第239話 遺跡(1)



「間に合わない、か。……二人は真っ直ぐに進んで下さい」


 アレンは静かな、だが揺るぎない声でそう呟いて、いきなり走る速度を緩めた。


「な、何をしとるボン! 走れ!」


 ディオは瞬時には何が起こったのか分からず、振り返ってアレンに再度全力で走るよう促した。


 ただでさえ間に合うかどうか……いや、タイミング的にはかなり厳しいのだ。


 ここで足を緩めたら――


 ディオの心に強烈に嫌な予感が走る。


「振り返るなディオ。俺は……必ず生きて帰る!」


 アレンは決意を固めた顔で……絶望感など微塵も感じさせない精悍な顔で、そうはっきりと宣言した。


「な、何を言って――」


 諦めるはずがない……あのセシリア様のお子であるボンが……セシリア様に育てられたボンが、生きる事を諦めるはずが!


 だがディオの嫌な予感は、次の瞬間現実となる。


 アレンはいきなり進路を九十度曲げ、地底湖に向かって走り出した。


 この状況でそうする理由など、一つしか考えられないだろう。


 自分が犠牲になることで、ディオとイグニスを確実に生かそうとしている――


 ディオの脳内にセシリアの顔が掠め、様々な想いが一瞬のうちに心中を交錯し、思わずその足を緩めそうになったところで、イグニスがディオの背をバンと叩いた。


「馬鹿野郎! レンの覚悟を無駄にするな!」


 その声には怒気が、激怒とも言えるほどの深い怒りが込められている。


 勿論そのイグニスの怒りは、ディオに向けられている訳ではない。


 自分は生かされようとしている。


 ほんのつい先程出会ったばかりの、妙に愛嬌のある顔で『弟子にしてほしい』、などといきなり頼んできた十三歳の少年の、信じ難いほどの覚悟によって――


 そして、狂乱状態にある敵が、強烈な憎悪をアレンに向けている以上、その役目を今更替わることすら出来ない。


 恐らくアレンが生かしたいのはディオであり、自分はついでだろう。


 であればその気持ちを汲んでやるのが、自分にできる最低限の役目だ。


 自分に選べる選択肢がそれしかないという現実に、強く強く奥歯を噛みしめる。


 イグニスの口元から、一筋の血が溢れた。



 隣の自分でさえも背が震える程の憎悪を、真っ直ぐにアレンへと向けていたシュタインベルグは、アレンが進路を変えた事で魔法の軌道をずらした。


 途轍もない轟音が坑内に響き、直撃していないにも関わらずイグニスとディオは吹き飛ばされるようにして出口へと転がり込んだ。


 大魔法の衝撃で坑内が崩れ始め、巨大な岩がエリア81への出入り口を塞いでいく。


 二人が振り返ると、アレンもまた衝撃波により地底湖の方まで吹き飛ばされている。


「ボン…………ボーーーーーーーンッ!!!!!!」


 声の限りに叫び声を上げ、今まさに塞がれようとしている出入り口から坑内に戻ろうとするディオを、イグニスが後ろから羽交締めにして必死に引き留める。


 ここが塞がれてしまったら、アレンの生還はほぼ不可能と言えるだろう。


 ディオとイグニスが、そしてその後ろではサトワとパーリが、絶望的な表情でアレンへと目をやる。


 アレンは魔法の余波で吹き飛ばされながらも何とか体勢を整え、一瞬目を伏せた後、おもむろに顔を上げた。


 そして――


 二人の無事を確認したアレンは、こちらを気遣うような顔からにこりと微笑んで、暗い地の底で重く冷たい水を湛える地底湖へと消えていった。



 ◆



 崩れた岩がエリア81への出入り口を塞ぐ。


 余りに急で、余りに無情な展開に、誰一人として言葉がない。


 ややあって、サトワが悲痛な声でポツリと呟き、拳を固く握る。


「あの笑顔は……最後まで我々の事を慮っていたのでしょうね…………『狂犬』などとうそぶいて……いつもああして損な役回りを……」



「…………わしは……あのお方の光を……一体何と言えば……」


 ディオが膝をつき声にならない慟哭を漏らし始める。


 ディオの震える背を暫し見ていたイグニスは、仁王立ちで固く目を瞑った後、感情のない声を出した。


「……ここも、もういつ崩れてもおかしくない。……ディオ」


 それでもディオが立ち上がれずにいると、パーリは槍の石突で地をドンと叩いた。


 ディオを除く全員が、ゆっくりとパーリを見る。


「…………あいつの目は最後まで死んでいなかった。あいつは……あいつはどんな事があっても……誰もが無理だと思うような絶望的な状況でも、活路を求めて足掻き抜く男だ! あいつは決して諦めない! 俺はその事を知っている! たとえどんなに小さな可能性でも……ゼロじゃない限り、俺もあいつの生を諦めない!」



 膝をつき俯いていたディオがゆっくりと振り返る。


 あの閉ざされた空間に、狂乱状態のシュタインベルグ達と閉じ込められたのだ。


 そして道具も何もない今、一朝一夕でここを再開通出来ない事は、誰の目にも明らかだ。


 どれほど絶望的な状況かは、パーリももちろん理解しているだろう。


 だがパーリは心の芯からアレンの生存を信じているかの如く、その目に強い確信を宿している。


 その目を見て、ディオは強く槍を握り込み立ち上がった。


「ボンはあの時……わしに言った。『必ず生きて帰る』と……」



 普段は気のいい公務員のような温和な雰囲気を醸し出しているサトワが、厳しい表情で低く宣言する。


「ここを再開通するには道具も人手も足りません。一旦帰還して、あらゆる方面に支援要請を出します。……何としても救い出しましょう」


 ディオが、イグニスが、パーリが。そしてこの場に残っている探索者や石工全員が力強く応えた。


 諦めない。可能性が『ゼロ』になるまでは――



 ◆



 地底湖の横穴に何とかよじ登った俺は、数匹のシュタインフロッシュを蹴散らしながら奥へと真っ直ぐに走った。


 それほど広い横穴ではないのであの巨大ガエルはここには入って来られないと思われるが、水位が戻ると入り口付近は水中に沈むだろう。


 百メートル近く横穴を進んだ軌道レール上にそれはあった。


 長期間この地底湖の水に晒されて腐食が進んでいるが、おそらくは旧時代のトロッコ。


 そしてそのトロッコには金属製の人の頭のようなものが接続されている。


 構造の複雑さからしても、この頭部がただの装飾品という事はないだろう。


「一種の魔導人形ゴーレム……か。フェイが見たら喜びそうだな」


 などと呟きながら、俺もまた密かにテンションを上げていた。


 ドラグーン家の失われた宝具の一つ、ゴーレム。長年探し求められ、だが誰も発見できなかった旧時代の遺物ロマンの塊が目の前にあるのだ。


 こんな状況でなければ大興奮していただろう。



 あの瞬間とき――


 俺は風魔法でこいつの存在を捉えていた。


 腐食の進んだレールらしき物の存在を捉えた時はまだ確信が持てなかったが、明らかに人工構造物であるこれを風魔法で捉えた時に確信した。


 最近発見された地下空洞であるエリア81は、いにしえの時代に別の場所から掘り進められた、採掘現場だったのだろう。


 その採掘現場が閉じられた後、長い年月が経過するうちに地下水脈の流れなどが変わり、水を湛えたのがあのエリア81にあった地底湖という訳だ。


 説明のつかない自然の神秘というものもあるので、当初は特に気に留めなかったが、今にして思うとあんなに硬い岩盤層の只中に地下空洞がある、というのは明らかに不自然だしな。


 そしてその遺跡にゴーレムがある。


 という事は、少なくとも建国の英雄、ムーン・ドラグーンが生きた時代以前の遺跡だろう。


 ムーン・ドラグーンは、ゴーレムを始めとした現在から見ても原理すら不明の魔道具をいくつも実現していたにもかかわらず、その技術のほとんどを後世に伝える事なく亡くなった事で有名だからな。


 探索者活動をする時に常備している折り畳み式の小さな魔道ランプを灯し、朽ち果てたゴーレムを改めてよく見る。


 すると頭部とトロッコの部分を接続している、先端部が尖った細い棒のようなものが、銀白色に輝いている事に気がついた。


 恐らくこの部分だけは、腐食に強い合金で出来ているのだろう。


「……頑丈そうだな。矢の残数も少ないし、貰っていくか」


 この先がどうなっているか分からないが、壁を掘ったりするのに使えるかもしれない。


 足元にはすでに水が流れ込み、急激に水位が上がり始めている。


 そしてあのデカブツが俺を探して暴れているのか、坑道内はときおりズンッと音を立て揺れている。


 俺はやけに重量感のある棒を手早く回収し、意味ありげにニヤリと笑った後、鼻をぴくぴくと動かした。


「匂うな……ぷんぷんとお宝の匂いが――」


 浮かれてなどいない。

 断じて浮かれてなどいないが、俺は自分を鼓舞するためにその様に呟いて、魔道ランプを消して風を頼りに横穴を奥へと進んだ。





 ◆◇◆◇◆ 後書き ◆◇◆◇◆


 新年明けましておめでとうございます。


 今年も宜しくお願いします!

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