第56話 蛇に追われたネズミ(2)


 おやっさんは初手を、蛇を巻き取るように左下から右上に向かって掻くように放った。


 明らかに相手を倒すための一手ではない。


 つまり、おやっさんでも一撃で仕留めようとするのはリスクが高い、と考えている獲物という事だ。



 グリテススネークは体をくねらせて躱そうとしたが、躱しきれず、おやっさんのとんでもない膂力で、どぅと跳ね上げられた。


「ん逃すかよ!」



 かなり際どく見えたが、きちんと決めきる所は流石はおやっさんだ。



 もし今の初撃を外して、蛇がおやっさんの後ろにすり抜けていたら、かなり盤面は難しい形勢になっていただろう。


 俺は、おやっさんの作ってくれた時間は短くとも3秒以上、と判断し、即座にプランを変更した。


 8秒あればネズミは全て片付く。



 蛇に追いかけられていることで、一直線に走っているだけのネズミは止まっている的と大して変わりないが、流石に最初の1発以外は限界まで速射している分、精度が荒く、何匹かはまだ息があるようだ。


 だが、蛇と属性持ちさえ止めてしまえば、アムールとロイの兄貴が手負いの鼠は何とかしてくれるだろう。



 俺は2人を信じて、即座に蛇を起点に半径60mまで間合いを詰めて、反時計回りに走り出した。



 おやっさんの最優先事項は、グリテススネークを後ろに抜けさせない事。



 俺が今もっとも優先すべきことは、リスクを回避して膠着状態にあるおやっさんが速やかにグリテススネークを片付けられるようにサポートする事だ。


 できれば残りの5本の矢は、ネズミには使いたくない。



 俺は念のため手負いのネズミどもの様子を視界の端に捉えながら、おやっさんとグリテススネークが射線に重ならないように走り、チャンスを窺った。



 おやっさんはすぐ俺の動きに気がついた。


 俺の動きに、一瞬驚いたような顔を見せたおやっさんだったが、即座にこちらの意図を察して合わせてきた。


 一旦受けにまわり、こちらと呼応して隙を作り一撃で決めるつもりだろう。


 この即応能力、流石は一流の探索者だけはある。



 俺は、先程からグリテススネークが時折見せる、首を大きく引いて、その反動で噛みつこうとする動きに合わせる事にした。


 おやっさんの視界に入り、なおかつ蛇からの死角に入る位置から鉄矢を放つ。


 矢は貫通力不足で蛇の鱗に弾かれたが、俺を感知していなかった蛇がこちらに意識を走らせた僅かな隙。


 そこにおやっさんが身体強化を漲らせた突きの大技を繰り出した。


 そのとてつもない威力に、グリテススネークの顔と胴は一撃で分断された。



 それを見届けた俺は、即座にポーの方を振り返り、その頭の上20m程に矢を放った。


『ギョエェェ!』



 血抜きをしていた時から、ロウヴァルチャーという、翼開長が4メートル近くもある猛禽類の魔物が、ルーンシープを狙って上空300m程を旋回している事には気がついていた。


 奴らは生きているものは襲わず、他人の獲物を掠め取るハゲタカだ。


 狡賢く、こちらの戦闘が佳境に入ったタイミングで羊を掻っ攫おうと降りて来たところを狙い打った。


 胴体を貫かれたロウヴァルチャーは、叫び声を上げて地面に激突し、絶命した。



 これだけ苦労したんだ。


 ここでメインの獲物である、ルーンシープを掻っ攫われたら、骨折り損もいいところだろう。



 もう一羽いたロウヴァルチャーは、仲間がやられたのを見て急旋回して逃げていった。



 ◆



「随分余裕じゃねぇか…」



 おやっさんが呆れ顔で近づいて来た。



「余裕なんてありません…

 今のはおやっさんが、『パーティーの後衛として全体をよく見てろ』って助言をくれたから、意識が向いていただけです。


 ですがあのクラスグリテススネークの魔物が出るなら、ちょっと俺のライゴでは怖くてこのあたりはうろつけませんね。

 おやっさんがいなかったら、と思うとゾッとします。

 手が震えていますよ」



 俺は、震える自分の手をじっと見つめた。

 戦闘が終わった途端、安堵したのかブルブルと震え始めた。



 グリテススネークの、意識の外から放ったはずの鉄の矢は、あっさりと弾かれた。

 もしおやっさんがいなければ、至近距離から口内を狙うなどの、リスクの高い手法を取らざるを得なかっただろう。



 おやっさんは俺の震える手を見て笑った。


「だっはっはっ。

 その状態であれだけ動けるとはな!

 可愛げがあるようで、全くねぇな!


 …普段はジッとやり過ごすのに、苦労する魔物じゃねぇんだけどなぁ。

 森ん中ならともかく、こんなだだっ広い草原なら出合頭も普通はねぇし、尚更だ。

 今日は運が無さすぎた」



 それもそうか。


 こんな事が王都近郊で頻繁に起きていたのでは、低級探索者の採取依頼などままならない。



 だが一方で、運が悪ければあっさり死ぬ。

 それが探索者という仕事の本質なのは間違いない。



 俺がこの世界で面白おかしく生きるためには、現状の強さでは不十分だという事。


 その事を、おやっさんがいる場で実感できた事は、幸運だったな。



 俺は改めて、あの日たまたま兄貴達が勧誘してくれて、りんごの家に加入できた幸運に感謝した。



 ◆



 今日の戦利品は、ルーンシープ2頭と、おやっさんが仕留めたグリテススネーク、メドウマーラの魔石2個、そしてロウヴァルチャーとなった。


 リアカーはルーンシープ二頭とロウヴァルチャーでいっぱいになったので、グリテススネークはおやっさんが担いで、帰り道の警戒は俺とアムールとロイの兄貴3人で担当した。



 ネズミの魔物、メドウマーラは、ロイとアムールの兄貴が手負いのやつも全てチームで囲んで始末してくれたが、素材としての価値は低く、物理的に持って帰るのが難しかったので、属性持ちだった個体の魔石のみ持ち帰る事にした。


 魔石は、おやっさんにやり方を教えてもらいながら、バンリー社製のナイフを使って俺が摘出した。


 メドウマーラの魔石は心臓部分に豆粒くらいの大きさの赤い石があった。



 言葉で表現するのは難しいが、手のひらに乗せたときに、力強いエネルギーの波動の様な物を感じた。


 二束三文のクズ魔石との事だが、自分で初めて獲得した魔石を手に持って、俺は『あぁ、異世界に来たんだなぁ』と、今更ながら感慨を覚えた。



 王都に着くと、『りんごの家』に戻ってルーンシープを解体する兄貴達とは別れ、俺とおやっさんの2人で素材を売りに行った。



 グリテススネークの胴をホースみたいに丸めて右肩に担ぎ、左手に蛇の頭を握って歩くおやっさんと、ロウヴァルチャーを背負って歩く俺は結構人目を引いて、道ゆく人がざわざわと指を刺してくる。



「レン君ちーっす!

 その獲物、Cランクのロウヴァルチャーっすか?!

 レン君が仕留めたんすか?!

 Fランクっつー話なのにさすがっす!!

 俺、今東支所に獲物下ろしてきた帰りなんで、運びましょうか?」



 何だか悪目立ちして嫌だなぁ…なんて思いながら、下町を歩いていると、顔は見た事ある暑苦しいデブが、リアカーを引っ張りながら笑顔で近寄ってきた。



「おう、気が効くじゃねぇか」


「テメェに言ってねぇよロートル!」


「あぁん?

 誰に口聞いてやがんだ?

 テメェ、『リンゴ・ファミリー』を舐めてやがんのか?」


「何が、『リンゴ・ファミリー』だ!」ゴンッ!


 てなやり取りをやった後、顔は見たことあるが、名前は知らないデブがリアカーで東支所まで獲物を運んでくれたので、多少は目立たずに済んだ。



 デブに一応礼を言うと、『ちぃーっす!』と言って笑顔で帰っていった。



 どうやら挨拶は、『ちぃーっす』の一つしか知らないらしい。


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