【Web版】剣と魔法と学歴社会 〜前世ガリ勉だった俺は今世では風任せに生きる〜

西浦 真魚(West Inlet)

第1話 転生

「ぼっちゃま。…アレン坊ちゃま!」家庭教師のゾルドが怒鳴る声が聞こえる。


 ふと気が付いたら、剣と魔法のファンタジー世界の子爵家三男として転生していた。


 いや、3か月後に迫るユグリア王立騎士魔法士学園(通称王立学園)の受験に合格するため、昼夜に大嫌いな勉強を強制されており、そこに家族からの合格へのプレッシャーがのしかかり、受験ストレスが限界を突破して、ふと前世の記憶を思い出した、というべきか。


「もう受験まで3か月を切っているのですよ!ぼーっとしている余裕がぼっちゃまにおありですか?」


 ゾルドの説教は続いている。



 前世では両親の方針で、青春を受験に捧げた。



 だがもともと地頭がよくなかったのだろう。


 高校までは何とか地元の進学校に潜り込んだが、両親の望む学歴の代名詞的な東京の国立大学に手は届かず、何とか1浪の末に有名私立に潜り込んだ。



 幼少時代からの習慣は恐ろしい。

 大学生になるころには、勉強をしていないと漠然とした不安を感じ、遊びに行くと罪悪感を覚える体質となっていた。


 大学時代の息抜きは、資格取得のための勉強だ。

 特に目的もなく、たいして役にも立たない資格を色々と取得していた。



「ぼっちゃまは今年12歳。王都への移動を考えると、実質2か月半しか私が教えて差し上げる時間がありません!

 もしぼっちゃまが王立学園にご入学されたとしても、何位で受験に合格し、どのクラスに配属されるかは、その後の成績、そして就職、昇進、人生すべてに大きく響きますよ!

 この受験が一生を左右するといっても過言ではないのです!ぼっちゃまからは危機感が感じられません。

 聞いておられますか!」



 想像していた異世界転生と違う……



 前世では大学でも成績だけはがり勉(死語)の結果、そこそこを維持していたので、何とか一流食品メーカーに就職し、これまでの努力が実を結んだと一安心した。



 しかし、現実の社会は両親が口癖のように言っていた、学歴がものをいう世界とはかけ離れていた。


 時代は変わっていたのだ。


 求められるのはコミュニケーション能力、課題発見・解決能力、挙句の果てに、業務に関係のない事柄にも関心を持つ知的好奇心とそこから滲み出る一般教養が重要、などと言われていた。


 お手上げだった。


 それは、「別人になれ!」と言われているのも同然だった。


 同期の要領のいい連中が実力・実績を積み上げていく中、言われたことだけを粛々とこなす使い勝手のいい俺は、やろうと思えば誰でもできるけど、面倒なので誰もやりたがらない仕事をただひたすらにこなす、便利でパッとしない若手社会人となった。



 やり甲斐はなかったが、若手の頃はまだそれでよかった。30を超えて後輩ができ、時代がさらに進んでからは、より厳しい現実が待っていた。



 上司に「指示待ち君はいらない」と叱責される日々……


 同期には「AI君は簡単な仕事が早い」と嘲笑され、後輩にも「頼りにならない」と陰口を叩かれていた。



 何かを変えようとセミナーに通ったり、資格を取得したり、ボランティアに参加したりと、とにかくネットに書かれているような自己啓発活動を色々としてみたが、根本的な思考方針に問題があるようで、結果は芳しくなかった。



 社会人になってからは、ネット小説、特に異世界転生ファンタジーなどを読んで自分に重ね、現実から逃避しては無聊を慰めていた。



「ん?いやに落ち着いているな俺……」


 急に転生した割には落ち着きすぎていないか?

 いや、現実感がまるでないので、思考が追い付いていないだけか?


「危機感を持ってくださいと申し上げているのです!

 落ち着いている場合ではないのです!

 ぼっちゃまは合格ラインギリギリです!」


 うるさ……



「このロヴェーヌ子爵家に生まれたからには、代々王立学園受験に挑戦するのが習わし。

 しかしその重い扉を開いたものはいないのです。

 ロヴェーヌ家700年の悲願!

 その栄光の未来が指呼の間に見えているのですよ!

 その一族の血の努力と涙の歴史に泥を塗るようなことになれば、私は旦那様に顔向けできません!

 専属家庭教師として死んで詫びる所存です!」


 何かの呪いかこれは……

 重すぎる……


 俺は顔を引き攣らせながら、とりあえずゾルドを宥めた。


「すまん、じい。

 考え事をしていた。

 勿論危機感はある。授業を続けてくれ」



 まくし立ててくるゾルドを手で制して頭を下げる。



 だがようやく反応した俺にゾルドは訝しげな眼を向けてきた。


「……わかっていただけたならよいのです。

 では講義を続けますぞ」


 困惑しながらも、ゾルドはそういって講義を再開した。



 ゾルドが困惑した理由が俺には察しがついた。

 受け答えが俺らしくないのだ。


 子爵家という比較的恵まれた環境で、末っ子だったこともあり、周囲に蝶よ花よと育てられた俺は、ご多分に漏れずもっとあまちゃんでわがままなクソガキだった。


 先ほどの受け答えをこれまでの俺がした場合、こんな感じのはずだ。


「うるせえ!

 朝から晩まで勉強勉強うんざりなんだよ!

 そもそも騎士の仕事はなぁ、第一に規律、第二に強さ、あとは仕事の後に飲み屋でワイワイやって背中預けられる仲間作るだけのコミュ力があればいーんだよ。

 大陸の歴史ぃ?

 断言するが、俺の人生に役立つことはねぇ!

 魔力変換数理学ぅ?

 体外魔法の才能がねぇ俺は身体強化魔法を体で覚えるしかねーんだよ!

 俺が魔法技師や魔道具士になると思うか?

 今日腕がちぎれて騎士の道を絶たれても、それだけはありえねぇ!

 無駄だとわかっているものを受験で必要だからって無理に詰め込んで何になるんだ?!

 そういう不必要なことを黙々とできる馬鹿が役に立つのか?

 大体からして……」


 こんな感じで理屈を捏ねただろう。お勉強嫌いの典型だ。


 実に世の中を舐めたガキくさいセリフといえる。



 まぁそれはいい。

 いずれにしろ状況を整理する必要がある。


 まず、俺はつい先ほど前世の記憶を取り戻した。

 面倒なので、転生後、12歳で「覚醒した」ということにする。


『アレン』として生きてきた12年の記憶はあるが、前世の記憶の影響か、少なくとも人格・思考にも一定の変化がある。



 ちなみに前世は、運動とは無縁の勉強もやしで、一人称は【ぼく】だったので、前世の人格がそのまま憑依したのでもなく、『アレン』と『前世のぼく』のハイブリット状態とおもわれる。


 社畜としていいように使われた挙句、36歳で病を患って死んだ。



 次にこの国と自分を取り巻く環境について。


 俺はこの大陸でもっとも古く、1200年以上の歴史を持つユグリア王国のロヴェーヌ子爵家の3男だ。



 ロヴェーヌ子爵家は、ドラグーン侯爵が治める国の南東地方にある、とある城郭都市とその周辺のいくつかの村落を治めている。


 兄弟には、王立学園受験に挑むも、あっけなく一族700年の涙の歴史に名を刻み、ドラグーン侯爵領にある貴族学校で官吏コースに進んでそこそこ優秀な成績で卒業した長兄と、同上から騎士コースに進み、これまたぼちぼち優秀な成績で卒業した次兄がいる。


 この国では長子が継承権1位と明確に決められているわけではないが、概ね慣習としては生まれた順であり、現当主の指名と王による承認で世襲される。



 家族仲もよく、長男が当主で次男が万一の時のスペア兼領地経営のサポートという形が、既定路線としてほぼ確定しているとみていい。


 面倒な跡継ぎ問題に巻き込まれる危険は低い。



 いずれは家を出ることが決まっている身ではあるが、仮に王立学園に合格できたとしたら、これまた一族悲願の王国騎士団または国家官僚への道が約束……とまではいかないが、かなり現実的になる。


 その絶大な権力で生家を陰に陽に引き立てられること間違いなしだ。


 俺の双肩にかかるプレッシャーはでかい。


 ちなみに王立学園も、侯爵立の貴族学校も、騎士コースの他に官吏コース、魔法士コースがあり、4つ上の姉は貴族学校の魔法士コース(魔道具士専攻)に入学し、トップクラスの成績で卒業した。



 姉であれば王立学園の受験も間違いなく突破できる。


 家族のだれもがそう考えていたが、魔法的な素養の足切りラインがたまたまその年だけ運悪く高く、不合格となった。


 こればかりは努力でどうにもならない部分が大きいので仕方がないが、受験の神様はこの世界でも残酷だ。


 卒業後は、非常に狭き門である王都の上級魔道具研究学院に進学し、忙しく研究の日々を過ごしており、しばらく顔を合わせていない。


 だが、実家にいた時は俺のことを目にいれても痛くないほど可愛がってくれていた。


 いや、覚醒した今だからわかるが、あれはいわゆる重度のブラコンだな……


 あまりに手紙が多いので返信が面倒で返していなかったら、両親に泣きついたようだ。


 もっとも、両親はお互いの勉強に差し障ると判断したということで、逆に手紙は月に1度、便せん3枚までと決められていた。


 禁が破られた場合は俺の目に触れることなく焼却すると取り決められ、憤怒していた。


 虫眼鏡が必要なほど小さな文字で3枚の便せんに書かれた呪いの手紙は怖かった。


 以上、3男1女が現在のところのわが兄弟構成だ。

 今後も増える可能性は低いだろう。


 子爵家にしては少ないと感じるかもしれないが、大体こんなものだ。


 それはこの国の構造に起因すると思われる。


 結論から言うと、貴族家が多すぎるのだ。


 この国の貴族制は上から順番に公侯伯子男制だ。



 公爵は、王家の血筋存続のための保険的な扱いで、まれに王の直轄地の代官を兼ねることはあるが、基本的には領地を持たない。


 その代わり道路や水路などのインフラ事業や、商人協会や探索者協会など関与している利権が多く、かなりの権限を有している。


 ただ、長い歴史の中で公爵家が増えすぎ、侯爵以下の貴族権益を圧迫したため、血で血を洗う政治闘争があり、その結果、現在は3家までと数を厳密に制限されている。



 侯爵は日本でいう所の関東地方や中部地方などの地域単位を治める領主で、この広い(といってもどの程度の面積なのか把握していないが)ユグリア王国にも9つしかない名家だ。


 農業、山林、鉱山、海洋、魔物由来の素材やその加工品など、それぞれの管轄域に沿った多彩な特産を抱える押しも押されもせぬ大貴族といえる。


 この九つの侯爵領にはそれぞれに貴族学校があったり、探索者協会の大きな支部があったり、地域の重要な施設が集中している。


 王立学園への入学が果たせなかった貴族の子息は大体こちらの侯爵立の学校に入学することとなる。

 うちの兄弟たちが卒業したのもこの学校だ。


 この辺りは概ね日本人のイメージ通りといえるだろう。



 伯爵は日本でいう所の県程度の単位を治める中規模領主であり、領内にいくつもの都市と多数の村落を抱える。


 そして王国には80を超える伯爵家がある。


 領地に準じた特殊技能産業の学校、すなわち海が近いと船乗りや漁業関係の学校、といった具合の、専門性の高い上級学校を運営している例が多い。


 かなり数が多いが、この辺りもまだギリギリ日本人として許容範囲だろう。



 だが問題はロヴェーヌ家も該当する子爵だ。


 子爵は中心となる都市一つか二つとその周辺地域を領有している例が多い。


 生家のロヴェーヌ子爵家も一般的な子爵家といえるだろう。

 市長さんに毛の生えたようなものだ。


 このあたりまで来ると数がぐっと増え、その数は1000を超えてくる。


 男爵にいたっては日本人がイメージする貴族というよりは、農村や開拓地の村長さんや庄屋さんといったイメージだ。

 実際に代官を置かず村長を兼任している例が多い。


 領民との距離も近く、その生活は質素で慎ましい。


 王宮へ参内するのも、爵位を世襲又は授与される一回きりという人も多いようだ。


 数が多い分、相対的に不祥事や昇爵などで増減する例も多く、その数と名前を正確に記憶しているものは誰もいないといわれている。


 10年に一度、宮庁で貴族家の棚卸が行われ、前回の調査結果によると、8521の男爵家が存在したとのことだ。



 ……しかし改めて考えると凄い数だな。

 まるで貴族のバーゲンセール、芋洗い状態の湘南の夏の海を連想させるレベルだ。



 とまぁ、こうした現状が、貴族家の少子化に拍車をかける。

 ようするにこの国はかなり完成されているのだ。


 社会システムが完成され、みんなが一定以上の幸せを享受でき、社会が安定していると、どこの世界のどこの国でも少子化となる。


 魔物の襲来や病気で多少のリスクがあるとはいえ、わが子に与えるポストがないままに、たくさん子供を産むと相続問題などで揉めるリスクの方が遥かに高いと理解しているからだろう。


 ちなみに、この長い歴史と貴族家の多さで、貴族の血を引く庶民も多い。


 いや、多いなどというレベルではなく、もはや貴族の血が入っていない庶民など探しても見つからないだろう。


 これだけ多くの貴族家があり、爵位を相続できるのは一人なのだ。


 建国以来の1200年間、大きな戦争はめったになく、たまに魔物災害はあるものの、自然災害は極めて少ない。



 自然、相続できなかったものは庶民になるほかない。

 遡れば王家の血が入っている庶民もそれほど珍しくないだろう。


 建国当初の時代は、貴族家は今ほど多くはなく、遺伝的な要素も強い魔法的な素養が高く特別な地位に立ったが、現在は庶民と貴族に魔法的素質において昔ほどの差はない。


 だから庶民からもたまに魔法の素養が高い人も出るし、その場合は、上級貴族家やその陪臣、つまり家来の家が養子にとることもある。


 もちろん王立学園への入試から始まる立身出世をサポートする代わりに、権力を使ったお家の引き立てに利用するためだ。


 そのような事を繰り返してるうちに、「尊き血」などという価値観は有名無実に成り下がり、あるのはお家ごとの経済力の差だけとなっている。



 せっかく貴族に転生したが、子爵家生まれでさらに世襲する可能性が限りなく低い俺は、王立学園に入学しない限り、残念ながら半分庶民に足を突っ込んだその他大勢の一人と考えてまず間違いないだろう。


 う〜ん夢がない!


 剣と魔法の異世界の貴族家に転生したのに、子爵家三男は庶民になることが既定路線の学歴社会……



 はぁ?といいたい!!



 ふと気が付くとゾルドが俺をじとりと見ていた。


「ぼっちゃま。今講義とは別のことを考えておりましたな?このゾルド、ぼっちゃまの専属家庭教師になってはや4年。目を見るとそのくらいのことは分かります。

 どうして坊ちゃまは……」


 いいかけたゾルドを再び手で制す。


「安心しろ、じい。講義はきちんと聞いていた。メモもしっかりと取ってある」


 そういって俺はピラピラと3枚ほどに纏められたメモ用紙をゾルドに見せた。


 前世ではどんなにつまらない授業でも飽きることなく毎日何時間もくそまじめにせっせとノートに纏めていたのだ。


 社会人になってからも、会議の議事録の作成は、ナゼかいつまでたっても俺の仕事だった……



 前世基準で中高レベルの王国の歴史と地政学の講義など、多少考え事をしていても手が勝手に要点を纏めていく。


 まぁ俺の今の実年齢は12歳なわけで、ことさらレベルが低いというわけではないのだろうが。



 最初は胡散臭げにそのメモを見ていたゾルドだが、やがて感極まった顔を震わせながらこちらに向けてきた。


 そのメモには、講義内容の要点を簡潔に、且つわかりやすく纏めてあった。


「どうだ、じい。要点を取り違えていたら遠慮なく指摘してくれ」


 俺が覚醒後初のドヤ顔でゾルドにそう聞いてみると、ゾルドは感極まった顔で震えた。


「……ついに、ついにこのゾルドの誠意がぼっちゃまに伝わりましたか!」


 ゾルドは泣き出さんばかりの勢いだ。



 だがここでほめすぎては元の木阿弥と考えたのだろう。

 ゾルドは顔を引き締めた。


 4年も説教されてきたのだ。

 ゾルドの考えていることは目を見れば大体わかる。



「いやいやしかし、勉強は継続です。

 油断なさらずこの調子で3か月間、死ぬ気で頑張りましょうぞ!このゾルドが、必ずや、必ずや!坊ちゃまを合格に導いて見せます!」


 暑苦しい…貴族の息子に死ぬ気とかいうなよな。



 だがしかし、これまでの『アレン』ではじいの退屈な授業の要点を要領よく纏めていくなど不可能だったはずだ。


 というか、まず1時間も聞いていられなかった。


 急に覚醒したから前後比較でよくわかるが、危機感の有無とか精神年齢の成熟とか、そういった次元ではなく、興味を持てない講義のメモ取りなどは生来の気質的に不可能だったはずだ。


 これは異世界転生のお約束、転生による能力への影響の検証をする必要があるな。

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