第十六話 惑星セルポからの通信

 この日の夕方に来客があったとき、至はパソコンの前で本を読んでいた。至は返事をして確認に向かう。ナースチェンカは、寝室にこもっている汀を探し回るかのように彷徨さまよっていた。彼女に曜日の感覚があるのかどうかわからないが普段から土曜日は活発に動くことが多かった。

 至がドアを開けると顔を出したのはゆかりさんだった。汀の叔母だ。至にとっても、――汀のことがあるまでは会ったことがなかったのだが――やはり叔母だった。

「あ、お久しぶりです」

「こんにちは。上がってもいいですか?」

 上がってもらうといってもかまちがあるわけではない。靴下の至がゆかりさんをそのままコタツへと促がすと、スリッパを所望されて臆してしまう。


 ゆかりさんは赤いセーターにごわっとしたベージュのスカート。黒いハンドバッグを提げている。セミロングの髪は黒々としていて、お化粧もばっちり。こんな殺伐としたガレージには似つかわしくない。


 汀が用意しておいた来客用のスリッパを出すのだが、まだ値札がついたままだった。当惑してしまった至は、さっさと汀を呼んで任せることにした。大声でゆかりさんが来た旨を伝えると、汀は黄色いパジャマに灰色のパーカーを羽織って梯子を降りてくる。汀もいつの間にやらガレージに馴染んだものだと感心した。


 元気がなかったはずの汀だが、よそ向きの表情でゆかりさんに挨拶をし、至にお茶を用意するように頼んだ。

「お構いなく――」と、ゆかりさん。しかし汀は手の仕草とちょっと傾けた顔で、お茶をお出ししなさいと伝えてくる。


 女の子はすごいな――と、至は感心した。社交辞令という類の習慣は至の最も苦手とするところだ。彼女達のような医者の家系に見られる特徴的な生態といえるのかも知れない。逆に解釈してみると、汀はやはりゆかりさんをそれほど身近に感じてはいないのだろう。うちで引き取るというゆかりさんの提案を峻拒しゅんきょするくらいなのだから。


 汀はすばやくコタツ机の上を片付ける。こびりついた醤油までティッシュでふき取る。至はお茶を用意してそこへ運んだ。ナースチェンカも来客に興味を示したという様子でコタツ机へと向かった。至はお茶を用意する。汀は不摂生を体現するかのような散らかり様を弁解するが、ゆかりさんはきょろきょろとここでの生活を値踏みするように観察していた。


「ごめんなさいね、突然お邪魔しちゃって。ちょっと様子を見に来ただけなのよ」

 ついでに寄っただけ――と言うが汀の方にも連絡をしていなかったようだし査察としか思えない。なにか言いにくい話を持ってきたような顔とも見える。至は慣れない正座で手をどこに置いたらいいものか分からなくなってしまい、麦茶の入ったグラスを両手で抱えていた。

「汀ちゃんの担任の先生がね、最近少し、元気が無いんじゃないかって連絡をくれたのよ」

 汀ははっとして黙る。ナースチェンカもぐいぐいと近づいてきて、それを見たゆかりさんは少し気味悪いといった顔をしてみせた。

「そんな、大げさですよ」口をつぐんでしまった汀に代わり、至が口を挟んだ。「事情が事情だからって言うんでしょうが、正味一日休んだだけですよ? その先生、もう少し度量が……」

「いえ、担任の先生には、何か気になったらすぐに連絡をするようにと、私の方からお願いをしてあるんです。告げ口だなんて思わないであげてくださいね。もちろん、過保護はよくないと思いますけど、新しい生活に慣れるまでは……ね。なかなか、周りの人にも頼りにくいということもあるかも知れないでしょう?」

「そんなことありません」汀は心外だと言わんばかりに顔を上げた。「至さんはよくしてくれますし、和美さんも……。えっと、至さんに話しにくいことは、わたしに相談しなさいって。よくしてもらってます」

「そうは言っても、至くんはまだ若いし、自分のやりたいこともあるだろうし、荷が重いでしょう。経済的な面で処理できない問題も出てくるだろうし、わたしとしても、後は野となれ山となれとばかりに放り出すわけにはいきませんよ」

 と、ゆかりさん。


 結局のところゆかりさんはいたるを信用していないのだ。こういうのは汀の未成年後見人というゆかりさんの立場を考えれば当然なのかもしれない。至自身、汀の扱いに随分と戸惑っていたことも事実で、今日になってようやく解決の糸口のようなものに触れることが出来たと浮かれていたくらいなのだ。

 しかし問い詰めるようなことはしたくないと思い、見守っていた至からしてみればおもしろくないことだった。教育のことはよくわからないが、うまく走らないコードがあれば全てを解決してから公開したいと思う。少なくとも、一人で解決できるか否かを自分で見極めたいと思う。そういうことが大切なことだと、至は考えている。


「私はね、汀ちゃん。やっぱりあなたは家に来たほうがいいんじゃないかって思っているんですよ」ゆかりさんは神妙な顔で話し始めた。「そらみたことか、なんてあてつけを言いに来たわけじゃないんですよ。そこだけは誤解しないで欲しいんだけど――、」

「――汀ちゃんは、私たちを家族だとは思えないかも知れない。それはよくわかるわ。それならば、やっぱりお兄さんと二人のほうが気楽なのかもしれない。ただね、汀ちゃん、すぐに高校受験もはじまるでしょ? 汀ちゃんは成績もいいし、大学だって行くでしょ? それならば、もっと学業に集中できる環境に身をおいたほうがいいと思うの。もう冬休みに入るでしょ? 引っ越すんだったら、ちょうどいい時期じゃないかな、と思うのよ」


 けだしごもっとも。異論を挟む余地もない――が、至はこれ以上ゆかりさんに話を続けて欲しくはなかった。なんだかんだで至は汀との生活にも意義を感じていたのだと、このとき初めて気がついた。人に頼られる喜びか、力になりたいという想いなのか、単純に変化を楽しんでいるだけなのかはよくわからない。しかしもう少しこの生活を続けたいという至の想いの後ろ盾は汀の意志だけだ。至が口をはさむ道理はないように思われるのだった。


 すると矢庭やにわにナースチェンカが立ち上がる。居合わせた三人の人間はナースチェンカの挙動に注目する。初めて立ち上がったナースチェンカ、その様は生まれたばかりの子馬とは明らかに違う。ゆっくりだがプログラムされたようにスムーズだった。膝も腰も若干曲がっていて直立とは言いがたいが、確かに二本足で立ち上がったのだ。そして彼女は右手でゆかりさんを指し示し、声を発した。


「824アナスタシア、対象ヲ確認」機械的な抑揚の合成音声だった。「ドローンズ、ニ、ヨル包囲、ニ、カカル」


 極端に高い声で間延びした号令だが、次の瞬間には至のパソコンの棚の下から、手のひらくらいの大きさで黒光りする楕円形のロボットが十体ほど三人の方に向かってきた。その内の一体は落ちていたちり紙をタイヤに巻き込んでスタックした。スタックした個体に別の一台が追突して乗り上げた。ベースはラジコンカーなのだ。ナースチェンカの突然の直立、号令といい、妙な迫力に気おされるが、ロボットたちの動きはわりと間抜けだった。

 三人が唖然としていると、ロボット達は敵意を持ってゆかりさんを包囲した。そのうちの一体はナースチェンカのかかとに衝突し、ナースチェンカはバランスを崩して倒れた。

「なんなんですか?」ゆかりさんが驚いて尋ねる。

 倒れたナースチェンカはごそごそともがき、ごろんと上手に寝返りをうって、また声を発する。


「惑星セルポ、ヨリ電波ヲ受信……。対象ノ行動ヲ汀チャン、ニ、対スル、アブダクション、ト、ミナス。824アナスタシア、ドローンズ、ヲ、用イテ、対象ノ体液ヲ採取セヨ」


 至は慌てて立ち上がりパソコンへと向かった。正座で軽くしびれていた足は重たく、走ると前のめりになった。それでも何回か床に手をつきながら、至はラックの裏へと回る。

「警告スル。824アナスタシア、トノ通信ガ途切レタ場合ニハ……」

 そして至はケーブルを引っこ抜いた。ナースチェンカは通常の動きに戻り、そして飛ばないドローンズたちは沈黙した。

 至は何事もなかったかの様にコタツ机へと戻る。ゆかりさんはいぶかるような顔をしている。

「まったく……、」至が冗談めかしてつぶやく。「惑星セルポから電波が届くのに何十年かかると思っているんでしょうね」

 ゆかりさんと汀の二人はきょとんとしている。無理もないことだ。

「あの……、えっと……。あれも汀の事を心配しているんですよ」

 至は完全に活動を停止したナースチェンカに眼をやった。

 今の現象について長々と説明を始めるのも空気が違う。かといって完全に話の腰を折られてしまったな、と思案していると汀が話し始めた。

「ごめんなさい。あの……ゆかりさんにも、至さんにも心配をかけてしまって……」汀の口調、表情には明るく見せようというような意思が感じられる。「学校でけんかしてしまったのは事実です。でも……、昨日友達から電話もらって、相手の男の子が謝ってくれたというので、ちゃんと仲直りできます。お二人とも、親身になって私のことを考えてくださってありがとうございます――」

「――わたしは、ここに来ようと思ったのは、別に遠慮していたとか、いじけていたとか、そういうわけではないんです。もっと前向きに兄である至さんと暮らしてみたいと思ったし……。実は、母に遠慮していただけで、以前からもっと仲良く出来ればなって思っていたんです。今でも思っています。新しい生活は戸惑うことも多いし、学校ではけんかもしてしまったけど、でも友達だってたくさん出来ました。ここにいさせてください。お願いします」


 汀は至とゆかりさんの二人に向けてふかぶかと頭を下げた。

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