第160話 最後の想定(6)
時は戻り、第5想定開始時刻の1時間前。
俺は西拠点近くに魔物溜まりを作った後、北拠点へと戻った。
「で、アレンの秘策というのは何なんだ?」
ベスターにこう問われ、俺はクラスメイト達に、第4想定の間、暇過ぎてグレた挙げ句、勝手に持ち場を離れて対魔物用の睡眠薬と麻痺薬の素材を収集し、調合した事を説明した。
「なるほど、それは随分と思い切った手を打ったな……
ゴドルフェン先生達も、まさかアレンが持ち場を離れて一か八か何時間も自由に動くとは考えてないだろう。
つまり、こちらがそういった薬品類を所持している、という事は先生の考慮の外という事か。
だが……流石にアレンでも、その短い時間でそれ程の量は作れなかっただろう?
その薬品が、それほど劇的な一手になるのか?」
手を打った訳ではなく暇すぎてぶらぶらした時に思いついただけなのだが……まぁどっちでもいいけど。
「やり方次第ではな。まぁメインターゲットは、ゴドルフェン、そしてティムさんだ」
俺がこういうと、クラスメイト達は静まり返った。
「……それは、あの2人も指揮以外で想定に参加する、とアレンは読んでいるという意味か?」
俺は首を捻った。
「一応、初めから全力で来ないと攻め手が惨敗して終わると警告はしたがな……
恐らく最初は様子見をするんじゃないか?
そこで俺たちがぎりぎりの所で必死に守り抜いていたなら、あの2人は出てこないだろう。特にティムさんはな。
だがそんな結末ではじじいを喜ばすだけだ。
敵の持てる力を全て引き出し、なお俺たちが圧勝して初めてじじいに吠え面をかかす事ができる。
俺は別に褒められたい訳じゃないからな」
俺がこう言うと、ライオは頷き俺に質問してきた。
「アレンの考えは分かった。その目標自体には俺も反対しない。だが具体的にどうするつもりだ?
あの2人ははっきり言ってレベルが違う。毒への耐性、つまり魔力分解も相当なレベルで鍛えられているだろう」
俺はゴドルフェンを北拠点から引きずり出してさえくれれば、危ない薬を使って少なくともティムさんは離脱させる自信がある事を説明した。
ベスターが設計したこの防衛拠点の仕組みを考えると、ティムさんさえ離脱すれば、こちらの勝ちへと大きく繋がる。
こちらが押さえている拠点の防備を、強引に突破できる人間がゴドルフェン1人なのか、それともティムさんと2人なのかで、敵方の戦略幅に歴然とした差が出るだろう。
そのためにとにかく肝になるのは、じじいとティムさんを切り離す事だ。
あのじじいの引き出しの広さ、状況判断の的確さ、決断の速さ、総じて言うと対応力は、厄介極まりない。
じじいがいるのといないのでは、奇襲の成功率は天と地ほど違うだろう。
くっくっく。
じじいがいない場所で敵方を絶望的な状況にまで追い込み、仲間外れにされる寂しさを噛み締めさせる。
ちなみに、この捕虜を取る作戦は、展開次第で投入するためにベスターが考えていたカードの1つだ。
ゴドルフェンの気性を考えれば、まず間違いなく自分で取り返しにくる。
ベスターは俺の話を聞いて、澱みなく作戦の本筋を組み替えていく。
ベスターの作戦は、ゴドルフェンが出た時点で南は捨てて、北へのカウンターだったが、ライオがゴドルフェンと真っ向勝負をしたいと言ったので、ライオの戦死も織り込んで、その引き換えに稼げる時を有効活用する形に少し手順を変更した。
「俺はこの北拠点に設置された索敵防止魔道具の有効範囲、遺跡内部だと露見する危険が高いから、すぐ近くの外にでも地下室を掘り、ゴドルフェンが出ていくまでの間忍ぶ。
あの2人がどの程度の耐性を持っているかが分からないからな……
2人を同時に毒で落とそうとするのは、効果が出るまでに時間差が出て失敗する可能性が高い。
崩れた壁を塞ぐ様に打ち込んだ杭の近くに地下室を作って、ドルに魔法で上を固めて貰ったらばれることは無いだろう」
俺がこう言うと、ココが質問してきた。
「いくらアレンでも、ティムさんを矢で撃ち抜くのは難しいと思う。という事は……風、でしょ?
でも……どうやって気化するの?
確か傘の開いたドラマン茸と、カピネ草の葉から抽出した睡眠薬の沸点は結構高くて、常温では沸騰しないはず。麻痺薬も同じ。
その時間は夜だし、地下室には空気穴も必要。火なんか起こしたら絶対ばれる」
流石はココ、実に鋭い質問だ。
「その通りだココ。どうやってあの2人に薬を摂取させるか、という事に昨日随分頭を使ってな。やはり風魔法を使い、呼吸を通して気づかぬ間に摂取させるしか無いと俺も結論付けた。
そして、ココが考えている懸念に俺も行き当たった。
そこで発見したのが、俺がずっと研究している、とある魔法を応用する方法だ」
もちろん発見したのではなく、俺は
俺はその方法と、昨日魔物相手に試してみた時の効果を、クラスメイト達へと説明した。
クラスメイト達は、敢えて関西弁風に言うと『ほんまかいな』という顔をした。
◆
「捕縛した捕虜120名を無事に返して欲しくば、1時間以内に陣を引き払い、自国へと帰れ!さもなくば捕虜の命は保証しない!」
そろそろ来るだろうと仮眠から起きて外の様子を聴力強化で聞いていた俺の耳が、使者としてやってきたパーリ君の朗々とした声を捉えた。
合図も兼ねているので、大きめの声で頼むと伝えておいたのだ。
しばらく待っていると、案の定ゴドルフェンが1個中隊を引き連れて出て行った。
今頃南拠点はライオが1人で守り、残りの人間は拠点を捨ててダンが探している敵のウィークポイントへの強襲へと向かっている頃だろう。
万一捕捉されても単独で切り抜けられる可能性が1番高いダンは、敵戦力の配置や動きを調べる全体の目として動いている。
ダンの戦闘技能は惜しいが、あのじじいを相手に守勢に徹していても、とても守り切れる気がしないからな。
ダンは単純に視力がめちゃくちゃいいし、風魔法の研究を通じて索敵魔法もある程度使える。
山間部の踏破速度も桁違いに早く、1を見て10を察すると言うほど分析力も高い。
ベスターがダンを外で浮かして使いたくなる気持ちも十分理解できる。
さて、そろそろ俺も動くか……
俺はドルが土魔法で固めた屋根の、呼吸穴の周りを少しだけ削り、濃縮した睡眠薬が入っているビンを腰から外して地面にことりと置いた。
他国の斥候であるゼツさん達が傷薬のビンを持っていたので、俺が撃ち抜いた脚の治療をして空になったビンを拝借したのだ。
昨日俺が思いついた、効率よく毒を敵に摂取させる方法。
それは風魔法で必要な量だけ気化したガスを送り込むと言うものだが、ではどうやって気化させるのかと言うのが課題になる。
戦闘中に悠長に焚き火をして温める時間がない事は、誰が考えても分かる。
そこで俺が思いついたのが、風魔法の基本中の基本、ウインドカッターという魔法の訓練で培った『真空を作る』という技術を応用すると言うものだ。
富士山の頂上では、お湯を沸かしても90度以下までしか温まらず、カップラーメンを作っても麺の食感が違うという話を聞いた事があるだろうか。
それは標高が高い分気圧が低く、沸点が低下するためだ。
この様に液体は、気圧が低下すればするほど、つまり真空状態に近づくほどに沸点が低下し、気化しやすくなる。
宇宙空間ぐらい真空度が高いと、マイナス何十度という温度でも水は沸騰する。
これが宇宙で宇宙服が破れた時に、人間の生存を難しくする最も大きな理由だ。
身体中の水分が、あっという間に沸騰して気体となってしまうのだ。
俺はまだラノベでよく見るような、真空の刃を飛ばすウインドカッターは実現できていないが、手元である程度真空度の高い空間を作る事には成功している。
外に置いた小瓶に手を翳す。
昨日の実験で、どのくらい真空度を上げれば効率良く気化していくかは検証済みだ。
さらにもう一つこの手法にはメリットがある。
即効性が高く、効率がいいのだ。
昨夜魔物相手に実験していて思ったが、経口摂取させたり矢に塗った毒を体に刺すより、遥かに少ない量で効果が出る。
恐らくは肺を通じて摂取する方が、脳や神経に回りやすいのだろう。
量が少なくなる分、効果の持続性は低くなる様だし、恐らくは魔力分解されると解毒され易いだろうが、相手が毒を盛られたと気がつく前に寝たり麻痺すれば関係無い。
俺は崩れ落ちた遺跡壁の隙間から、ゆっくりと気化した睡眠薬を風魔法で送り込んだ。
手元の真空状態から離れた薬は、厳密に言えばまた液化しているだろうが、一度結合が切れ霧状に広がっている薬なら、十分風魔法でコントロール可能だ。
◆
「ふぅ」
ティムは近頃、歳を感じる事が多い。
騎士団を引退してなお、平気な顔をして林間学校に帯同しているゴドルフェンの前では口が裂けても言えないが、1週間近くも山林に潜りほぼ単独で活動した事が、かなりの疲労を呼んでいるようだ。
この終盤で、自ら想定の難度を上げるあの子達の有り余るエネルギーが眩しくもあり、羨ましくもある。
こんな事ではいかんな……
ティムは気合を入れ直そうと顔を両手でパチンと叩いた。
だがどうにも眠気が取れない。
目を瞑るだけ。5秒だけ――
ティムは腕を組んで、目を瞑った。
◆
「戦死です、ティムさん」
俺が遺跡の崩れた壁の隙間から侵入し、首筋にダガーを当てて、ティムさんに声を掛けると、ティムさんはカッと目を開いて、俺のダガーを持つ手を捻り上げ、組み伏した。
「痛つつ! ティムさんは死人ですよ?」
俺がそう告げると、事態を理解したティムさんは蒼白な顔で俺の手を離し、謝罪した。
「す、すまん!
つい反射的に……
…………寝ていたのか、私は。
私より遥かに疲労が溜まっているであろう君たちが、死力を尽くしている演習中に……
背後に立たれ、声をかけられるまで気が付かないほどに深く……」
ティムさんは、自分でも自分が信じられないと言った風に、顔を悲痛に歪めた。
種明かしをしておかないと、辞表でも出しかねない顔だ。
「風魔法の応用で睡眠薬を摂取して頂きました。ちょっと初見では対応するのが難しい方法を使いましたので、気に病む必要はありません。
詳しく説明してもいいのですが……」
俺はそこまで言って、入口から死角になっている場所へと移動した。
「ティム様? 何やら物音がしましたが、如何なさいましたか?」
中に入って来た2名に麻痺薬を吸わせる。
2人はあれっという顔をして首を傾げ、手を回したりした後、その場へと座り込んだ。
俺が『お二人も戦死です』と物陰から弓を構えて告げたら、その目に驚愕を浮かべた。
そしてその様子を無言で見ていたティムさんもまた、驚愕に目を見開いた。
いったいどの様にして俺が薬を使ったのか解らないのだろう。
「すまん……本来はすでに想定へ関与する資格のない、戦死者である私が物音を立てたからだ。
彼らは軍再編の現場指揮者だ。戻らなければすぐにでも指示を仰ぎに続々と人が来るだろう」
……これは正直言って参った。
ティムさんを討ち取ったら、本来はもう一度忍び、そろそろ来るはずのクラスメイト達と呼応して再び動き出す手筈だったのだ。
状況からして露見するまでもう少し時間を要すると思ったから動いたが……結果としてタイミングが早すぎた。
強襲された時に初めてティムさんが戦死していると判明したら、敵は大混乱に陥っていただろう。
だがこうなってしまっては、早急に決着を付けなくてはここ敵本部が厳戒態勢に入る。
平静にこの人数で待ち構えられると、クラスメイト達が逆にかなり危険だ。
それくらい、この北の遺跡は数が有利に働く地形をしている。
「……過ぎてしまった事は仕方がないです。
俺も迂闊に近づき過ぎました。
……この手は流石にやばいので、出来れば使いたく無かったのですが……」
このやばいには二つの意味がある。
失敗した場合、自分が戦死する危険が高いと言う意味と、成功してしまった場合、その結果もまたやばすぎると言う意味だ。
と言っても、そんなに複雑な事をする訳ではない。
この遺跡を中心に展開している軍に向かって、風魔法レベル2、ハリケーンの応用でメチャクチャに薬を散布するというだけの事だ。
薬で敵を殲滅できれば成功。その前に薬が無くなるか、俺の魔力が枯渇すれば失敗となる。
この薬散布について言えば、魔力をいつもの様に循環していると、どうしたって自分の周りの空気が1番薬の濃度が濃くなる。
俺だって呼吸をしない訳にはいかないから、自然自分から離れた場所で同心円状に薬を広げて留める必要があり、魔力をいつもの様に循環出来ない。
さらに、非常に魔力消費の激しい手元で薬を気化する魔法を同時に行使する事になるので、俺の魔力は持って2分、といった所だろう。
俺は覚悟を決めて遺跡の屋根へと登り、叫んだ。
「ティム・バッカンは討ち取った! 命が惜しいものは投降しろ!」
わざわざ俺が自分の存在を明かしたのは、なるべく敵を引き付けたかったからだ。
密度を上げるほどこの薬散布は効率は良くなる。どうせすぐにバレるし。
「「な、なにー!!」」
「て、敵襲だー!」
「囲め! ゴドルフェン様が帰ってくるまで絶対に逃すな!」
「周囲も警戒しろ!」
「櫓を引き倒せ!」
「いや、魔法士隊がまず遠距離から削れ!」
……偶然とは言え、ティムさんに加えて現場指揮者2人を先に仕留められたのはでかいな。
一見皆が妥当な指示を出しているように思えるが、大隊としての指揮系統が混乱している。
俺は腰にあるビンの蓋を2つ開けて、麻痺薬の比率が高くなる様に調整したガスを無茶苦茶に撒き散らしながら滞留させた。
イメージは自分の周りは空洞になっている、ドーナッツ状の透明の密室だ。
「ぐぅぅぅ!!!」
久しぶりの魔力がゴリゴリ削られる感覚に思わず声が漏れる。
だが、流石に範囲が広すぎて薬の成分が希釈されてしまうのか、俺の魔力が半分以上無くなってもまだ元気そうな奴が多い。
にも関わらず、もうすぐ普通の麻痺薬が切れそうな状況だ。
後一つあるビンは、対ゴドルフェン用に作った麻痺薬・超濃縮バージョンだ。
流石にこれを使うのはやばい……
「何だこの風は?!」
「毒が散布されているぞ!」
「大丈夫だ! 大した毒じゃない!」
「怯んでるぞ! 押し込め!」
いやいやちょっと待って!
この赤い蓋の瓶はやばいんだって!
「「うぉぉぉおおおおお!!!!」」
恐い恐い!
どうしよう正解が分からん!
………………パカッ。
俺は恐怖心に負けて、つい赤い蓋の瓶を開けた。
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