第181話 チャロック湿原


 現場であるヤブレ男爵領チャロック湿原は、南側に広々とした瓢箪型の湖を湛える湿原で、どこかうら寂しい雰囲気が漂っている。


 万が一の事故に備え、松明の使用を控え、魔導ランプの光も最低限に絞られている。


 その湿原から北側の丘陵地帯にかけ、びっしりとあたりを透明感のある卵が埋め尽くしている。


 大人の一抱えもありそうな卵をよく見ると、中には成人男性の人差し指ほどもありそうな、シワの刻まれた繭の様な物が100程びっしりと詰まっており、ギョロギョロと動く2つの赤黒い目が薄気味悪く光っている。



 新たな魔法士と魔道具類を載せた輸送車両は、現場へと到着した。


 関係者以外が現場に近づけないよう、そして孵化後の殲滅戦に備え、軍による厳しい規制線が十重二十重とえはたえに引かれている現場に到着すると、一人の年若い男がヒューゴを指差しながら近づいてきた。


「あー! 戻ってきた!

 また勝手に居なくなって!

 司令官が何も言わずに行方をくらますのは止めて下さいと、いったい何度言えば分かるのですか!」


「がはははは!

 相変わらず細けぇな、いいじゃねぇか別に。俺がここに居ても今できる事はねぇ。

 それにお前なら俺がどこに何をしに行ったかなんて、いちいち説明しなくても大体察しがつくだろう、ラヴェル。

 時間の有効活用だ」


 ヒューゴは悪びれる様子もなくカラカラと笑った。


「細かいとは何ですか細かいとは!

 私は指揮官が連絡もなく行方をくらまさないでくださいと当たり前の事を言っているのです!

 きっちりしていないと気持ち悪い性分なんです! 適当にやりたいならわざわざ私を副官につけずとも、もっと適当な性格の人材を選べばいいでしょう?!」


「やだよ。

 副官がテキトーな奴だと俺がしっかりしなきゃいけねぇじゃねぇか」


 ヒューゴは何を言ってるんだと言うふうに居直った。


「別にどちらかが適当である必要はないのですから、ヒューゴ軍団長もしっかりして下さいよ!

 あなたあの『狂猛暴虐』シェルブル・モンステルの副官をしていた時は有能な事務官だったのでしょう!

 あなたにしか務まらなかったと聞いていますよ?

 副官の苦労が分からないとは言わせません!」


 突如出てきたアウトローのカリスマ、現探索者協会会長シェルの名前に、今し方到着した探索者達は耳を立てた。


 ある意味では探索者のキャリアを極めたとも言える、一星勲章シングルの称号を持つ生ける伝説。


 孤児の境遇から叩き上げられた会長のシェルが、一時期王国騎士団に所属し、最終的には第一軍団の軍団長を務めていたサクセスストーリーは有名な話だが、その活動内容と、どの様に内部で評価されていたかを聞く機会など滅多にない。


 在任中は文字通り桁違いの数の魔物を狩り、王国の懸案事項だった個有名持ちネームドの魔物を何体も討伐したという噂は聞いているが……


 探索者達は、誇らしいような面はゆいような気持ちで聞き耳を立てた。



 それまではいはいとラヴェルの諫言を聞き流していたヒューゴは、シェルの名を聞いて嫌そうに顔を顰めた。


「何が『狂猛暴虐』だ……かっこよく言うな……

 あの人が第一軍団身内から何て呼ばれていたか……『杜撰脱漏ずさんだつろうのシェル』だぞ?

 準備も備えも嫌いとか意味不明な事を言って、無思慮無計画無遠慮にいきなり目的地を変更したりするんだ……恐怖しかないぞ?!

 碌に暑さ対策すらせずにジゴ砂漠のジャイアントワーム討伐作戦に出発して、あのオヤジはその辺のサボテン食ってピンピンしてたが、危うく王国騎士団の分隊が遭難して全滅する所だったんだ!

 しかもその始末書を俺が書くんだぞ?! 毎回毎回それらしい理屈を捻り出すのにどれだけ苦労したか……

 俺は水を持たずに任務に出発したことはねぇだろう、ありがたく思え」


 聞き耳を立てていた探索者達はずっこけた。


 クラス委員長と子供から聞いていたのに、参観日に行ってみたらどう見てもクラスの問題児だった。


 カプリーヌは真面目な顔で首を傾げた。


「……そのような杜撰な人物が由緒ある王国騎士団で軍団長を務めるなど、あり得ないと思うのですが……」


 ヒューゴはため息をついた。


「……あの人の在任期間中、王国全土の魔物災害発生率は目に見えて低かった。

 腕っぷしの方も頭抜けていたが、明らかにそれだけじゃ説明できねぇ『勘の良さ』みたいなものが、確かにあった。

 おまけにその無茶苦茶に振り回されて、第一軍団の実力は劇的に伸びたしな。

 あの人が率いた隊の団員の損耗率は当初酷いものになるが、時間が経つにつれ従来より逆に低下した。

 そこを上から評価されたんだろうよ」


「成程……常人には理解の及ばない方ですが……人を育てる意識の強い方なのですね。ヒューゴ軍団長が副官に抜擢され、今軍団長を務めていることから鑑みて人物眼も確かなのでしょう」


「んなかっこいいもんじゃねぇよ。

 あの人は一見考え無しに見えて、実は深い考えがありそうな雰囲気を醸し出しているが、その実はただの考え無しだ。

 勘だけで生きてるような人だからな」


 ヒューゴがそう断言するとカプリーヌは可笑しそうに笑って副官のラヴェルを見た。


「ふふっ、ではそう言う事にしておきましょう。

 あなたもこちらに引き抜かれて、線の細さが消えて随分と近衛軍団にいた頃よりも逞しく見えますよ、ヒューゴさんに抜擢されたラヴェルさん?」


 今度は副官のラヴェルが嫌そうに顔を顰めた。


「……ヒューゴ軍団長は僕をオモチャにしているだけですよ、全く。

 ところでわざわざ出迎えに行ったってことは、すでに現場の状況と作戦については説明済みですね?

 現時点で処理が終わっていない卵の数から予想される、ヘルロウキャストの数はおおよそで4千万匹以上。過去の例を見ても最大規模の異常発生です。

 孵化後に繁殖を繰り返され増殖が抑えきれなかった場合、大陸を覆う未曾有の大災害となるでしょう。

 孵化は恐らく3日後の朝。即ち後2日と少ししか時間がありません。

 南の湖畔側が卵の生育状況が進んでいますので、少しでも孵化を遅らせるためにそちら側から卵を処理していきます」


 カプリーヌは頷いた。


「聞いています。

 増援の魔法士チームはとにかく数を減らす事に注力します。到着した魔道具は我々が見落とした卵の処理に。

 運が良ければ孵化を1日遅らせる事ができるかもしれませんね」


 ちなみに、王都及びドスペリオル領から運び込まれた魔道具は、杖などの氷属性持ちの魔法士しか使えないものではなく、内部に蓄えられた魔力を利用して動くため、使用者を選ばず誰でも利用できる。


 ただし充電チャージは氷属性持ちの人間にしか出来ないため、この状況下では使い捨てに近い。


 魔道具に込める魔力があるなら、魔法士が自ら凍らせた方が効率がいいからだ。



 ヒューゴは一つ頷いて顔から笑みを消し、よく響く声で号令した。


「これよりヤブレ男爵領ヘルロウキャスト殲滅作戦は第二段階に移行する!

 この大陸に王国の底力を示す!

 気合い入れていくぞ!!!」


「「応っ!」」



 ◆



 アルが愛用の杖を卵に差し向ける。


 プニプニとした質感の透明な卵が白く凍りつき、中で蠢く無数の目が動きを止め、目から光が落ちる。


 中の状態を確認した補助要員が、大人の一抱えもある卵を慎重に密集域から運び出し、大振りのハンマーで念入りに叩き潰す。


 凍らされ、休眠状態に入ったヘルロウキャストは容易には休眠から覚めない事が知られ、安全に卵を処理できることが確認されている唯一の方法だ。


 凍らせる前に動かしたり、物理的な衝撃を与えると一斉に孵化して歯止めが掛からなくなる場合がある。


 強引に処理しようとして孵化を早め、大蝗害の引き金を引いた事例は歴史上枚挙に暇がない。



 一つの卵を補助要員が潰す間に、アルは3つ卵を凍らせる。


 次々に凍らせていく卵を3人つけられた補助員が入れ替わり立ち替わり潰していく。



 深夜0時から開始された卵の処理作業は、慎重に、だが粛々と進められていった。



 ◆



「まだやってたのか……

 騎士団でも上位の魔力量を誇るカプリーヌのやつもさっきぶっ倒れるように休憩に入ったぞ。

 魔力は大丈夫なのか?」


 翌日の正午も近いと言う時間になって、ヒューゴが近づいてきて苦笑しながらアルに声をかけた。


「ええ。あと2、3時間したら休憩に入ろうと思います」


 ヒューゴは手元の懐中時計を見て目を細めた。


「約5秒に一つ。

 正直言ってペースは他の探索者連中と比べても大したことねぇから、移動疲れか期待はずれかと思ったが……

 とんでもねぇ魔力量をしてるな」


 アルは首を振った。


「魔力量、というよりも、技術面に近いかもしれません。

 本当はもう少しペースを上げたいのですが、魔法の行使の合間の移動中などに魔力を圧縮して貯め戻しながら作業をしているので、これ以上ペースを上げられないんです」


 ヒューゴは目を丸くした。


「魔力圧縮だと……?

 お前その歳で、この極度な緊張を伴う作業の合間に移動しながら魔力を圧縮してるのか?」


 アルはあっさりと頷いた。


「えぇ。

 ですが俺なんてまだまだです。アレンは、走りながら地面から足が離れている間に魔力圧縮する、なんて言っていますからね。

 俺は毎朝坂道部を通じて鍛錬していますが、まだゆっくり歩きながら、少しずつ貯め戻すのがやっとです」


「ぷっ! がははは!

 何て非常識な奴らだ。

 確かにこの状況下では物凄く価値のある技術だが……

 そうそうそこまでスタミナ偏重で伸ばして役にたつ機会なんて無いだろう。

 一体何時間継戦する想定で、そんな地味な基礎鍛錬をしてんだ?

 その他にも強さに直結する、伸ばしたくなる技術は山ほどあるだろうに。

 そりゃアレン・ロヴェーヌ監督の指示か? それともゴドルフェン翁の差金か?」


 ヒューゴは興味深そうにアルへと問いかけた。


「う〜ん、ゴドルフェン先生はあまり活動内容に口を出してはいませんね。

 アレンも監督ですが、俺たちに特に指示を出したりはしません。その有用性を見せられて、皆が自発的に取り組んでいます。が……上手く誘導されているかもしれません。

 何せ考えが読めないやつで」


 アルがポリポリと頭を描くと、ヒューゴはニヤリと笑い、補助要員3名に休憩を取るように促した。


「邪魔しちまったな。ここからは俺が補助に入るから、お前は凍らせる作業に戻ってくれ」


 そう言ってヒューゴは無造作に卵を運び出し、ハンマーを振り下ろした。


『あっ!』と見ていた補助員は声を上げたが、ペシャンコに潰された卵は『ギギッ』と小さな断末魔の様な音を発して沈黙した。


「心配すんな、ちゃんと見えてるさ。

 お前らはラヴェルの指示に従って、別の現場の補助に入れ」


 ヒューゴがそう言って、次の卵にハンマーを無造作に振り下ろしたのを見て、アルは再び卵に集中した。



 杖を卵に差し向け、白く凍らせる。


 それをヒューゴが運び出して潰す。


 たまに他愛もない会話を挟みながら、作業を2時間半ほど黙々と繰り返し、流石のアルにも疲れが見えてきたころに、副官のラヴェルがヒューゴを呼びに来た。


「お疲れさん。

 お前も一旦休憩しろ。魔力制御が甘くなっている。いくら頑張っても事故を起こしたら目も当てられんからな」


 任務開始から14時間半。


 アルは万に近い卵を凍らせて、仮眠に就いた。



 ◆



「深夜からこの時間までぶっ通しですか……

 彼をどう見ました、ヒューゴ軍団長」


 ヒューゴは目を細め、アルが魔力圧縮をしながら作業していた事を説明した。


「あとはそうだな……

 下げる温度を制御する技術が他の魔法士と比較して群を抜いている。

 通常は水を凍らせる事で鍛錬するのだろうが、あいつは凍らせた後の奥行きが広い。

 だからヘルロウキャストが休眠する温度を見極めて、無駄がねぇ。

『型』にはめたように同じ出力で魔法を行使できるように作業化している。

 それとあいつの持っている杖。地元特産のマイナーな素材で造られた物らしいが、あの歳にしては異常に手に馴染んでいるな。

 聞けば魔力器官が発達する遥か前の幼児の頃から、おもちゃがわりに握らされていたらしい。

 中々値の張る業物だと思うが、才能があるかどうかも分からん子供に思い切った事をしたもんだ。

 気性もいいし、基礎魔力量も高そうだ。2年後には騎士団の各軍団で取り合いになんだろう。唾つけておけよ」


 ラヴェルは意外そうに目を見開いた。


「へぇ。

 たかが学生をそこまで褒めるとは意外ですね。私には魔法士の実力をヒューゴ軍団長ほど見極める眼力は有りませんが、それほどすごいのですか?」


 ヒューゴはすぐさま頷いた。


「あぁ、凄い。

 生来の才能も大したもんだが、奴の魔法を見ていると、地味で辛くて成果の見えにくい基礎鍛錬に、どれだけ時間を割いて真剣に取り組んでいるかが分かる。

 現時点で俺が騎士団採用試験のポテンシャル評価でランクを付けるなら……B+ってところかな」


 ヒューゴは目を細めてそう言った。


「……B+ですか。

 十分採用ラインに到達していますが……何か気になる点でも?」


「う〜ん……まぁ歳を考えると気になるってほどじゃねぇがなぁ」


 ヒューゴはポリポリと頭を掻き、眼光を鋭くした。


「アレン・ロヴェーヌに依存しすぎている。だからどうしても、実力に比して精神的な甘えが感じられる。

 これから先、あいつが高い壁に阻まれた時にどう向き合って、乗り越えるのか弾き返されるのか……その時に真価が問われんだろうよ。

 まぁまだ13歳だ。本人も何となく自分の甘さを認識して、もがいている様子だし、基礎は異常にしっかり作られているからな。

 土台が広くてしっかりしてるほど、高く物を積み上げられるもんさ。

 ……シェルさんの受け売りだがな」


「……何だかんだ、『狂猛暴虐』を尊敬してるんじゃないですか?

『杜撰脱漏』まで真似しなくてもいいのに……」



 ヒューゴはないないと手を振って『全体の進捗を』とラヴェルに報告を求めた。


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