最後の後に、会いに来て(全4話)

天野橋立

#1 黒潮の島で

 本当に、こんなに明るいんだ。南の島みたいに。

 水底が光を放っているような、ペパーミント色の海を、不思議に思いながら眺めていた。木造家屋の列に囲まれた小さな入り江。波もなく、水面は静かに滑らかだった。

 港のそばにある簡易郵便局の前では、ハイビスカスがオレンジ色に咲いて揺れている。黒潮が流れる島、ここはまるで熱帯のようだった。

 メッセージの画面をまた開く。待っている、と「彼女」は言った。午前の船が着くこの桟橋で。何度も確かめたから、間違いなかった。でも、新着の通知はない。


 本当は誰なのか、どんな人なのか。

 僕が知っているのは、アカウントの「こばると」さんという名前とゲームのキャラのアイコン。昔の小説を読むのが好きだということ。そして、部屋の窓から見える海の写真を撮るのが趣味ということだけだった。

 女性なのだろう、というのも、アイコンと文章の口調から僕が勝手にそう思ったに過ぎない。


 からかわれたのだろうか? それだけのために、わざわざ僕を四国の南にまで導いたのだろうか?

 空を見上げる。九月の太陽は、まだまだ夏のようなまぶしさだったが、透き通るような青空はもう秋の色だ。

 僕の暮らす山あいの町に、こんな明るい空気が降り注ぐことはない。静けさの色が、まるで違う。

 もし、からかわれたのだったとしても。悪くないかも知れない。到着して一時間、桟橋に佇んで海を見ていただけで、僕はすっかりここが気に入っていた。どうせ、夏の休暇はまだ余っている。

 

「『おたべもん』さんでいらっしゃいますか?」

 その声に、僕は振り返った。そのひどい名前を知っているのは、「こばると」さん以外にあり得ない。やっぱり来てくれたんだ。

 半そでの白いブラウスに紺スカートの、髪の長い女性がそこに立っていた。思っていたよりも、ちょっと歳上だ。でも、すらりとした綺麗な人だった。

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

 その人は、静かに頭を下げた。


 彼女の名前は、垣内静江かきうちしずえさんというのだった。この島の学校で、先生をしているそうだ。僕も、多部僚一たべりょういちという本名と、勤め先の信用金庫の名前が入った名刺を渡した。

 緊急の用事で、どうしても約束通りに来ることができなかったんです、と彼女は再び頭を下げた。

「システム障害があったみたいで、メッセージがうまく届けられなくて。ごめんなさい」

「いえ、全然そんな。とんでもないです。ゆっくり海が眺められて、すごく良かったです」

 こんな小さな島にまでちゃんと回線がつながっていて、いつでも手元の機械に連絡が取れる。考えてみれば魔法みたいな話だ。多少の行き違いがあっても、不思議でもなんでもない。


 お昼はもう済まされました? と聞かれて、お腹が空いていることを思い出した。旅館で朝食を食べたきり、今はもう正午を回っている。島に着いたら「こばると」さんとご飯でも、と思っていたのだ。

「じゃあ、ご一緒にいかがですか? 生シラス丼がおすすめのお店があるですけれど、苦手だったりされますか?」

 苦手どころか絶対食べて帰ろうと思っていた、この地方の名物料理だった。そう答えると、静江さんは嬉しそうな顔で「じゃあ、行きましょう」と歩き始めた。


(#2「本当のこと」に続く)

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