第38話 寮の話


 学園入学から1ヶ月弱経過した、ある日の朝。



 王立学園一般寮、通称負け犬の寮犬小屋の食堂には、人が溢れかえっていた。



 アレンは全然深い考えなどなく、まぁこっちでいいか、なんて軽い気持ちで一般寮で過ごす事を決めたのだが、それを大いに拡大解釈したクラスメイト達が、ライオ達以外も何と全員揃って引っ越してきた。


 中には、わざわざ家庭教師の充実した近くの実家を出て、こちらに来た者もいる。



 アレンからすると、全くもって意味不明だったが、クラスメイト達が、引っ越してきただけならまだ良かった。



 だが、1年Aクラスが全員揃って一般寮へと引っ越したという話のインパクトは、凄まじかった。


 さらに、寮の朝食に、アレン・ロヴェーヌが一般寮に留まることを決めた秘密が隠されているらしい、なんて噂が飛び、噂が噂を呼んで、あっという間に一般寮は満室になった。



 一般寮は、そもそもが40人しか入居できない。


 Dクラス以上の生徒であれば、一般寮と同額の寮費、すなわち月に1000リアルで、施設・サービスの充実した貴族寮に住める。


 Eクラスの生徒でも、月に5000リアルの正規料金を支払えば、貴族寮に住める。


 Eクラスの生徒は3学年で60人存在するが、貴族寮の5000リアルの正規料金を払えないものだけを収容できればいいため、この数でも十分なのだ。



 そもそも、王立学園に入学してくる生徒は、上級貴族を始めとした金持ちの子息令嬢が多い。


 経済力と学力は相関するので当然であった。



 稀に、実家に恵まれないながらも、才能と努力で入学してくる貧乏男爵家や庶民出身者もいるにはいるが、この王都で王立学園在校生の金看板を掲げて、家庭教師その他のアルバイトをいくつか掛け持ちすれば、5000リアルという貴族寮の料金を稼ぐのは、十分可能だ。



 加えて、5000リアルの正規料金を支払ったとしても、破格に安い。そう思えるほど、貴族寮の施設・サービスは充実している。



 長い歴史の間、卒業生達が積み上げてきた確かな実績により、潤沢な予算が国より与えられている事に加え、卒業生からの寄付金も半端な額ではないからだ。



 彼らが卒業後稼ぐことになる賃金を考えれば、例えば多少の借金をしてでも学業に専念できる優れた環境、すなわち貴族寮での生活を選択するのは、当然のことであった。



 そんな訳で、一般寮に入寮する人間は、アレンやリアドのような変わり者か、そうでなければ、アレンのように、よほどの田舎者で、貧乏性が抜け切っていない1年坊主か、アレンのように、貴族寮に住むクラスメイトと人間関係のトラブルを抱えるなどの、訳ありの人間だけとなる。



 もともと40部屋あるこの寮には、5人しか住人が居なかった。


 うち2人は、アレンとリアドである。


 そこへ、1年Aクラスに在籍する、アレンを除く19名が引っ越してきたので、残る枠はいきなり16枠となった。



 この16枠も、腰の軽い生徒達であっという間に埋め尽くされた。


 そして、供給が需要に追いつかないと、価格が上がるのは当然の帰結だ。


 様子見、などと考えていて出遅れた、大金持ちの実家を持つ生徒によって、この寮への入居権が途方もない金額で売買されるまで、さして時間はかからなかった。



 こうして、山奥の荒屋の如くタダでも貰い手のなかったはずの犬小屋の入居権は、いきなり銀座4丁目かの如く価値が高騰した。



 ◆



「まったく!

 坊やのせいで、忙しすぎて目が回るよ!

 どうしてこう極端なんだ?

 もう少し、加減ってもんを覚えな!」


 ソーラは、口ではいつもの文句を言っているが、その目のキマった顔は嬉しそうだ。


 増えた実験道具モルモットを見て、どのように実験を進めるかを考えているのだろう。



 俺のせいでは全然ないが、俺は仕方なくソーラの配膳の手伝いをしていた。



 寮の朝食には、日によって外れか、大外れかがあるのだが、本日のメニューは、多少は慣れたはずの俺から見ても、取り分け酷かった。



 主食のパンと、朝からこんがりと無塩バターでムニエルにされた、800gはあろうかと言うほど馬鹿でかい魚の切り身と、そして何のミルクか恐ろしくて聞けない粘り気のある黄土色をしたミルク。


 そして、何の植性魔物のものか分からないが、毒々しい紫色をした、ドラゴンフルーツの様な木の実が添えられている。 



 ちなみに、この寮が平穏だった頃は、俺しか食べる人間がいなかったので、俺の希望により魔法士にフォーカスされたメニューだった。



 だが、いきなり爆発的に増えたこの人数の飯を、騎士や魔法士のコース毎に作り分けることは、手間の面からも、素材調達の面からも不可能だということで、今のメニューは全コース兼用だ。



『首尾良く体外魔法を習得できたとして、坊やは魔法騎士になるんだから無駄にはならないだろ?

 坊やのせいなんだから、了承しな!』



 俺のせいでは全然ないが、確かにその通りではあるので、俺は仕方なく了承した。



 メインの魚は、どう考えても腐っているとしか思えない、生臭い匂いを発していた。


 朝の鍛錬を終えて、ヘトヘトに疲れ果てた寮生達は、食堂に足を踏み入れた瞬間から、絶望の色を顔を浮かべた。


 臭い、なんてものではなかった。


 食べるどころか、食堂に足を踏み入れた瞬間、強烈な吐き気を催すほど臭い。



 俺はある程度配膳を手伝ったところで、アルとジュエ、フェイとライオ、ドルがいる6人掛けのテーブルへと座った。


 5人とも、途轍もない強敵メニューを前に、ナイフとフォークを構えたまま静止していた。


「食べないのか?」


 俺は配膳の手伝いの間に幾分麻痺した鼻の呼吸を止めて、これは臭いが強烈なだけなクサヤだ!と自己暗示をかけた後、切り分けた腐った(ような臭いがする)魚を口に放り込んだ。



「…ロヴェーヌ子爵領では、こう言ったものを食する文化があるのか?」


 ライオが、強烈なカルチャーショックを受けた顔で、俺に質問してきた。



 俺は、口の中身を飲み込んで、余韻が無くなるのを待ってから答えた。


 途中で声を出すと、鼻に臭いが流れて間違いなく吐くからだ。



「あるわけがないだろう。

 要は覚悟の問題だ。

 俺の家庭教師をしていたゾルドは、よくこんな事を言っていた。

『心頭滅却すれば火もまた涼し』

 …だからお前らにはまだこの修行は無理だと言ったろう。

 今からでも、この修行からは逃げ出した方がいいんじゃないか?

 尻尾を巻いて…な」



 俺は前世の名言を、例によってゾルドが言った事にして、クラスメイト達を煽った。



「なるほどな!

 これも心の鍛錬の一環ってわけか。

 心頭滅却…つまりどんな窮地でも心を空っぽにすれば、恐怖なんかに負けることはないって訳か…

 いい言葉だな!」


 アルは意を決した様に魚を切り分けると、顔を無表情にして勢いよく口に放り込み、咀嚼した。



「モグモグ。うん、確かにー

 ウロロロロロ!」


 口に魚を含んだまま口をきこうとしたアルは、盛大にリバースし、その場で膝をついた。


『はぁー、はぁー、はぁー、はぁー』


 100人組み手でもこなした後の様に血走った目で荒い呼吸を繰り返すクラスメイトアルを見て、動き出そうとしていた他の4人はまた動きを止めた。



 俺はそんな彼らを見ながら、次の一口を口に放り込んだ。

 そして、その魚が口から消えるのを待って、動き出す気配のないクラスメイト達に、再びアドバイスを送った。



「『何のために食べるのか』を、明確にしないから、覚悟が決まらないんだ。

 先程ソーラさんに聞いたが、このメニューは魔法士の性質変化を補助する効果があるみたいだ。

 魔法士を目指さないフェイはともかく、他の4人は少しは頑張った方がいいと思うがな」



 俺のこのセリフを聞いて、フェイの顔が途端に明るくなり、他の4人は絶望の色を濃くした。



「アレンも人が悪いね?

 それならそうと最初から教えてくれたらいいのに。

 僕は今朝は、パンとフルーツだけにするよ。

 みんな頑張ってね?」



 フェイはニコニコと笑いながら、テーブルの皆を上から目線で見渡し、フルーツの皮を剥くと、勢いよくフルーツに齧り付いた。


『あっ』と俺はいったが、遅かった。



「ぶーーー!」



 フェイはフルーツを吐き出したかと思うと、

『きゃは、きゃはは』と、フラフラと頭を揺らしながら危ない笑い声をあげ、その場で腐った魚が盛られた皿に向かってダイブした。


 どうやら気を失ったらしい。


「フェイさん!」


 慌ててジュエが介抱する。



「遅かったか…

 そのフルーツは、とても酸っぱいから、不用意にあんな沢山を口に入れないほうがいいぞ?」


 少し遅れたが、俺はクラスメイト達に、注意を促した。



 彼らが引っ越してくる前に、一度出たことがある素材だから、その脳天に響く強烈な酸味はよく覚えていた。



「とても酸っぱいだって?

 何で酸っぱいと人間が気絶するんだ…」


 床に転がされて、ピクピクと痙攣しているフェイを見ながら、ドルが呟いた。



「脈はあります…」


 ジュエは、鼻をつまみながら、魚まみれになったフェイの生存を報告した。



「…もう少しアドバイスをくれ、アレン。

 コツなどは無いのか?」


 ライオは俺にアドバイスを求めた。


 こういう素直な所はこいつの美点だな。



「完璧な攻略法はない。

 最も大切なのは、先ほども言ったように心の準備だ。


 その上でテクニックの話をするならば、臭いがキツイものは、鼻で息をしない事、アルのように咀嚼している途中で口をきかないこと。

 味が強烈なものは、少しずつ口に含み、出来るだけ咀嚼しない事などがある。


 間違っても、身体強化魔法を使って素早く片付けよう、などと思わない事だ。

 口周りに魔力を集めると、よほど精度良く筋肉のみに魔力を集中しないと、味覚や嗅覚が鋭敏になり、かつ動作が荒くなり惨事を引き起こす」



 もちろん、俺も惨事を引き起こした。


 経験者は語るというやつだ。



 ライオは、俺の話を聞いて、意を決したように、魚に手をつけた。


 ゆっくりとした動作で、魚を口に放り込み、咀嚼して飲み込む。


 …それはいいのだが、血走った目に涙をポロポロと流しながら、俺を睨みつけながら食べるのはやめて欲しい…



 そんな風にして朝食を食べながら、俺はふと思いついた。


 ここにいるのは、気絶しているフェイを除くと、偶然にもみな体外魔法の才能に恵まれているメンバーだ。



「体外魔法研究部を立ち上げたいんだけど、みんなどう?」

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