第22話 飲んでいるか?
「もう少し、話をしていたいけど……時間のようだね。見回りが来たから帰るよ」
「お義兄様」
「アリアの顔が見れてよかった。じゃあ、またね?」
少しずつ近づいてきている足音が聞こえてきたので、元来た抜け道へと戻る。後ろからの視線が何か躊躇っているかのようで、少しだけ期待してしまった。
「まっ、待って! ジャス……ティス、様」
アルメリアに名を呼ばれ、すぐさま振り返った。こちらをじっと見つめて少し恥ずかしそうにしている。世間でいう『悪役令嬢』の欠片もない愛らしいその微笑みに僕の頬も自然と緩む。
「名を呼んでくれたね。ありがとう、アリア」
「待ってください。お部屋に……」
「さすがに許されないよ。未婚の女性の部屋に僕がいるなんて……。そんなことを許してしまったら、屋敷の警備隊は、みな減給にされてしまうだろ?」
本当は、もっと近くに行きたい。だが、今日のところは、茶化して終わらせることにした。側に行けば、抱きしめてしまうだろう。それくらい、僕は、アルメリアに想いを寄せているのだから。アルメリアにとって、まだ、義兄であるのだから、焦らずゆっくり距離を縮めるしかないけれど、今の僕には、どう考えても、そこまでの理性が働くとは思えなかった。
……アリアとこんなに長く離れ離れになったのは、初めてだからな。どう考えても、あの妹に『キモいから、やめて!』と言われる部類に属している自覚はあるんだけど。顔がいいだけで許される乙女ゲームと割り切れないし、ジャスティスを裏切ることだけはしてはいけないだろ?
「……そう、ですね。また、会いに来てくれますか?」
「どうだろう? 僕もしないといけないことがあるから、頻繁にはこれない。今度会うときは、レオナルドが用意したアリアの婚約破棄の承諾書類を書く日になるんじゃないかな」
「……そうですか。もうそろそろレオナルド様が、招待状を送ってくるとお父様が予想されます。近いうちに会えるのですね?」
「アリアは、僕がいなくて寂しいのかな?」
そんなわけはないよな。あのアリアのことだから……。
冗談めかして言ってみた言葉は、自身の横っ面を殴っていく。ポロっと流れた涙は、アリアの頬に一筋流れ、月に照らされ光った。
……嘘だろ?
「帰ってきてください。私の元へ……」
「……そうだな。いつか、帰るよ」
風がサーっと流れる。アルメリアの髪も優しく揺れていた。いよいよ、警備隊の足音も間近になってきたので、言葉にはせず、手を振って、足早に歩を進めた。後ろから、名を呼ばれたが振り返らず、「すぐに迎えにくるよ、僕のお姫様」と呟く。
抜け道を進んでいくと、出口に質素な箱馬車が停まっていた。ここから出入りしていることを見られるとまずいので、移動するまで待つしかない。
……弱ったな。こんなところに停まられては、さすがに出られないじゃないか。
木の陰からチラリと見ていると、そのすぐ近くで、大きなため息が聞こえてきた。
「ジャスティス様」
「……グレン?」
ため息の方を見れば、グレンが馬車で待っていたらしく、こちらを睨んでいた。
「出ていかれるのは構いませんが、今、ティーリング公爵家だけは、ダメだと言ったではないですか?」
「そうだが、アリアに一目会いたかったんだ」
「…………それで、会えましたか? アルメリアお嬢様には」
「あぁ、会えた。名を呼んでもらえたんだ」
自身でもわかるほどに、頬に熱がこもる。「よかったですね」と珍しくグレンが茶化すので、「あぁ」と素直に返事をした。
「このまま屋敷へ戻りますか? それとも、一杯飲んでいかれますか?」
「そうだな……少し、調べたいことがあるから、酒場へ行こう」
御者台に座り直すグレンに促され馬車に乗る。後ろの座席ではなく、グレンの隣の御者台へと飛び乗った。
「昔から言おうと思っていたのですが」
「なんだ? 不満でも?」
「どうして、御者台に座るのですか?」
「中に座ったら、目立つじゃないか。この格好で乗ったら」
お忍び用の服を着ているので、平民と変らない格好をしている。そんな僕が、えらそうに、馬車の中から出てきたら、明らかに貴族のお忍びになってしまう。グレンもきちんと、街に馴染むような服装であるので、並んで御者台にいるほうが、自然であった。
「それで、アルメリアお嬢様には、ジャスティス様のことを少しは見てもらえそうなのですか?」
「……だと、いいけどな。義兄がいきなり婚約者とか結婚相手なんて、驚くよな?」
「貴族間ではよくあることですからね。政略結婚のうちのひとつですが、昔から、ジャスティス様がアルメリアお嬢様を好きだったことはみなが知っていましたから、実ってほしいと屋敷のものは思っていましたよ?」
意外な話をされて、思わずグレンの方をみた。なんでもないようなふうだったので驚いた。
「何か変なこと、言いましたか?」
「いや、意外だったから、驚いただけだ」
「そうですか。私としては、ジャスティス様が主ですし、もちろん、王族であることも知っていたので、本来のあるべき姿に戻ったと思っています」
「本来のか。レオナルドと並んでいたはずのアリアなんだけどな?」
いつも隣に並ぶ二人のことを後ろから見ていた。アルメリアの隣は、絶対に手に入らないと思っていた。二人の微妙に距離が空いていたことをいつも疑問に思い羨ましくも見ていたが、レオナルドが他に想い人がいたからなのだと今さらながらに考えていた。
「国が決めた婚約でしたからね。アルメリアお嬢様は、ジャスティス様と一緒のときは、とてもイキイキとされていましたよ?」
「わがままが言えるからじゃないのか?」
「わがままを言えるのは、アルメリアお嬢様にとって、ジャスティス様だけだったのではないですか? どう考えてもレオナルド様では……」
グレンが、それ以上言葉にしなかったのは、レオナルドでは、アルメリアという女性を十分に理解できないと言いたいようだ。彼女以上に、レオナルドを支えてきたものはいなかったというのに。
ぼんやりとこれまでのことを考えていたら、馬車がガタリと停まる。目的の酒場に着いたのだ。
「1時間後に迎えに来ますので、程々に」
「わかった」と馬車を降り、扉を開いた。休み前だからか、街がとても賑わっている。
「ふぅ、ここの空気も久しぶりだな」
「おぉー! ティスじゃないか? 最近、見かけなかったが、元気にしていたか?」
酒場の店主が話しかけてくる。立て込んでいたため、なかなか、足を運ぶ時間がなかったので、僕が現れるとみながこちらを向いて手招きする。
「おっ、ティス! こっち来て飲めよ!」
「いいや、こっちだ!」
「そんな、むっさいおっさんばかりのところなんていくもんか! あたいら綺麗どころのところに……」
「なんだ、先約がいんじゃ、仕方ない。また、後でなっ!」
「悪いなっ!」
カウンターの隅で、グラスを傾けている青年を指さし、誘いを断る。俯き加減に、何か物思いにしている青年に話しかけた。
「よぉ! ジーク。飲んでいるか?」
肩を抱くようにガシッと掴むと、迷惑そうにこちらを見上げた。僕に気がついていなかったのか、驚きすぎて、ジークハルトは椅子から転げ落ちる。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですけど、何故、あなたのような人が?」
「息抜き。話がしたくて。ここに来る前にジークの噂話を聞いて寄ってみた。ここは、僕もよく来るお店だからな」
信じられないものでもみたというふうなジークハルトに手を差し出し、引っ張りあげた。
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