第55話 蛇に追われたネズミ(1)


 30分ほど血抜きをした後、盾役のチビ達が3人で一体ずつルーンシープを括り付けた木の棒を担ぎ、俺たちは来た道を帰りはじめた。



 おこぼれを狙っているのだろう。

 上空では、大きなハゲタカが2体旋回している。



 この世界には、残念なことに四次元空間にいくらでも物が入る魔法の収納袋などは無い。


 身体強化魔法もままならないチビ達は、かなり重そうにしていて、代わってやりたいが、武器を持ってる俺たちは万一の魔物の襲来に備える、と言うのがおやっさんの指示だ。



 まぁこうしてキツい仕事を覚えさせるのも、必要な事なのだろう。



 そんな事を考えながら300mほど草原を進んだ所で、東の方からドドドドと何かが走ってくる音がした。


 音は明らかにこちらへと向かって来ている。



 目を凝らすと、500mほど先から体重が20kgほどありそうな20匹ほどのネズミ型の魔物、確かメドウマーラというやつが真っ直ぐこちらに向かって走って来ていた。



 …何だ?

 確か臆病な魔物で、人を見たら逃げる性質があるはずだが…



 俺が不思議に思っていると、おやっさんが叫んだ。



「最悪だ!

 やつらグリテススネークに追われてやがる!

 こっちになすり付ける気だ!」



 グリテススネークは、動く獲物を追いかける性質がある。


 遭遇したら、やり過ごすか、おやっさんが仕留めるまで、いずれにしろ俺らはじっと動かない手筈だったが、この状況で固まっていると、メドウマーラとモロに激突した所にグリテススネークに追い打ちされる事になる。



 グリテススネークは、体長が10m近くありそうな途轍もないデカさで、メドウマーラを次々に丸呑みにしながらこちらに向かって来ている。


 人間も余裕で飲み込みそうだし、俺はともかく、チビ達が全力で走ってもとても逃げられそうにないスピードだ。



「ちぃ!

 属性無しなのが不幸中の幸いか!」


 本来は黒い蛇だが、属性持ちの場合、属性に応じた色鮮やかな鱗が混じっているはずだ。


 この距離で、そこまで確認できるのか…



 おやっさんは、一瞬だけ俺を見て何かを逡巡した。


 俺はおやっさんが言いたい事を即座に察した。


「迷ってる時間はないです。

 俺が前のネズミを押さえますから、おやっさんは後ろのでかいのを頼みます!」



 おやっさんは、俺がメドウマーラの対応をして、万一にもグリテススネークの矛先が俺に向かうリスクを取りたく無いのだろうが、今できる最善は間違いなくこれだ。



 俺は返事を待たずに少しだけ集団から離れ、弓を構え、矢筒に手を添え、戦闘体勢に入った。



「…先頭の属性持ちの個体を優先して狙え!

 その後は無理しなくていい!

 グリテススネークが50m以内に入る前に、レンも武器を下ろしてじっとしてろ!

 お前らはメドウマーラにぶつかられてもけっして声を出さずに動くなよ!

 怖けりゃ目を瞑ってろ!

 骨は折れても死ぬこたぁねぇ!」


 おやっさんはそう言ってグリテススネークに向かって真っ直ぐ駆け出した。



 突如出現した命の危険がある実戦に、ドクッドクッと、自分の心臓の鼓動が聞こえる。


 力を抜きたいが、あのツノウサギを仕留めた時のように、手の筋肉が僅かに強張っていることが分かる。



 …自分を信じるしかない。

 この2週間、毎日何本の矢を撃ってきたと思ってる。


 俺は、腕が上がらなくなるまで弓を引いてきた訓練を思い出しながら、メドウマーラの数を数えた。


 メドウマーラはグリテススネークに呑まれて多少数を減らして、残り16匹。


 ……おやっさんが、すれ違い様に2匹、中程にいる属性持ちを含めて片付けるつもりだな…


 とすると残り14匹。

 うち属性持ちは先頭の目の赤い1匹。



 有効射程ギリギリの100mから、おやっさんに言われた50mまでには5秒程で到着するだろう。



 俺が5秒で放てる矢は多くて8本。


 俺は獲物に、優先順位をつけた。



「レンにぃ…」


 ポーが祈る様な声で俺の名前を呼んだ。


 俺は、少しでもポーを安心させるためにニコリと微笑み、『静かにしてろ』とジャスチャーで示した。



 メドウマーラが俺の射程に入るのと、おやっさんがグリテススネークと接敵したのは同時だった。



 ◆



 …おいらは大馬鹿だ。


 あれほど親父に、魔物を舐めるなって、王都周辺で、俺がついてても安全とは限らねぇって、口を酸っぱくして言われてたのに、何も理解していなかった。


 たった2、3回、食肉の調達に連れてってもらって、何も起きなかったからって図に乗って…

 親父がついてて、ほんとに命の危機なんかに陥るはずがねぇって、ついさっきまで舐めきってた。


 今日は王都内の、きついばっかりで、つまんねぇ仕事をしなくて済む、なんて遠足気分で…

 俺も盾なんかじゃなくて、早く槍を持ちたい、なんて考えてた。



「最悪だ!

 やつらグリテススネークに追われてやがる!

 こっちになすり付ける気だ!」



 親父は、あの親父の口から出たことが信じられないような、焦りがありありと感じられる大声で叫んだ。



 遠くに見えているグリテススネークは、凄いスピードで逃げるメドウマーラをいたぶるように追い込みながら、一匹ずつ丸のみにしつつ、真っすぐこっちへ向かってくる。



 その姿を遠くから見るだけで、膝が笑い、手が震え、おいらたちは担いでいたルーンシープを括り付けている棒を手放して、その場にへたり込んだ。


 とても、身体強化を使って担いでいられる様な精神状態じゃ無い。


 親父以外、誰もかれも固まっちまって、一歩もその場を動けない。


 槍を持ってるアムールとロイの兄貴達も、槍を杖にして辛うじて立ってるって感じだ。



 そん時、レン兄が、よく通る声を発した。


「迷っている時間はないです。

 俺が前のネズミを押さえますから、おやっさんは後ろのでかいのを頼みます!」



 そういったレン兄は、親父の返事も聞かず、おいら達から少し離れた場所で弓を構え、矢筒に右手を添えた。



 親父は頷いて、レン兄と俺たちに素早く指示を出して、真っ直ぐグリテススネークに向かって走り出した。


 俺はその背中を祈る様な気持ちで見送った。



 犬かと思うほどでかいネズミたちは、こちらに向かって真っ直ぐ向かってくる。


 悍ましい蛇に食われて多少は数を減らしたが、それでもその地鳴りみたいな足音は物凄い迫力だ。



 ネズミ達はかなりの距離まで近づいてきているが、レン兄は弓を構えたまま動かない。


 どうしたってんだ、レン兄ぃ。

 弓を実戦で使うのは初めてって言ってたし、ブルっちまったのか?



 俺は精一杯の大声でレン兄に声をかけようとして、口が乾いてて情けない声を出した。

「レンにぃ…」



 レン兄は、俺の声を聞いて、チラリと俺を見たかと思うと、不敵に笑った。


 そして、矢筒に添えていた手を一瞬口元に当てて、『しーっ』と動作で示し、すぐに視線を前に戻した。



 もうあと10秒もせずメドウマーラは俺たちの元へ到着する。


 親父はもう、グリテススネークと激突する寸前だ。



 と、その瞬間、そこまで静かに弓を構えていたレン兄は、目にも止まらぬ速さで矢筒から矢を引き抜いて、瞬時に弓につがえ矢を放った。


 流れる様な早業だ。


 おいらは矢の行方を必死に追った。


 放った矢は、おいら達に向かって真っすぐ向かってきていたメドウマーラの、目が真っ赤な先頭の奴を、見事に打ち抜いた。



 だがおいらは、快哉を叫ぶ前に驚愕した。



 レン兄が放った2の矢3の矢が次々にメドウマーラを捉えていったからだ。


 慌ててレン兄を振り返った瞬間見た光景を、おいらは一生忘れないだろう。


 レン兄は、美しい、としか言いようがない、途轍もない速さで次々に矢を放っていく。


 その動きの速さは、最初に放った一発目とは比較にならない。



 放った矢は、吸い込まれるように全て獲物に命中して、10秒かからずにメドウマーラたちを全滅させた。


 かと思うと、レン兄は即座に弓を抱えて、グリテススネークを中心に、右へ円を描くように走り出した。


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