第13話 優しい義兄のように笑った

「さすがに疲れた……、少し眠る。誰も通さないでくれ」

「かしこまりました。お召し物は、いかがなさいますか?」


 グレンに言われ、着飾ってある服を見た。昨夜から……いや、正確には昨日の朝から、一睡もしていないので、そろそろ限界である。着替える時間も惜しくなり、ジャケットだけを脱いで、ベッドへ向かうことにした。

 グレンにジャケットを預け、大きなベッドに潜り込む。シーツが洗い立てなのか、石鹸の香りが、疲れた体を包み込む。

「おやすみなさいませ」と優しい声をかけられれば、すぐに夢の中へと落ちていく。


 静かな時間に心身とも疲れ切った体は、休息を堪能したようだ。


 目が覚めると、夕方だった。西日が当たる部屋なのか、カーテンがうっすら赤くなっている。


「ん……あぁ、よく寝た……」


 まだ開ききらない目を擦り、ぐぅっと伸びをした。体が固まったようで、節々が痛むが、睡眠のおかげで体調も多少よい。


「本当ですわ! 私が来てからも相当な時間が経つのに、お義兄様ったら全く目を覚まさないのですから!」


 寝室に女性の声。グレンに命令したはずなのに、当然のようにベッドの近くで本を読んでいたアルメリアがこちらを見て微笑んでいた。


「……ア、リア?」

「ふふ、お義兄様。寝ぼけていらっしゃいますの? お可愛らしい」

「か、可愛らしいとはなんだ。可愛らしいとは」


 慌てて起き上がろうとして、何故か眩暈を起こしたようだ。クラリと後ろに倒れそうになった。「大丈夫ですか?」と膝に置いていた本を落として、僕の介助をアルメリアがしてくれる。


「あぁ、すまない。こんなことは、なかったんだけど……もぅ、大丈夫」


 抱きかかえられている状況から、手でアルメリアの肩を押し返し目を瞑る。そぉっと目を開ければ、まだ、ぐにゃりと世界が歪んで見え気持ち悪い。


「グレン! お義兄様が!」

「どうかされましたが? ジャスティス様」


 アルメリアの呼びかけに、隣の部屋にいたグレンが飛び込んできた。アルメリアに介助されている僕を見て、グレンは目を見開いて駆け寄ってくる。


「たいしたことではないよ。少し目が回っているようで、さっきよりましだ」


 きちんと座り直し、居住まいを正す。ベッドに腰掛けているアルメリアは心配そうにこちらを覗き込んでいるし、反対側からは気遣いの視線がグレンからある。

 脈を診ると手をグレンに任せると特に何もないと言ってくれる。


「心配しすぎだ。ちょっと寝ていなかったのと、逆に寝すぎたので、脳が麻痺をしただけだから。二人とも……」

「でも、お義兄様」

「……大丈夫だ、アリア。心配ない」

「……わかりました。あとで、医者に診てもらってくださいね?」

「必要ない」

「……」

「本当に大丈夫だから。なっ? グレンも言っていたじゃないか」


 手近にあったアルメリアの手を取り優しく包むと、険しい顔から少し和らいだ。それを見て、グレンも少しだけ気を抜いてくれる。


「お義兄様、もしかしたら、糖分が足りないのかもしれませんよ? 昨夜から、ずっと、頭をつかっていらっしゃったことですし。持ってきましたから、食べてください!」


 サイドテーブルに置いてあったクッキーを問答無用で口に突っ込まれる。優しい甘さを感じたあと、サクッと崩れるクッキーはとてもおいしかった。


「おいしいな」

「本当ですか? お義兄様が、王宮へ登城されている間に焼いたのです。嬉しい!」

「……アリアが焼いたのかい? どうりで、世界一美味しいはずだ!」

「大袈裟ですわ!」


 クスクス笑うアルメリアは昨夜のことを全く感じないほど、落ち着いていて、可愛い笑顔を向けてくれる。

 正直なところ、ホッとした。婚約破棄だなんて、令嬢にとっては、心の傷にでもなりうるような出来事のようだから。


 ……よかった。いつものアリアで。


「……」


 変わらないアルメリアだと思っていた次の瞬間に表情が曇った。


 えっ? なんで? さっきまで、笑っていたのに……? 僕、何かしたのかな?


「どうしたんだい? アリアにそんな顔は似合わない。やっぱり、昨夜のこと……」

「……違いますわ!」

「なら……、何があるんだ?」

「……さ、まが、……って、きて……ら……」


 少し、もじもじしたように小さな声でほとんど聞き取れない。プイっと顔を背けられてしまい、こちらを見てほしいと思った。


「アリア」

「……」

「もう一度……。なんて言ったんだい?」


 アルメリアは大きく目を見開いて、こちらを見ている。頬は何だか少し赤く染まっているが、少し拗ねたような表情に変わっていく。


「お義兄様が、私のところへ帰ってきてくださらないから!」

「……から?」


 寂しいのだろうと思った。たった4年でも兄妹だったのだ。いつも側にいたものがいなくなってしまったことに慣れないのかもしれない。


 今、どんな表情をしているのかな? 僕。アリアに求められているって知って、嬉しくて、今すぐ抱きしめてしまいそうだ。


「もぅ! 意地悪ですわ! お義兄様なんて嫌いです!」

「嫌わないでくれ、アリア。僕は、アリアのことが大好きだから!」

「……そ、それは、……義妹としてですわよね?」


 おそるおそる確認するように、僕への質問をした。つい昨日まで、他の……レオナルドの婚約者だったのだから、僕を探るような質問は仕方がない。


「アリアは、僕にどう答えてほしいんだい? 僕は、今のところ、アリアが聞きたい答えを言ってあげる」

「……今のところはですか?」

「そう。今のところは。アリア、」

「はい、お義兄様」

「ひとつの質問とひとつのお願いをしてもいいかな?」

「……えぇ、構いません」


 たったひとつの質問とお願いをするだけで、緊張してしまい、ふぅっとひとつ息を大きく吐く。


 僕だって緊張はする。本当のジャスティスなら、もっとスマートにこの愛しい女性に対して、愛を囁くことができるだろうが、僕には無理だ。19にもなって、恋人おろか好きな人もいなかった。

 初めて好きになったのが、義妹アルメリアだなんて……恥ずかしすぎて、言えないくらいだから。アルメリアに一目惚れをした点は、ジャスティスと一緒だけど。


 クスっと笑ってしまい、訝しむアルメリアに向き直る。


「アリア、どうしてここにいるんだい?」

「どうしてって……それは、その……」


 昨夜の女王のような気品に満ちたオーラのようなものは消え、叱られる前の子どものようにソワソワし始める。答えはわかっていても、その仕草が愛おしい。


 僕が質問した本当の意味をアルメリアは分かっているのだろう。グレンにお願いをして、ここにいるのだから。そんな可愛い表情をしたら、泣かせたくなるじゃないか。


 どう答えたらいいのか、一生懸命考えているのだろう。少々眉間に皺を寄せていた。どう答えても、きっと、『お義兄様のことが、心配で』って言葉になる。その『お義兄様』が、兄妹としての意味しかないことは分かっていた。

 今更、僕を見てくれとは、難しいのかもしれない。これから、何年もかけて、二人の関係性を変えていかなければならいのだから。


 どうやら、答えはまとまったらしい。アルメリアはこちらを見つめて、不安げに話し始める。


「お、お義兄様のことが、心配だったので、お父様に問いただし、ここへ」

「そう。でも、養父上には、こう言われなかったかい?」


 可愛らしく小首を傾げているが、聞いているはずだった。それを押し切ってでも、ここへ来てくれたことに嬉しい気持ちもあるが、今は突き放すべきだと考えた。

 僕の表情が変わったことに怯えるアルメリア。僕が今からいう言葉をまさに養父からも言われたのだろう。


「……お義兄様のことを心配することは、いけないことなのですか? 今、お義兄様が言おうとしていること……、確かにお父様にも言われました!」

「と、いうことは、僕が言おうとしていることは、わかっているんだね? それをふまえ、もう一度言おう。どうして、ここへ?」

「……心配だったからでは、いけないのですか?」

「確かに。義理とはいえ、兄妹だからね。義妹から心配されることは、悪い気はしない。ただ、アリアもよく考えても欲しい。どうして、アリアと僕が離れなくてはいけなくなったのか、養父上が僕に会いに行ってはいけないと言ったかを」

「お義兄様と……私が、離れないといけない理由……ですか?」

「あぁ、そうだ。兄妹といえど、僕とアリアは血が繋がっていない」


 ハッとしたような表情となるアルメリア。その意味を、理解したのだろう。


「……そういうことだ。だから、養父上は僕をアリアから離したんだよ」

「それじゃあ……」


 僕を見上げるアルメリアの表情は、驚きと戸惑い、あとは、読み取れない感情が混ざり合っていた。


「そんな、お義兄様」

「嫌かい? 僕では」

「……」

「そのあたりは、少し時間があるから、じっくり考えるといい。アリアが僕のことを拒絶するならそれでも構わない。そのときは、養父上にきちんと伝えるんだ。そうしないと、後悔することになるからね」

「お義兄様はいいのですか? 私との……政治の道具になるのですよ? 女の私は覚悟の上でしたが……」


 ふっと笑う。叶わない望みが、ひょんなことから叶いそうなのだ。ジャスティスが喜ばないわけがない。

 アルメリアの頬をそっと触る。一瞬、ビクッとしたように肩を震わせたが、こちらをジッと見つめ返してきた。


 ……あぁ、愛しいアリア。


「政治の道具? 僕が1番叶えたい願いだったよ、アリア。出会ってからずっと、僕は、アリア以外を特別な女性として想ったことなんて一度もない」

「……!」


 アリアの頬から手を離し、優しい義兄のように笑った。

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