第83話 定期総会(5)


 ドラグーン侯爵に詰め寄られ、進退極まったベルウッドは、半ば現実から逃避して、能天気な顔で目の前の怒った侯爵婆さんを見ていた。


 中々の迫力だが、怒った妻ほど怖いかと言われると、そうでもないな、などと思考停止状態の中考えていた。



 妻が言う様な、大層な信念など何もない。


 ただ代々ロヴェーヌ家は結婚に大らかな家柄…


 というよりも、余りにもど田舎でかつ貧乏なので、結婚相手を選り好みなど出来る状況では無く、自分で探してくるしか無かったというだけの事だ。



 メリアの問いに、喜んで、と答えるのは簡単だが、それは子供たちに筋が通らない。


 子供達には結婚相手は自分で探せと言って育ててきたからだ。


 そして、その様な筋の通らない事を、隣にいる妻が認めるはずもない。


 ふと行き道の馬車で妻が言っていた事を思い出す。


『貴方は謙虚・堅実がモットーの、ロヴェーヌ家として対応すればいいのです』


 謙虚・堅実。


 この状況で、何をどう謙虚にいけというんじゃ?


 それにしても腹が減った。

 馨しいパンの匂いが、やたらと鼻を突く。



 ベルウッドはどうでも良くなった。


 改めてメリアを見る。


 そしてはっきりと首を横に振った。



「わしは家の興亡に興味のない、貴族失格の呑気者でしてのぅ。

 家の行く末を考えろなどと言われても、何をどう判断していいか、さっぱり分かりませんの。

 家の事は、優秀な子供達の判断に任せますわい!」



「……よく言った、ベルウッド。

 後悔しないね?」


「しない…

 と言いたいところですが、わしなどは毎日、後悔だらけですからな!

 わっはっは!」



 そう言って、子爵は席を立った。


 この場で絶対に逆らってはいけない人物に、面と向かって逆らったのだ。


 とてもこの状況で、この後の総会を、この場から眺めている根性はない。



 ベルウッドが席を立つとほぼ同時に、まるで予め打ち合わせていたかの様にセシリアも席を立った。



「待ちな。

 まだ話は終わってないよ」


 メリアが夫妻を睨みつける。



「そう言われても、腹が減ってもう無理ですわい」


 ベルは情けなく眉を八の字に下げた。



「……この私に歯向かった男が、腹が減ったくらいでそんな情けない顔をするんじゃないよ、全く。

 ムーンリット。

 お前の領地はたしか、ロヴェーヌ領と隣接していたね?

 この10年の小麦収量に変化はあったのかい?」


 会場中が固唾を飲んで見守る中、いきなり名を刺されたムーンリット子爵はテーブルに額を擦り付けんばかりの勢いで答えた。


 彼の息子トゥードも今年王立学園Eクラスへと合格を果たしていたので、今日はこのテーブルへの着座を許されている。


「はっ、このところ気候が安定しており、大きな増減は無かったのですが…

 その、一昨年よりロヴェーヌより種を譲り受けて、効果が認められたので先頃収穫した秋まき小麦より全て種を入れ替えております。

 おそらく、3割ほど収穫量が増える見通しです」



 メリアは頷き、きっちり3%ずつ増加しているロヴェーヌ領の小麦の税収データを、先程ベルウッドの研究にケチをつけた鉤鼻の男の前に放り投げた。



「その香りの膨らみとやらは、あと何年研究すれば実現出来るんだい?!」


 ベルウッドは途端にシャキッとして答えた。


「は!

 そうですな。

 今年を含め、あと3年頂ければ実現してみせまする!」



「予算を倍つける。

 その代わり、詳細な報告書をきっちり年に2回上げな!」


「は!」


「それともう一つ。

 すでに子息には、レベランス侯爵家の令嬢も堂々と交際を申し込んでおり、今回の事件を受けて、王家を始め、その他の有力貴族もいつ婚姻に動いても不思議はない。

 他家から婚姻の申し込みがあったら、返答する前に、私に報告を入れな!

 それぐらいならいいだろう?」


 会場が騒ついた。



 ベルウッドはくるりと呑気者の顔へと戻り、妻の顔を見た。


「貴方が約束できるのなら」


 妻はニコリと笑って答えた。


 ベルウッドは首を振った。


「申し訳ありまりませぬが、あの跳ねっ返りにいくら言い聞かせても、事前にわしへ相談などしてくるとは思えませんの。

 今この瞬間、結婚していても全く不思議はない奴ですからなぁ」


 メリアはがくりと項垂れた。


「どんな貴族だい全く…

 それでもあんたは領主かい?」



「謙虚・堅実がロヴェーヌ家のモットーですので」


 ベルウッドは胸を張った。



「孫娘の恋すら応援できない哀れな婆さんに、少しはサービスしようと言う気はないのかい?

 あまり欲をかくと、足元を掬われるよ!」



 セシリアは、口元を綻ばせて笑った。


「お館様は、欲張りがお好きなのでしょう?」


 そう言って夫と共に踵を返した。



 モーセの海割りの如く人並みが分かれていく。



 ベルはさりげなく、通り道の台に置かれているパンを右手に掴んだ。



 ◆



 定期総会の後。



 迎賓館から侯爵邸へと場を移したメリアは、付き従っている家令を怒鳴りつけた。


「ジルドと、アベニールの奴は待たしてあるね?

 今すぐ呼びな!」



 程なくして2人が現れたのち、メリアは手に持ったロヴェーヌ夫妻に関する調査報告を握り潰して、まず情報部の責任者であるジルドへと笑いかけた。



「セシリア・ロヴェーヌは、恐らくは庶民出身の、夫を立てる控えめな、少女の様に笑う、気立てのいい美人。

 あんたはそう私に報告したね?」


 メリアは笑顔を掻き消した。


「どこがだい!!

 あれは王の器だよ!

 20年前に存在を知っていたら、どんな手を使ってでもドラグーンで養子にとって、私の後釜に据えただろう。

 これ以上私に恥をかかすなと命じたはずだけど、あんたの目は節穴かい?」



 平伏するジルドは答えられない。


 だがロヴェーヌ家が注目を浴びてから、セシリア子爵夫人は一度も公の場に姿を出していない。


 ゾルドのスカウトへの仲立ちも、全て子爵本人か、もしくは長子のグリムが行なっている。


 自然過去の情報を調査し推測するより他なく、その責任を問うのは酷というものだろう。



 家令は、これらを考慮して、主人を取りなした。



「お館様。

 情報部の報告書のバックデータは私も目を通しました。

 ロヴェーヌ家に嫁いだ後、目立ったエピソードは何もなく、社交の場では夫を立て、発言する事もほぼ無かったと言う点は、証言の数からも、今日の様子からも、まず間違いはないでしょう。


 問題は嫁ぐ前ですが…

 過去40年にわたり王立学園を始め、王国中の上級学校の記録を抜かりなく調べ上げておりますが、当人と合致する情報はありません。

 国外からこの王国の貴族家へ嫁いだのであれば、記録が残っているはずですが、それもありません。

 となると、家庭の事情で幼年学校から進学していない庶民。

 そう推察した情報部の判断は妥当と判断いたします。

 もちろん、あれだけの気品を見せられた今となっては、その説は大いに疑問ですが。

 おそらくは、訳あって上級学校へと進学しておらず、かつ生家から籍を抜かれた元貴族。

 それも、それなりの家格ではないかと愚考いたします。

 あれほどの人物が、なぜその様な生い立ちを持つのかまでは分かりかねますが…


 まだ、かの家が注目を浴びて2ヶ月と少し。

 どの陣営でもこれ以上は無理ですし、寧ろここでドラグーンだけがセシリア・ロヴェーヌに直に触れられたのは僥倖でございましょう。

 今日の総会であった事について、緘口令を敷かれたのは流石の御英断でございます」



 メリアは『ふんっ』といって椅子に腰掛けた。



「あれだけの人数だ。緘口令なんて気休めさ。

 すぐに漏れるよ。

 ニックス。

 アンタだけはあの夫婦に何か感じた様だったね。

 あれほど息巻いていたくせに、借りてきた猫の様に大人しくなりおって。

 感想を聞こうか」



「……まずロヴェーヌ子爵ですが、初めわしがあの呑気者を出迎えて、開口一番怒鳴りつけて槍をその額へ刺し向けた時、あやつは呑気な顔のままで、瞬き一つしませんでした。

 聞けば、殺気の質が偽物だと。

 そこで、これはただの山師の類ではないと考えを改めて、注意深くその後の所作を見ておりました。

 武の才能が全くない、と言う本人の言葉は嘘では無いと思われます。

 …ですが、『常在戦場』の影響か、それとも夫人の影響かは分かりませぬが、わしのこけ脅しなど意に介さないほどの修羅場を潜っている事は間違いのない所でしょう」



 メリアは手の中でくしゃくしゃになった報告書を、ニックスへと渡した。


「これはベルウッドの貴族学校時代の成績だよ。

 今思うと生命科学分野の成績だけが、目立って高い。

 これだけで断言はできないけれど、おそらくあやつは、特定の分野にだけ飛び抜けた頭脳能力を発揮する、いわゆるギフテッド祝福されしものと呼ばれるタイプの人間の一種だろうね。

 こういうと聞こえはいいが、このタイプは、その頭脳能力の偏りから、社会性に問題を抱えていることも多い。

 腹が据わっているのは認めるが、私やあんたに怒鳴られても、子供が王立学園のAクラスに合格しても、なおぼけっとしていられるのは、生来そうした事に関心が持てない頭の構造をしているのさ。

 だから子供の王立学園入試の結果を、『クラウビア山林域の保護』という、自分の興味のある一面からしか見ていない。

 だが、子息はさして関心がない。

 だからベルウッドも、子供の学園生活に興味が向かない。

 普通なら、何とか子供が自分の望む方向に進むように誘導しようとするんだが、ベルウッドはそうした事に力を使いたくても使えないのさ。

 あの歳になると、一定の社会性を身につけているから分かりにくいが、学生時代の論文やエピソードを調査させれば判断がつくだろう。

 まぁあやつの事はいい。

 誰かが気がついてうまく使ってやらないと、社会で活躍できる人間じゃないが、私が上手く使ってやればいいだけだからね。

 セシリアをどう見た?」


 ニックスは今日のベルウッドの様子を思い出した。

 確かにお館様の前でテーブルに突っ伏すなど、『呑気者』などという言葉で片付けていいレベルを超えている。


 そしてその妻はー


「…同じ武人として、底がしれませぬ。

 初め、ベルウッドの奴が、パン屋の娘に鼻の下を伸ばしたとかで、たわいのない夫婦喧嘩の様相で殺気を滲ませておりましたが…

 正直言ってその時点で勝てるビジョンが全く見えませんでした。

 家内がロヴェーヌ家を卑怯者呼ばわりした時…

 ロヴェーヌ子爵夫人は気配を消しておりました。

 心臓の鼓動すらも止めておるのではと思うほど、その顔色を真っ白に染めて、普通はただ息をするだけで漏れるはずの魔力の残滓が一切ありませぬ。

 器はわしには測りかねますが、『武』という面では、あの場にいたどの人間とも、隔絶した力があった事は、間違いありませぬ。

 わしは、あの場でこの夫人が万一暴れ出した時、お館様を無事脱出させられるのかと、その事ばかりを考えていた次第です」


「……その殺気はわざと見せられたね。

 これまで夫の影で隠れていたが、子息の王立学園合格で、もう隠すのは難しいと判断したか…?

 いずれにしろ今日の総会で、一悶着あるのは目に見えていたからね。

 あんたを抑えて、少しでも有利に進める狙いがあった事は間違いないだろう。

 必ずしも『武』である必要はないが、実力の無い者に器は育たない。

 あの器に相応しい実力があるのは間違い無いね。


 ジルドは国内の貴族家、特に武名の家を徹底的に洗いな。

 ロヴェーヌの鍵は、セシリアにある」


「はっ!」


「後はそうだね…

 ロヴェーヌ家の次男、名前はベック・ロヴェーヌ、がドラグーン私設軍に所属しているって話だったね。

 ニックスの所へ動かすから、あんたが直に見定めな」


「畏まりました」



「全く、揃いも揃って型破りな事ばかりして、『謙虚・堅実がロヴェーヌ家のモットーです』とは…

 私をバカにしてる訳じゃないよね?!」



 このメリアの質問には、誰も答えなかった。


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