第五話 汀トゥギャザー
汀が最初に顔を覚えたクラスメート、向井さんとはまだ会話を交わしていない。実際に向井さんはあまり人に話しかけるというようなタイプではなく、給食も一人で食べていた。汀はそんな向井さんの姿が気にかかっていた。汀が向井さんのことを気にしていると目が合ってしまうことが何回かあって、そのたびにお互いの気まずさを交換した。
向井さんに対する興味を知られてしまっては接点を持たないままでいることも不自然な感じがする。汀は、有野さんと水村さんと三人でお昼を一緒していたのだが、思い切って向井さんも誘ってみないかと提案してみた。二人は嫌な顔せずに承諾してくれた。
「わたし、向井さんの前の席になったことあるよ」水村さんが言う。
「どんな子なの?」
「んー、やっぱり変わった子かな」
水村さんの返答は汀の予想通りだった。向井さんは、休み時間にはよく一人で広げたノートに何かを書き付けている。まれに手を止めては、虚空を凝視した。授業中もちゃんとノートを取っている様子で、特に国語の授業ではものすごい勢いでシャーペンを動かした。何をそんなに書き取ることがあるのだろうと不思議に思うほどだ。
「一緒に給食たべたりしなかったの?」
「実はね、何回か誘ったけど断られちゃったの」水谷さんは笑顔で言った「でもでも、本間さんも誘ってみてよ。仲良くなれたらいいじゃん」
有野さんも笑顔で頷くが、それを聞くと汀は少し自信を失った。
「向井さん、一人が好きなのかな……」
水村さんは、真っ直ぐで艶のある黒髪のボブで清潔感がある。有野さんは水村さんのことを、さおりちゃん、と下の名前で呼んだが、水村さんは、有野さん、と苗字で呼んでいて少し変な感じがした。
水村さんの髪型は向井さんと近いのだが向井さんのはおかっぱと呼ぶのが相応しく思えた。童顔というのも一因であるが、それ以上に不精な様子が彼女を幼く見せていた。制服のちょっとした乱れや寝癖、痛んだ髪の毛。中学二年生の女の子にしては野暮ったい。もちろん、二つ結いの汀が言うことでもないのかもしれないが。
いつもお昼になると、有野さんは机を後ろに向けて汀と向かい合った。水村さんは少し離れているので椅子だけを持って来る。この位置からだと向井さんの席は男の子の列を一列挟んだ斜め前になる。だから、気まずい視線を合わせるくらいしか接点をもたなかった人に声をかけるのも――まるで一人で給食を食べている向井さんを
汀は、数学の授業が終わるとすぐに向井さんに声をかけに行った。向井さんは数学の教科書と、ノートを二冊出したまま何かを書きつけていた。真剣そのもので、汀が近づいたことにも気がついていない様子だ。投げ出してあるノートは数学のものだが、いま向井さんが手にしているノートには絵が描いてあった。太陽らしきものと、土星のようにリングを持った惑星の絵、他にも星を表すような円がいくつか。決して写実的な絵ではなくて、太陽の絵はまん丸とそのまわりに、ちょんちょんちょんちょんと光を表す効果が施されている。惑星の方もかわいらしい絵で、公転軌道を表すかのような矢印が引かれている。
向井さんはその下に解読不能な文字を書きなぐっているところだった。それは確かに筆記体のアルファベットだったが、英語の様には思えなかったし、一文一文が括弧に括られていたり、ところどころ演算子が混じっていたりした。それを書き付けている向井さんは閃きが降りてきた瞬間のマッドサイエンティストのように真剣そのものだった。
「なに書いてるの?」
汀が尋ねると、向井さんはびっくりした様子でノートを勢いよく閉じた。机に視線を落としたまま汀の方を見ようともしなかった。見てはまずいものだったのかな、と汀は不安になった。
「向井さん、宇宙好きなの?」
向井さんは黙ったまま首を振り、落ち着かない様子でノートの角のところをぱらぱらマンガさながら繰り返し繰り返しめくっていた。
「向井さん、宇宙人なの?」後ろで男子の声が聞こえて、振り返ると隣の席の高橋くんが笑っていた。
なんてことでしょう、わたしのせいで向井さんがからかわれてしまった。汀は出すぎた真似だったかなと、肩を落とした。
「向井さん。あのね、よかったら一緒にご飯食べないかなって思ったんだ」
そう尋ねると、向井さんはようやく顔を上げてくれた。そして、
「わたしの席あそこだから、いつでも来てね」
精一杯笑顔をつくって、向井さんが頷くのを確認すると汀は自分の席に戻った。でも、すぐにまた高橋くんが声をかけてきた。
「おい、本間。気をつけろ、キャトられるぞ」
高橋くんは汀のすぐななめ前なのだ。なんか言ってやろうかとも思ったが、ことをややこしくしても向井さんを困らせるだけだと思ったので黙っておいた。
「本間さんも振られちゃった?」水村さんが言う。
「うん……。やっぱりおせっかいだったかなあ」
一人で食べた方が気楽だっていう人も居るだろう。それは分かる。でも……。
「なんでなんで。汀ちゃんに誘ってもらえたら絶対悪い気はしないよ」
有野さんの笑顔はなんだか人をほっとさせる。
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