第179話 輸送任務(6)



 ラベルディンを出てさらに1日。



 船はルーン川河口を経て海へと進み、大陸に沿う形で北上している。



 最終的には大陸から東に張り出したクルージュ半島を回り込む必要がある為、本来であれば進路を北東に取るべきなのだが、グラバーさんは進路を真北に取った。


 理由は2つあるようで、1つは先発している第一陣の輸送船がガレー船で、外海を航行する仕様になっていない事。


 外海をショートカットして、間違ってこれを追い越してしまった場合、時間的なロスが大きい。


 魔鳥による連絡も自由自在と言うわけではないし、先発隊は俺たちが王都を出るよりも前に出発したそうなので、事前に停泊港を決めておらず、非常に連絡が取りづらい。


 もう一つは、ダンが穏やかな海を睨みながら、『少々荒れそうな気がする……』などと占い師のような事を言いだしたからだ。


 明確な根拠は説明できないらしく、また外れる可能性もあるとの事だが、毎日海を見て育ったダンの険しい目をじっと覗きこんでいたグラバーさんは、最短距離の北東方向ではなく、大陸に沿って真北へ進むと決断を下した。


 ダンの占いのみが根拠なのではなく、元よりこの季節は急に風が北寄りから南寄りに変わって嵐になる事がたまにあり、外海をショートカットするべきか悩んでいたとの事だ。


 こうして万が一海が荒れた時、陸へとすぐに逃げ込めるギリギリの位置を進むこととなった。



 そうして進む事さらに9時間ほど。



 ダンの予想通り、いきなり風向きが変わって波風が強まってきたかなと思うと、あっという間に驟雨しゅううとなり冷たい雨が海面を叩き始めた。



「どうしますか、グラバーさん?」


 今はまだ十分航行可能だが、徐々に雨風は強まってきているように思える。


 俺が小さな漁港を左手に睨みながらそう問いかけると、グラバーさんはしばし沈黙して答えた。


「出来ればもう少し進みたい。このペースであと1時間ほど走った所にある、ジュレという良港がある。

 問題あるかね?」


「ありません。了解しました」


 俺たちはグラバーさんの判断に従い、貿易港兼漁港のジュレへと入った。


 時刻は夜の18時。


 王都を出港してから、すでに3日近くが経過している。


 俺が御前会議の場で宣言した、おおよその必要日数は6日だ。

 それとてヘルロウキャストの孵化を可能な限り阻止するという当初の目的からすれば、十分な日数とは言えない。


 天候にさえ恵まれていれば、6日は十分可能なペースでここまで来たが、ここでどれほど足止めされるかによっては大幅に遅れる可能性がある。



 どうしても気持ちが焦る俺とダンは、『これぐらいの風雨なら、左手の半島に沿って慎重に動けば、ゆっくりとなら進めそうだ』と進言したが、グラバーさんの判断はやはり寄港しての待機だった。


 歯痒い気持ちがないでは無いが、この辺りの全体ミッションの完遂と輸送隊の安全のバランスは、百戦錬磨のグラバーさんに委ねる他ない。



 ジュレは、どこかダンの地元のソルコーストを思わせる、磯の匂い漂う活気ある町だった。


「アレンとダンの仕事は、今はとにかく体を休める事だ。船の整備、積荷の調整から出港のタイミングの検討なんかは全てこちらで受け持つ。

 口惜しいがこの先君達にしかできない仕事の比重が重くなる。少しでも体を休めて欲しい」


 気分転換に街をうろつこうかとも思ったが、大先輩のキャスさんにこう言われては、大人しく休むしかないだろろう。


 いくら金を掛けたのか分からないが、海がよく見える岸壁の高台にある高級そうな宿を丸ごと借り切っている。


 俺たちは遅めの夕飯もそこそこに、宛てがわれた最上階の豪華な部屋で眠りについた。


 かなり疲労していた様で、俺とダンがぐっすりと眠っていると、未明に部屋が遠慮気味にノックされ、キャスさんが訪ねてきた。


「起こしちゃったか?

 体調はどうだ?」


 時刻は朝の3時頃だろう。


「お陰様で万全に近いです。外の様子はどうですか?」


 キャスさんは笑顔で頷いた。


「それはよかった。

 雨はもうすぐ上がりそうだが、まだかなり海は荒れている。

 だがこれから徐々に収まってくると言うのがグラバーさんの見たてだ。

 操舵手である君達の意見を聞いて、出発時刻を決めておきたくてね」


 ダンは窓を開け放ち暗い海に目を向けた。


「…………確かにもうすぐ雨は上がりそうですね。

 今すぐでも走れないことは無いですが、雨の中船を走らせるのは全体に負荷が大きい。

 1時間後の4時出発でどうでしょう」


「了解。

 5分前までに船に来てくれ」



 ◆



 俺たちが刻限5分前に船へと行くと、出発の準備は出来ていた。


 驚いた事に、ドスペリオル領から先発していた魔法士と資材類が合流していた。


 先発隊も嵐を避けて数十キロ先の港で待機していたそうだが、俺たちが呑気に寝ている間に陸路を使ってこちらへと強引に輸送したらしい。


 これは大きい。港に停泊しているのを見落としてすれ違う危険が無くなったので、自由に進路を取れるからだ。


 縦帆船は、風を受ける角度が大事なので、最短距離を進むよりも陸から離れて大回りした方が結果的には早い、と言うことがままある。


 夕食の席からキャスさんを除く騎士団の3人はいなかったが、この任務を担っていたのか……


 この雨中の深夜に、どこにいるか判然としない先発隊と連絡を取り、恐らくは碌に整備されていない魔物の出る陸路を強引に輸送する手筈をつけるのは、並大抵の無茶では出来ないだろう。


 ちなみに、孵化後の対応を想定して選抜されているガレー船の漕ぎ手とその他のドスペリオル軍所属の戦士達計20名は、とても乗るスペースがないので、予定通りガレー船で現地を目指すらしい。


「呑気に寝ててすみません……」


 俺がバツが悪そうに頭を掻くと、キャスさんは手を振った。


「君らの仕事は休む事だと言っただろう。

 休むのが仕事なんだから、ぐっすり眠れたならそれで君達の任務はパーフェクトだ」


 そう言っておどけて親指を立てるキャスさんの顔も、よく見ると疲労の色が濃い。


「……寝てないんですか?」


「ん? ……あぁ、俺は船の整備を担当していたからな。徹底的に点検しておいたし、交換可能な損耗品もこの街で入手できたから、予備に交換しておいた。

 だから安心して船を走らせてくれ。

 ……正直言って、学生に背負わせていい責任じゃない。こんな事しか出来ないのは情けないが、だからこそ俺たち王国騎士団員が君たちのサポートに手を抜くわけにはいけない。グラバーさんは俺よりも悔しい気持ちが強いと思うぞ」


 そう言って、すでに船上にいるグラバーさんを指差す。


 厳つい顔でじっと暗い海を睨んでいたグラバーさんは、俺たちに気が付き、1つ頷いた。


 俺たちが船に乗り込むのを確認したキャスさんが係船柱ビットから船を繋ぎ止めるためのロープを外すのを確認したグラバーさんは、腹から声を出した。


「錨を上げろ! 帆を張れ!」


 そのセリフは俺が……まぁいっか。

 俺はせっせと錨を巻き上げた。



 ◆



 さらに人と荷物を増やしてかなり手狭になった船は、荒れ模様の暗い海を慎重に進んだ。


 アルはと言うと、揺れのパターンにいわゆるうねりが伴い、多少マシになっていた船酔いが再発してまたイチャコラを始めている。



 俺が心の中で『けっ!』っと思っていると、ジュレから乗り込んできた古参っぽい探索者がアルに絡み始めた。


 後ろにはラベルディン近隣を縄張りとしている思しき探索者達が取り巻きで立っている。


「俺ぁBランク探索者のチャゴーラってもんだ。その歳でDランクたぁ中々のもんだが……随分と情けねぇなぁ。王都の探索者はちっと苦労が足りねぇんじゃねぇのかぁ?」


 まぁこの様にマウントを取って、格付けを決めるのは、探索者の挨拶のようなものだ。


 決してイチャコラが羨ましいというわけではないだろう。



「うっぷ。

 す、すみません、自分でも情けないし、申し訳ないとは思ってます」


 アルの真っ青な顔とこの腰の低さを見て、チャゴーラさんはニヤリと笑った。


 アルの歳でDランクと聞いて、もう少しクセの強い人間を想像していたのかもしれない。


「ふんっ!

 ちったぁ言い返せ、情けねぇな! 才能はあるんだろうが……ラベルディン所属なら、オメェは全く目が出てねぇそこらのFランクか、よくてせいぜいEランクだろうよ。

 魔法の腕がそのまま探索者の実力じゃねぇ。

 楽に実績積める王都で、ちっと出世したからって調子に乗るなよ?」


 なるほど、やっぱり地元が1番というプライドがあるのだろう。まぁそれくらいの負けん気は、探索者としては許容範囲と言える。


 チャゴーラさんがお互いの力関係を決定づける為に、船酔いでグロッキーの調子に乗っているアルに凄んでいるのを、俺がふむふむと聞いていると、魔女っ子のルルーシュさんがアルを庇った。


「言っておくけど、アルきゅんはあの・・王立学園の、しかもAクラスに所属する天才だよ?

 そこらのDランク探索者と一緒にしない方がいいと思うけど?」


 あ、アルきゅん?!


 ルルーシュさんがなぜか勝ち誇った顔でこの様にフォローを入れると、チャゴーラさんは鼻で笑った。


「はんっ!

 なんでぇ、いくら温い王都でもそのザマでDランクってぇのはおかしいと思ったぜ。

 いくらお勉強が出来ても、現場で使えない探索者を、俺は認めねぇ」


 素晴らしい!


 ドスペリオル家が王立学園と距離を置いているからか、ラベルディンを拠点にしているチャゴーラさんは、王立学園の金看板に萎縮する様子などまるで無かった。


 現場で叩き上げられた探索者から見ると、王立学園生は登録するだけでDランク、卒業生はCランクなどと言われても面白くないだろう。


 実際俺はその特権臭のする処置は如何なものかと思っていた。


 チャゴーラさんの言う通り、探索者の能力は強さや知識だけでは計れない。現場での総合力が大切だ。



「おれぁ王都のCランク探索者でドンゴってもんだがよ。黙って聞いてたら今のはどう言う意味だ?

 王都の探索者がおめぇら田舎もんより劣るっていいてぇのか?」


 おおっ!


 自分が絡まれている訳でもないのに、格上のBランク探索者に食ってかかるとは、それでこそ王都の探索者だ!


 その気合いをアルに入れてもらえると最高なのだが……


「なんだてめぇ、こいつの保護者か?

 はっ! 王都じゃ舐められたら保護者が出てくんのか?

 ……テメェも探索者の端くれなら、自分の居場所は自分で作れと教育しやがれ!」


「そこの小僧は関係ねぇ! 王都北支所を舐めんなって言ってんだ!」


 これは最早子供の喧嘩だが、ぶん殴って分かりあうのが目的なので、理屈の中身など関係ない。


 チャゴーラさんとドンゴさんがお互いに掴み掛かる。


「ウロロロロロッ! パキパキパキ」



 と同時に、意を決した様に立ち上がったアルは、すぐさまへにゃへにゃと膝を突きリバースした。


 ……成長したな、アル。


 消化に良さそうなスープの様なものだけを食べる事で、随分楽に吐けるようになっている。


 その分粘度が低くて凍らせるのは大変なはずだが、吐瀉物はうず高くその手に盛り上がり、一切溢れない。


 俺が前世のイメージをそのままに、半分おふざけで口内で水を生成して射出しながら凍らせるアイデアを出したのだが、これはもしかしたらモノにするかもしれない……


 口でやる意味は全く無いが。


「うわっ! きたねー! 吐くなら海に吐けこのバ——」


 そう言ってアルへと掴み掛かろうとしたラベルディン派の取り巻きのお兄さんを、チャゴーラさんは手で制した。


 唖然とした表情で、アルの手のものを見つめている。


「……どうなってるんだ、それ」


「ふふっ。アルきゅんの『アイスビーム』のヤバさに一目見て気がつくなんて、伊達にBランクを張ってないね」


 チャゴーラさんは難しい顔で押し黙った。


「まさか……魔封じの錠で手足を拘束された状態からでも体外魔法が行使できる……のか?

 こんな子供にそんな事まで想定させて訓練させるのか、王立学園とやらは」



「実は私も王立学園に特別興味も好意も無かったんだけどね……昨日の夜アルきゅんの部屋に押しかけて、色々教えてもらったら、考えが変わっちゃった。

 いやぁ熱い夜だったね、アルきゅん!」


 ルルーシュさんがそう言ってアルの腕に絡みついた所で、アルは青い顔を真っ青にして、俺の方を見た。


「いやいやいや、目指す氷魔法の形とその練習方法について話してただけで、アレンが想像するような、おえっ」


 俺はすぐさま全力航行のハンドサインをダンに――

 送ろうとしたが、止めた。


 ダンはすでに親指を立てながら船を切り返す体勢に入っていた。



 ◆



 こうして、ヤブレ男爵領への緊急輸送任務は無事完遂された。


『常軌を逸していた』


 この船に同乗していた目撃者達は、後にアレンとダンの操船を思い出しながら、身体を震わせながらこう口を揃えた。



 2人はジュレを出航した後、ただの一度も船の操舵を渡す事なく目的の港まで走り切った。


 ユグリア王国の命運をその小さな背に負い、一心不乱に船を動かし、そして到着すると同時に『後は頼みます』とその場に倒れるように眠りについた。


 その顔は、重要な任務をやり切った人間の充足したものではなく、最後の一滴まで搾り尽くした、どこか虚しさすら感じる表情だった。



 その走破タイムは驚愕の143時間20分。

 おおよそで6日という信じ難いものだった。


 この噂はあっという間に大陸を駆け巡る。



 各国は、こぞってあらゆる分野の専門家にそのような事が可能なのか分析させたが、いずれも結論は『絶対に不可能』というものだった。


 何か手品の種があるに違いないと徹底的に調査をし、頭を捻らせたが、前後の状況から、王都から6日で船がヤブレ男爵領まで移動したという事実は揺るがしようがない。



 アレン・ロヴェーヌが新星杯でその存在を示唆した、『四大精霊が一柱、風の大精霊、レ・シルフィ』。


 一度は切り捨てたはずのその可能性が、各国首脳に重くのしかかる。



 そしてもう一つ。


 あのライオ・ザイツィンガーですら成し遂げていない王国騎士団入りを一年生にして果たした新たなる星の出現。



 ほんの1週間前まで後ろ指をさされ、笑われていたその男は、その心無い世間の噂話を十把一絡げに丸呑みにして覆し、その名を大陸に響かせた。


 アレン・ロヴェーヌはその男を国王の前でこう評したという。


『王立学園帆船部初代部長、ダニエル・サルドスは、いつか必ず切り拓きます。

 誰も見た事のない、新たなる地平を』



 アレン・ロヴェーヌが予言したその言葉の意味を、世界が正しく理解するには、まだ暫くの時が必要――


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