いに来たって本当か!」


「殴り込みか!?」


「サイン貰ってくれ!」


何処からともなくわらわらと集まってきて、そんな事を言う幹部達を、部屋の最奥に座るまだ十三歳の少年は一喝した。


「サインだぁ……? この大馬鹿どもが!」


彼の背後には、アレンがベンザに全てを押し付けてバックれている間にユグリア王国のアウトロー少年たちの間で大流行し、他国にまで輸出されている『マッドドッグ』のポスターが貼られている。


そこに描かれたアレンの出立ちはベンザ他、彼を慕う人間によって魔王のようにデフォルメされ、『衝撃的な悪の天才』だの、『悪の聖典』だの、『漢道おとこどう』だのといった、赤面もののキャッチコピーが付けられている。



「……本物のファンは握手一択なんだよ」


うっとりとポスターを撫でながらそう静かに悪童が告げると、皆は一斉に手を洗いに走った。




 ◆ 後書き ◆



 いつもお読みいただきありがとうございます!


 今月はコミックス一巻の作業のため田辺先生の漫画の更新がお休みでしたので、私が書き下ろしましたSSを掲載いただいています!


 アレンが寝台列車にテンションを上げる漫画の描写がとてもアレンらしくていいなと思いましたので、逆輸入させて頂きました!


 田辺先生が挿絵も付けてくださっていますので、ぜひご一読ください┏︎○︎ペコッ


 そして書籍三巻ですが、いよいよ今週末の五月十日発売です!


 前回告知した通り、購入特典の情報も出揃っておりますので、何卒よろしくお願いいたします┏︎○︎ペコッ


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