第192話 到着(3)



アレン・ロヴェーヌの母親とおぼしき人物が、ランディ・フォン・ドスペリオルを兄と呼んだ。



駅前広場は騒然としている。


誰もがセシリアの挙動に釘付けになっている中、ゴドルフェンが悠然と前に出る。


どうみても機嫌の良さそうな好好爺の顔だが、どこか戦場のような緊迫感を滲ませている。



ゴドルフェンは真っ直ぐにゾルドの元へと歩き、朗らかに右手を差し出した。


「ふぉっふぉっふぉっ。お会いできて光栄ですじゃ、ゾルド・バインフォース殿。わしは王立学園で理事を勤めております、ゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュというものです。

以後お見知り置きを」


野次馬たちに再びざわり、と声が広がる。



「ゾルド・バインフォース……? 誰だ?」


「ばか! あのアレン・ロヴェーヌを育て上げたという、王国一の呼び声も高い家庭教師だよ!」


「あれが『常在戦場』か……思ったよりも普通だな」


「不合格ラインからたった3ヶ月でアレン・ロヴェーヌの学科試験成績をAにまで引き上げて、不正無しで4科目不正判定を叩き出したという、伝説の家庭教師……」


ゾルドはにこやかに右手を差し出しこれに応えた。


ロヴェーヌ家の子供達を2代にわたって育て上げ、最後には悲願である王立学園合格をアレンが成し遂げた事で、近頃の彼は憑き物が落ちた様に穏やかになっている。


暫く家庭教師としての出番は無さそうなので、現在はロヴェーヌ家の執事に専念している。


アレン覚醒後の2ヶ月半、常軌を逸した最後の追い込みにとことん付き合い、そしてやり遂げたという経験も、ゴドルフェンを前にして気後れしない要因だろう。



「ゾルド・バインフォースです。

……坊ちゃまの担任を務めておられる、ゴドルフェン様ですな。

私のような卑賤の身に親しくご挨拶いただき、恐悦の至りです。

王都より舞い込むぼっちゃまの噂を聞くたびに、良き先生に巡り会えた事を喜んでおりました。どうぞぼっちゃまの事を、これからもよろしくお導きくださりますよう、お願い致します」


ゾルドがそう言って深く美しいお辞儀をすると、ゴドルフェンはゆっくりと首を振った。


「わしの力など大したことはありませんのう。全ては彼の『心』を育て上げた、ゾルド氏の教えの賜物です。

……単刀直入に申し上げる。どうかゾルド氏の人を育てる特別な力を、経験を、この国のために振るっては貰えませんかな?」



ゴドルフェンがこの様にどストレートにスカウトすると、後ろで話を聞いてたデューが耳の穴を穿りながら割り込んだ。


「……おいおい、正気か翁? 翁ならみりゃ大体わかんだろ、そのインチキ家庭教師とやらの実力がよ。身の丈に合わねぇ立場を与えても、誰も得しねぇぞ?」


ゴドルフェンはすぐさま額に青筋を立て、強烈な殺気をデューに向けて放った。


「「ひぃっ!!」」


周囲の野次馬から悲鳴が漏れる。


「……ほぅ? わしが心の師と仰ぐゾルド氏に対して、その様な舐めた口をきくとは……貴様、随分と偉くなったもんじゃのう?」


だが隣に立つゾルドが、すぐさま穏やかな顔でゴドルフェンを宥めた。 



「いいのですよ、ゴドルフェン様。

何やら誤解があるようですが、彼の言う通り、私に特別な力など無いのですから。全てはぼっちゃま自身が成し遂げた事。この老兵は、ほんの少しだけそのお手伝いをしたにすぎません」


……あの殺気を放つ翁を、涼しい顔で宥めるのか……。


ダンテは、にこにこと笑うゾルドを観察しながら心の中で唸った。


いわゆる強者特有の気配は感じないが、間違いなく只の老人ではない。



一体にロヴェーヌ家で暮らす者は、ずば抜けて殺気に対する耐性が高い。


もちろんそれは、ベルウッドがその辺で町娘に鼻の下を伸ばすたびに、セシリアが超弩級の殺気を放っている場面に頻繁に立ち会っているからだ。



「ほれ、本人も認めてんじゃねーか!

やっぱりあの入学試験の学科は不正って事だ! てことはあの賭けは無効だ無効!」


デューが血走った目でこのように賭けの結果の訂正を主張すると、ゾルドの目からストンと色が消えた。


「…………それは……どういう意味ですかな?」


顔は笑っているが、目が完全に据わっている。


先程までの温和な雰囲気は綺麗さっぱりなくなり、周囲にただならぬ気配が立ち込める。


「い、いや、今更払えとはいわねぇから、せめて無効に――」


ゾルドはその目を見据えたまま、ゆっくりとデューの元へと歩みより、同じセリフを繰り返した。


「……先程の言葉は、どういう意味ですかな? この老兵の耳には、あたかもぼっちゃまが受験で不正をしたかの如く断定した様に聞こえましたが。

…………?」


すでにゾルドの顔から笑みは消えている。


成り行きを見守っていたダンテが、慌てて間に入る。


「お、落ち着いて下さいゾルドさん。今のはデューさんのタチの悪い冗談です。アレン君の学力に間違いがない事は、入学後に王立学園教師陣によって太鼓判を押されていますし、デューさんもアレン君の実力は認めています。ほらデューさんも謝って」


だがゾルドは尚もデューの目を、息のかかるほどの至近距離できっかりと見据えている。


高圧的、と言うわけではない。

その表情は、本当にどういう意味かを聞かせてほしい、とでも言いたげなのだが、その目が据わっているのだ。



暫く睨み合った後、デューはため息をついて降参のポーズをとった。


「ちっ! ……わあったよ、悪かった、俺の負けだ。俺とあんたじゃ喧嘩にならねぇ事くらい分かってんだろうが!

こんなくだらねぇやり取りで死を覚悟するんじゃねぇ!

とんでもねぇじじいだな……」


デューがうんざりとした顔でそう言うと、ゾルドはけろりと空気を緩め、ニコニコと相好を崩した。


「おぉ! デュー様といえば、ぼっちゃまが無理を押して弟子入りさせて貰ったと言うお方ですな。良き師に巡り会えた事を、僭越ながらこのゾルド、遠きロヴェーヌ領より心から喜んでおりました。これからもぼっちゃまの事を、どうぞ宜しくお導きくださりますようお願い致します」


ゾルドはデューに向かって深く美しいお辞儀をした。


「ふぉっふぉっふぉっ! デューよ、まだまだケツが青いのう。してゾルド氏はいつまで王都に?」


ゴドルフェンは楽しくて仕方がない、というふうに笑いゾルドと談笑し始めた。



「…………で、あんたはどこにいくつもりだい、ベルウッドや」


どさくさに紛れて雑踏に紛れ込もうとしているベルウッドを、メリアが呼び止める。


「…………やややっ! 奇遇ですな、お館様。いらっしゃったのですか。さっぱり気がつきませんでしたわい」


メリアは天を仰いだ。


「到着して5分で、どれだけ王都に話題を振り撒く気だい……。誰かこやつらに、普通に到着するやり方を教えてやってくれんかえ」





ロヴェーヌ夫妻が『常在戦場』を伴って、王都に上ったという噂は、瞬く間に王都を駆け巡った。


そして明かされた、アレンの母がドスペリオル宗家の出身であるという事実が、世に与えた衝撃。


本来ならば、星の数ほどの面会希望者が王都のロヴェーヌ別邸に押し寄せるはずであったが、各貴族家や王都の有力者たちは、ごく一部を除いてロヴェーヌ家から一様に距離を置いた。


びびったのである。


アレンの母であるセシリアは、いくら兄妹とはいえ、近衛軍団の軍団長、ランディ・フォン・ドスペリオルにアイアン・クローをかまして泣かし、『常在戦場』ゾルド・バインフォースは、挨拶前に舐めた口をきいたデュー・オーヴェル第3軍団長を詰めて謝罪させた。


そして当主であるベルウッドは、そんなやり取りなどどこ吹く風、あろう事か居並ぶ重鎮も眼前の出来事も何もかも無視して、雑踏に消え去ろうとした。



正気の沙汰とは思えない――



この冗談のような到着時のエピソードを聞いて、誰もがこの家に安易に取り入ろうとするのは自殺行為だと認識した。



アレン・ロヴェーヌはこの出来事を、翌日学園で友人達にこう釈明したらしい。



今あの家にいる人間で、常識が通じるのは俺だけ――

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