第254話 迷子



「さて、これぐらい歩けば視察の既成事実としては十分でしょうし、そろそろ戻りましょう。ギライお兄様も流石に同じ手が通じるとは思っていないでしょうし、通行量の多い第四門から貴族区へと入れば安全に――」


 いかにも市民の憩いの場、といった様相の、だだっ広いだけでさして面白みもない公園をぶらぶらと歩いた所で、アリーチェさんがそんな事を言い出したので、俺は慌てて口を挟んだ。


「ちょ、ちょっと待ってください。せっかくなのでこの商業区にあるというカルドバの巨人階段と、ディオスの泉も見学していいですか? 帝都に来たらこの二つは必ず押さえるべきだとガイドブックに書いてありました! あ、そうだ! その後せっかくなので、エイブラムス百貨店にも立ち寄って、お土産を買いましょう」


 巨人階段と呼ばれる過去の著名な築城家の手によって設計された、一段の高さが一メートルもある有名な階段、歴史のある大型魔道具仕掛けの噴水が設置されている泉、そして帝都一の商業規模を誇るエイブラムス百貨店は、いずれも帝都の観光ガイドブックには必ず記載されている、超有名な観光スポットだ。


 帝都に滞在できる期間は限られているし、時間を有効に使わねば。


 俺がそのように前向きな提案をすると、グラフィアさんが呆れたような顔を俺に向けた。


「観光だぁ? ただでさえこの昇竜杯の時期は人が多いのに、何が悲しくってあんなゴミゴミしてる、庶民どもが集まる場所に行かなきゃなんねぇんだ。そもそもてめぇ、ついさっき殺されかけたのをもう忘れやがったのか? そんな人でごった返してて死角の多い場所に、よく出かける気になりやがるな」


「ええ観光です。俺はこの国に観光に来たんですから。まぁ雑踏の歩き方は師匠に鍛えられたので、多分大丈夫ですよ。コツは全員敵だと思って歩く事です」


 俺は師匠デューの事を念頭にそう言ったのだが、何を勘違いしたのかアリーチェさんはこんな事を言った。


「流石はかの『常在戦場』に鍛えられただけはありますね……。あと一歩で命を失いかねない先程の状況すら日常の一部、という事ですか。ですが……やはり危険すぎます。巻き込んでしまったこちらが言うのもなんですが、私にはお二人を無事迎賓館まで送り届ける義務があります」


 ……何が常在戦場だ。まさかうちの家庭教師の名が敵国のお姫様にまで伝わっているとはな……。


 だが参ったな。


 アリーチェさんの目には、絶対にこのラインは譲らないとの、強い決意が宿っている。説得するのは骨が折れそうだ。


 だがもちろん俺も譲れない。


 ……俺は別に死ぬのが怖くない訳ではない。むしろ誰よりも恐れているだろう。


 だから行くのだ。


 死の間際になって、あの時前世のように後悔しない為に。


 俺が不満げな顔でどうやって説得しようかと考えていると、アリーチェさんはさらに言葉を重ねた。


「この昇竜杯に訪れた国外の学生を暗殺などもってのほか、というのが私の正直な気持ちです。もしそのような事になれば、帝国の誇りも求心力も地の底にまで落ちるでしょう。ギライお兄様が動いた以上、お二人……とくにアレン様には出来れば昇竜杯観戦時以外の外出を控えて頂きたいところです」


 ほう、そちらの身勝手な都合で命が危ないから、ずっと宿に篭ってろだと?


 これはこのまま迎賓館に到着すると、なんやかんやと理由をつけられて軟禁状態になりますよと警告してくれてるのか?


 思わずそう勘違いしそうになる程、俺にとっては有りえない提案だ。


「…………せ、せめて貴族区の内部であれば、比較的警備計画を立てやすいです。一般人は見る事が出来ないのでガイドブックには乗りませんが、貴族区にはより貴重な建築物も沢山有ります。そちらであれば少し時間を貰えれば、然るべき警護体制を整えて視察して頂けるよう手配します」


 俺が薄く笑みをたたえて、嫌も応もなく黙っていると、アリーチェさんは対案を出してきた。


 だがそういう問題じゃない。


 俺は別に凄い建築物が見たい訳でもない。


 あの見た目ばかり美しくて人が暮らしている気配の希薄な貴族区になど、すでに何の興味も持てない。


 観光地を巡る事を通じて、この国で生きてきた人達が紡いできた歴史を、今生きている人々の日々の暮らしぶりを肌で感じたいのだ。


「ふんっ。中々豪胆じゃねえか。だがお忍びの変装をしていないリーチェを連れて、商業区を自由に歩くのは流石に無理だ。すぐに大騒ぎになって、観光どころじゃなくなる」


「……うーん、ま、仮団員のアレンはともかく、僕は一応伝令の任務中だしね。残念だけど、報告を済ませてから仕切り直しかな」


 そんな風にして三人から、遠回しに取り止めるよう説得される。


 俺は笑顔を貼り付けた。


「分かりました……皆さんにも立場があるので仕方がないですね! では行きましょうか」


 まぁそれぞれに立場があるのは理解できる。


 ならば皆の顔を立てつつ、俺は俺のやりたいようにやらせてもらおう。



 ◆



 自分が巻き込んだせいで命を狙われたと説明した時ですら、まるで怒っているようには見えなかった少年は、観光はできないと言った途端に雰囲気を一変させた。


 別に怒気を滲ませている訳ではない。


 むしろ感情の色は薄くなっていったのだが、アリーチェは背中にはっきりと汗が伝うのを感じていた。


 いつかグラフィアが、アレンと対峙した際、その覚悟の差で負けて足がすくんで動けなかったと、涙ながらに語った時の言葉が脳裏をよぎる。


 観光以外にも何か狙いが……? いえ、この商業区に来たのは偶然なのだから、狙いなどある筈が――


「分かりました……皆さんには立場があるので仕方がないですね! では行きましょうか」


 アレンが気配を緩めた事で、アリーチェはほっと安堵の息を吐いた。


「……理解していただき感謝します。では参りましょうか」


 四人は再び貴族区へ向かって歩き始めた。


 アレンは一言も口を利かず、だが顔だけは笑顔で三人の後ろを歩いている。


 正体不明の重い沈黙が四人を包む中、先程からこちらの様子を伺っていた、この商業区ではあまり見ない、身なりの見窄らしい二人の青年の一人が、ハンチング帽を目深に被って近づいて来た。


 もちろんここにいる四名は、その分かりやすく不穏な気配には特に視線をやらずとも気がついているだろう。


 おそらくはスリの類かと思われるが、何と間の悪い……。


 アリーチェが舌打ちしたい気持ちを押さえながら、チラリと隣のグラフィアへと目をやると、グラフィアはこくりと小さく頷いた。


「あっ! 王様カマキリだぁ!」


 だがそこでアレンは、間の抜けた声を出しながらふらふらと進路から外れて三人から離れて行った。


 この場の誰よりも索敵魔法に通じているはずのアレンの、まるで無防備な姿に三人が一瞬固まる。


 それを見て狙いをアレンに定めた青年は、後ろから距離を詰めてどんとぶつかり、『危ねぇな……フラフラすんな!』と怒鳴った。


「あ、どうもすみません」


 まだ十代と思われる青年は、僅かにニヤリと笑ってから『気をつけろ!』と怒鳴った後、早足に立ち去ろうとする。


 一瞬意味がわからず固まったグラフィアだったが、すぐに我に返った。


「……おい、そこのお前! ちょっと待――」


「アブなーいっ!」


 だがグラフィアが青年を静止しようと一歩踏み出した瞬間、アレンはオールブラックスも真っ青の渾身のタックルでグラフィアを押し倒した。


「ななな、何してるんだテメェ!」


 反射的に拘束を逃れようと暴れるグラフィアを、アレンは縦四方固めの要領で押さえ込む。


「落ち着いてください! あいつの袂からはナイフかなにかを忍ばせてる音がします! また刺客の類で、何かの誘いかもしれません!」


「おおお、落ち着くのはテメェだ! この私があんなドカスのナイフにやられる訳ないだろうが!」


「油断大敵ですよ、グラフィアさん! さっき殺されかけた事を忘れたんですか!?」


 いきなり公衆の面前でんずほぐれつの高度な寝技の応酬を始めた二人に、アリーチェは顔をぴくぴくと引き攣らせた。


「は、白昼堂々あなたたち二人は一体何をして……いえ、それよりもアレン様、何か貴重品など取られていないのですか?」


 アレンはスリが角を曲がって見えなくなるまでグラフィアと熱い攻防を繰り広げた後、ふと我に返ったように呟いた。


「…………あれ、ナゼか兄貴に貰った大切な財布がない……」


 ちなみにアレンは、兄のお下がりの擦り切れた財布を未だに使用している。


 アリーチェと顔を真っ赤にしたグラフィアは、意味が分からな過ぎて口をパクパクした。


「……あのコソ泥め! 取り返したらすぐに戻ります。立場のある皆さんは先に帰ってくださいっ!」


 止める間も無く勢いよく走り出したアレンに、ジャスティンは両手を上げて降参のポーズを取りながら声を張り上げた。


「……そこまでやるんだね……。道に迷わないように気をつけてねアレン!」


 アレンは振り返らずに親指を立ててそれに答えた。


「方向音痴なので、迷子にならないように気を付けます!」



「……あーあ。これはデューさんに怒られるなぁ」


 そう言って頭を掻くジャスティンの横で、アリーチェとグラフィアはまだ口をパクパクとしていた。



 ◆



「という顛末です。これほど強引な手を使うからには、アレンには何か狙いがあるのでしょう。リスクを取ってでも成し遂げなければならない何かが」


 ジャスティンの報告を受けて、パトリックはランディに目をやった。


「心当たりはありません。この時期に騎士団から密偵まがいの任務を与えるなど、リスクが大きすぎます。むしろ、もし一言相談を受けていたなら断固として止めたでしょう」


 ランディがそう言って首を振ると、パトリックはため息をついた。


「だろうの。帝位争いの暗殺未遂からの流れで、どう見ても突発的な行動にしか思えん。……迷子の学生で押し通す。それが一番リスクが低いか。……それにしても呆れるほどに働くのう。全盛期のゴドルフェンじいを彷彿とさせよるわ」


「まったく、もっと自分を大切にしなさいと説諭するつもりだったのに、顔を見せる前にいなくなられたのでは説教する事もできん……困ったやつだ」


「私の監督不行届で申し訳ありません」


 そう頭を下げるジャスティンに、パトリックは首を振った。


「マッドドッグとは言い得て妙だの。あやつを鎖に繋いでおくのはデューにも無理なのだ。……捜索部隊などを動かせば、どんな言いがかりを付けられるか分からん。ジャスティンは単独で迷子の捜索をせよ。……アレンが迷子になった事は各国に大々的に喧伝し、耳目を集めよ。各国が注目して見ていると印象づけ、帝国の動きを封じる」


「「はっ!」」

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