炎の罪人
「えーっと、角を曲がって三番目の建物……」
冬の残滓のような冷たい風を受け、少しかじかんだ手で建物を順番に指さしながら、私は目的地に向かっていた。数ヶ月前、この
「ごめんくださぁい!」
事務所の扉を軽く叩き、声をかける。しばらく待っていると、ぶかぶかの茶色いコートを着た小柄な少女が出迎えてくれた。高校生にしては随分背が小さいから、恐らく妹なのだろう。細い手首に対して袖口がかなり広く、かえって寒そうだ。彼女は私を一目見て、大きな声を上げた。
「でっっっっか!!」
「ええーっ!?」
確かに私は背が高い方だが、これほど驚かれたのは初めてだ。お互いに戸惑ってしまったが、彼女の方が先に立ち直って声をかけた。
「いや、失礼。少し取り乱してしまったね。ごきげんよう、依頼かい?」
「えっと、来亜さんに用があって来たんだけど……妹さん、かな?」
私の言葉を聞いた彼女は突然むっとしたような表情をして、ぶっきらぼうに答える。
「……お探しの来亜さんなら、ここにいるが」
「えっ!? その、すみません!」
「まあ構わないさ。こういうことを平然と受け流してこそ、大人というものだからね」
「は、はあ……」
何だか、ひどく調子が狂う。まだ事務所の中に入ってすらいないのに、既に予想外のことだらけだ。客間に迎えられ、足を組んで椅子に腰掛けている来亜と向かい合う。
「それで、君は?」
「あ、私は
「そうかい、それじゃあ私より五つ年上か」
「え?」
彼女は私と同じ高校の一つ上の先輩だと聞いていたので、その返答に驚いた。私の反応を見て、彼女はいたずらっぽく笑った。
「もちろん、嘘だよ!」
「な……!」
空言来亜は嘘が大好きだ。話す時には気をつけた方が良い。そう噂には聞いていたのだが、これほど自然に嘘を差し込んでくるとは思わなかった。
「まさか本当に年下だと思いはしないだろうけどね。私の方が一つ上さ」
「ほ……本当に嘘つきなんですねー……!」
「おや、人聞きが悪いな。嘘つきではなく、ライアーと言ってくれ。私は人を騙したくて嘘をつくんじゃない。嘘を愛してやまないから嘘をつくのさ」
むしろ、その方がタチが悪い。思わずそう言いかけたが、それは彼女も分かっていることだろう。騙されたばかりだが、そう信じたい。
「それで、用件は何だい?」
「あっ! その、私……依頼というか、お願いがあって」
「ふむ……お願い、か」
彼女は口もとに手を当て、私の話を聴く姿勢を見せる。それを見て、私は自分の願いを打ち明けた。
「私を……ここで雇ってくれませんか?」
彼女は驚いたように少し目を見開いた。しかし、すぐに目を閉じて悩み始めてしまった。
「助手でも雑用でも、ボディーガードでもやります! 私、体力にはちょっと自信があるので! ダメ……ですか?」
「いらないと言えば嘘になるが……生憎、私にはもうバディがいてね。それに、私はまだ学生の身だ。人を雇うには色々足りないのさ」
「足りないって……身長とか?」
他に足りないようなものが思い当たらず、つい口が滑ってしまった。それを聞いた彼女は、一切動揺するそぶりを見せずに冷たく言い放った。
「前言撤回だ、君は不採用。依頼がないなら帰ってくれたまえ」
「そんなぁー!!」
こんな状況になってしまった以上、もう打つ手がない。そう思って帰ろうとした矢先、誰かが階段を下りてくる音と、私たちとは違う女性の声が聞こえてきた。
「どうしたの、来亜? 一体なんの騒ぎ?」
「……ああ、姉さん。ここまで下りてくるなんて珍しいね。でも、もう騒ぎは終わるところだよ」
その声には聞き覚えがあった。振り返って姿を見ると、そこには肩や袖が随分伸びている服を着た女性が立っていた。
「……アリア先生?」
そんな格好でも、一目で分かった。彼女は今急激に売れ行きを伸ばしている作家のアリア先生だ。秀逸な言葉選びが人気で、書かれていることがその場で現実になっているように感じられると評判だ。小説を書くだけでなく、テレビやラジオにも時々出演しているから、声や姿も覚えていたのだ。
「本物の先生だぁー!」
「あら、私のことを知っているの?」
「もちろんですよ! 私、昔から先生のファンなんです! ちょうどここに来る時にも先生の本を読んでたんですよー!」
「本当? 嬉しいわね!」
「あ、私は江寺奈緒です! よろしくお願いします!」
それは、本当に偶然だった。先生がここにいるなら、なおさらここで諦めるわけにはいかない。何とか頼みこもうとした矢先に、来亜が割って入ってきた。
「君、もう用は済んだだろう! 帰って勉強でもしたまえ! とにかく君は雇わないからな!」
「あら、この子は来亜に雇ってもらいたくて来ているの?」
「ああ。そうとは思えないが」
「物好きねえ」
「全くだよ」
二人の物言いには、全く遠慮がなかった。確かに来亜は少し変わっているが、そこまで言い切るほど悪い人とは思えない。それなら、私の方がよほど────
今度は口を滑らせずに済んだ。
「でも、この子を雇うなら助手になるわけでしょう? 何だか探偵らしくて良いじゃない! 私も手伝ってもらおうかしら?」
「姉さん、そういう安請け合いはするものじゃない。この場は私が収めるから、作業を進めていてくれ。締め切りも近いんだろう?」
「来亜、口にしてはならないことを口にしたわね」
先生がそう言った直後、事務所のドアを強く叩く音が聞こえてきた。そのままガチャリと音を立ててドアが勢いよく開く。
「あ、そういえば鍵かけてなかったな」
「もう、何回言ったら直るの……」
仮に入ってきたのが不審者だとしたら、助手としての有用性を見せる機会になるかもしれない。そう思って真っ先に玄関に走ると、そこに居たのは私と同じ神土高校の制服を着た少女だった。顔は青ざめていて、ひどく憔悴しているようだ。
「た、助けて……! 私……殺される!」
後から来た二人に説明し、少女を客間で休ませる。しばらくして顔色が戻ってから、私たちは彼女に話を聞いた。
「さて、まずは君の名前を教えてくれ」
「……私は小野七奈。神土高校の二年生」
「私と同級生なのか。申し訳ないが、全く記憶にないな」
「そんなものさ、私も名前すら知らない同級生の方が多い。君は有名人だけどな」
七奈と名乗った少女は、ずいぶん落ち着いていた。さっきは焦っていただけで、普段は気丈な人物なのだろう。その様子を見て、来亜は本題に入る。
「では……そろそろ用件を聞いても良いかな?」
「ああ……このままだと、私は殺されてしまうんだ。美姫の呪いで……!」
「……君は話が下手だな! もう少し順を追って話してくれるかい?」
来亜にそう言われ、七奈は一度深呼吸してからぽつりぽつりと語り始める。
「……元々、私たちは八人のグループでよく一緒にいたんだ。だけど、一年前に突然その中の一人……白雪美姫が死んだ。家族以外には死因を伝えないでほしいって本人が言ってたみたいで、私も未だに死因を知らない」
「なるほど、私がその話を知らないわけだ。学校も適当なことは言えないだろうからね」
「……ついこの前、グループの一人の下駄箱に手紙が入ってたんだ。待ち合わせの手紙だった。ラブレターかもってはしゃいでたその子は……次の日遺体で発見された」
七奈は目を伏せながらそう言った。何か思うところがあるのか、来亜は彼女をじっと見つめて話を聞いていた。
「それから数日に一通ずつ、グループの子に手紙が届いた。そして、皆死んだ。もちろん待ち合わせ場所に行かなかった子もいたけど、その日に火事が起こって家族もろとも死んだ。昨日の夜、友達から電話がかかってきたんだ。助けてって声が聞こえた後、電話はすぐに切れた。でも、結局怖くて何もできなかった……!」
話したことで恐怖が蘇ってきたのか、七奈はぐっと拳を握って固まってしまった。その一方で、恐怖に抗うように話す声は大きくなってゆく。
「やっぱり……美姫は自殺して、私たちを呪ったんだ! 私たちは普通に接していたつもりでも、あの子にとっては苦痛だったんだ! 時々、急に苦しそうにすることもあった! それなのに……!」
「待ちたまえ、証拠もないのに断定するのは……」
来亜の言葉を遮って七奈は叫ぶ。
「残された七人のうち、六人が死んでるんだぞ! この状況が何よりの証拠だ!! これが呪いじゃないなら、私たちは何でこんな目に……!」
七奈は涙を流しながらその場にへたり込んだ。死への恐怖だけでなく、その原因が一切説明されない理不尽さも彼女の心を蝕んでいる。来亜もそれに気付いたようだった。
「……ふむ。この事件は、解決だけでなく解明も必要というわけか」
「……助けて、くれるのか……?」
「もちろんさ。滅多に出会えないような大事件だからね!」
これだけ凄惨な事件の話を聞いたにもかかわらず、来亜の目は輝いていた。どうやら正義感に燃えているわけではなく、ただ大きな事件に関心を抱いているだけらしい。やっぱり、彼女も悪い人なのかもしれない。
「明日から調査を始めよう。大船に乗ったつもりでいたまえ!」
「そっか、ありがとう! じゃあ、これ……」
「ん?」
「参考になるかもしれないし、自分で持ってるのは怖いからさ」
七奈は鞄から手紙を取り出して来亜に見せた。そこには待ち合わせの場所と日時が書いてあった。場所は学校の近くの公園で、日時は────明日の二十二時。
来亜は引きつった笑顔で手紙を受け取った。
「思ってたのと違う!」
七奈にひとまず先生の部屋で待機するように言った後、来亜は開口一番にそう言った。
「確かに、安請け合いはするものじゃないわね」
「その……間に合うんですか?」
私は不採用となった身だが、つい心配になって尋ねた。答えは即座に返ってきた。
「もちろん平気さ! 何を心配しているんだい?」
「ごめんなさいね、追い詰められると姉妹揃ってこうなるの。もし良かったら、あなたも手伝ってくれる?」
「……はい! もちろんです!」
待ちたまえ、と少し焦ったように来亜が割り込む。
「姉さん、勝手に決めないでくれないか!」
「でも、他に頼れる相手もいないでしょう? 私は締切が近いからちょっと忙しいわねー」
「く……!」
来亜は苦い顔をしながらこちらに向き直り、軽く咳払いをした。
「……奈緒、君は仮採用とする。バディではなく助手として、だ。今後のことは、この一件での活躍次第で考えるとしよう」
「やったー! 私、頑張りますから! 先パイも先生も、どんどん頼ってくださいね!」
「……ふむ。先輩、か……」
来亜は顎に手を当ててそう言った。もしかしたら、いきなり距離を詰めすぎてしまったかもしれない。
「あ、もしかして嫌でしたか……?」
「……いや、悪くない」
彼女は少し余った袖ごと腕をぶんぶん横に振って答え、上機嫌に声をあげた。
「さて、それじゃあ早速行こう!」
「はい……って、どこへ?」
「まずは七奈にもう一度話を聞く。彼女も少しは落ち着いただろう。彼女が友達と待ち合わせ場所の共有をしていたなら、そこに向かう。それと、白雪美姫と関係のある人物に心当たりがあるかどうかも聞いておきたい」
「なるほど……」
来亜が急に探偵らしい振る舞いをしてみせたので、思わず目を丸くした。彼女は自信に満ち溢れた様子で私の二の腕の辺りをポンと叩いた。おそらく、肩を叩きたかったのだろう。
「君はここで待っていたまえ。ここは先輩の役目だからね!」
「は、はぁ……」
しばらくして、来亜が携帯電話を持って部屋から出てきた。様子を見るに、期待した通りの情報を得られたらしい。彼女は携帯を懐にしまって私の方に駆け寄り、袖を掴んで引っ張った。
「前回の待ち合わせ場所はこの近くの工場跡だ! まだ遺体が見つかっていないかもしれない! 急いで調査するぞ!」
「せ、先パイ! わかりましたから引っ張らないでくださーい!」
工場跡の奥深くまで進むと、ドレスを着た少女が倒れているのが見えた。その傍にはかじった跡のあるリンゴが置かれていた。リンゴは少し色がくすんでいて、どこか毒々しいように感じる。
「これ……!」
「まるでおとぎ話のようだな。お姫様が蘇らないというだけで、タチの悪い事件に早変わりだ」
「……やっぱり、恨みがあったんですかね?」
「さあ、まだ断定はできないね。それにしても……君は遺体に随分慣れているんだな」
そう言われて初めて気が付いた。こんな状況、普通はとても冷静ではいられないのだ。
「こ、こわーい! 人が、死んじゃってます!」
「何を隠してるのか知らないが、君は嘘が下手だな。まあ構わないさ、慌てて喚くよりはよっぽど良い……っと」
来亜はそう言いながら、少女の着ているドレスの裾をめくった。彼女の突然の行動に驚いて、思わず手で顔を覆う。
「なっ! ちょっと先パイ!」
「おや、何か見つかったかい?」
「見つかったというか、見損なったというか……」
「何の話だ? ほら、顔を隠してないで君も見たまえ」
来亜に言われて仕方なく手を下ろすと、少女の足は真っ黒だった。火傷なんてものではない。形を保っているのが不思議なほど、ひどく焼け焦げている。
「これって……!」
「いくら人通りのない場所とはいえ、普通野ざらしにはしないだろう。犯人にとって、この遺体は見つけてほしいものだったんだ。つまり、ここに犯人の仕込んだ嘘があるというわけさ」
「……」
「姫とリンゴ、ときたら毒殺を疑うだろう。おとぎ話は多くの人が知っている分、強力な色眼鏡を押し付ける。犯人はそれを利用したんだ」
「……先パイ、すごいですねー!」
凄まじい速さで来亜は犯人の思考を紐解いた。少し強引なところがあるが、やはり彼女は間違いなく優れた探偵なのだ。私はあまり頭が良くないから、ただ感嘆するばかりだった。
「少しは見直してくれたかい?」
「……それはそれ、ですけど」
「さて、今日の調査はこれで十分だろう。明日、学校で聞き込み調査をする。そして犯人を絞り込んで解決、という流れだ」
「はーい……って、このままだと私、不採用ですよね……」
一抹の不安を覚えながら、帰路についた。事務所に戻ると、先生がご飯を用意して待っていた。今日は遅いし客間に泊まっていっていいからね、と言ってくれたので、その言葉に甘えることにした。
寝入ろうとしたが、うまく寝つけなかった。人の家に泊まったことがほとんどないからだろうか。
あるいは────あまりに静かな夜だからだろうか。
隣の部屋から微かに声が聞こえてきた。傍で寝ている七奈は気づいていないようだ。壁際に寄ってみると、話している内容がはっきりと聞こえた。
「ご機嫌麗しゅう、お姉様」
「……頼み事は何だ? どうせろくでもないことだろうが」
「話が早くて助かるよ。七奈と全く同じ格好を用意してくれ。身長も同じにしたい」
「……分かった。夜までに二人に説明を済ませておけ。全く、締切も近いというのに……」
「今度ペンでも買ってきてあげるから。それじゃあ、おやすみ」
「はいはい……全く、とんだ不当契約だな」
先生の呆れたような声で会話は終わった。先生は日中とは様子が違うようだったが、似たようなことが私にもよくあるので気にしないことにした。それにしても、なぜ来亜はあんな頼み事をしたのだろうか。ない知恵を絞って考えているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
翌朝、計画通りに学校での聞き込み調査に取りかかった。昼休みと放課後に聞いて回るつもりだったが、七奈から名前を聞いた人数が思ったよりも多く、朝から始めないと全員に話を聞けないと判断したのだ。友達や部活の先輩と後輩、果ては担任の先生にまで、白雪美姫に関して知っていることや、七奈たちのグループの印象について聞いて回った。
「あの子たち、気の毒だよね……少しヤンチャだったけど、白雪さんに悪意を持ってはいなかったはずよ。それなのに、こんなことになっちゃって……」
「白雪先輩は……よく、わかんないな。ミステリアスというか、何を考えているのか分からないことが結構あったよ」
「白雪さん? ああ、確か亡くなる直前は学校を休んでいたね。学校に行く余裕が無かったのかな」
結局、ほとんどの人は同じような印象を抱いているようだった。放課後になって、残ったのは三人。中学の頃から付き合いのある先輩、美姫の幼馴染、去年の担任の先生だ。
「……美姫が亡くなる数日前に会ったんだけど、ひどく落ち込んでるようだったね。でも、相談に乗ろうかって言っても首を横に振るばかりでさ。悪いね、結局わからずじまいだ」
「……知らない。他の子が話していたのと大体同じよ。何を考えているのか分からない……幼馴染でもね」
「そうだなあ……勉強はよくできていたけど、口数が少ない子だったから、それ以上のことは分からなかったな。何かあるかもしれないと思って頻繁に話はしたけれど、何も教えてもらえなかった。時々いるんだけどね、隠すのが上手な子。彼女もそういう子だったのかもしれない」
結局、核心に近づくような情報を得られたようには思えなかった。恐る恐る来亜に尋ねる。
「やっと全員から聞けましたねー……ほんとにここから犯人を絞り込めるんですか?」
「……無理だな!」
「えー! じゃあもしかして、やり直し……ですか?」
「まさか。やり方を変えるだけさ。犯人は誰でも良いものとして、解決に踏み切る」
彼女の言うことは、まるで分からなかった。一日中奔走していたから、彼女も疲れているのだろうか。
「先パイ、一回休みます? 疲れてるんじゃないですか?」
「心配無用だ。犯人の狙いは明らかに依頼人のグループの殺害だ。だから、犯人はもう一度事件を起こさなければならない」
そこまで聞いて、ようやく私にも見当がついた。
「……まさか」
「そう、体当たり調査だ! 少々危険だが、君の力を見せてもらう良い機会にもなるだろう!」
彼女は胸を張ってそう言った。私には好都合かもしれないが、それで彼女が危険な目に遭っては意味がない。何とか方針を変えさせようと考えていると、もう一つの聞き込み先を思いついた。
「そういえば……白雪さんの家族には聞かなくて良いんですか?」
「一年経ってもまだ死因すら明かしていないんだし、恐らく初対面の相手には何も話してくれないだろう。それに、まだやることが残っているからね」
「やること?」
「ああ、一度事務所に戻ろう。七奈にも一緒に説明したい。そろそろ用意もできているはずさ」
それから事務所に戻って、七奈と一緒に来亜の話を聞いた。日は既に落ちていて、約束の時間が迫っていた。悠長に話している時間はない。
「それじゃあ、作戦会議をしよう。私が七奈の変装をして待ち合わせ場所に向かい、犯人を押さえて洗いざらい吐かせて解決する。以上だ」
「ちょっと待ってくださーい! 私の出番が全くありません!」
「仕事は自分で勝ち取りたまえ。助手とはいえ、探偵業に関わるのならばね」
来亜は私の抗議をバッサリと切り捨てた。しかし、私だけではなく七奈も作戦に疑問を抱いているようだった。
「そもそも私の変装って……そんなことできるのか?」
「できるさ。準備も済んでいる」
「何とかできたわー。七奈ちゃん、サイズはこれで合ってる?」
見計らったように、ちょうど先生が服を持って部屋から出てきた。七奈は服を見て、困惑しながらも頷いた。
「合ってるけど、こんなのいつの間に……」
「姉さんの部屋で話を聞いた時、写真を撮っただろう? そこから君の服装と同じものを作ってもらった」
「なるほど……って、そうじゃなくて! 私と同じサイズの服を空言さんが着ても……」
彼女も私と同じように来亜の逆鱗に触れてしまったかと思ったが、意外にも来亜は落ち着いていた。むしろ表情は自信と余裕に満ち溢れ、胸を張っている。
「その備えもしてあるさ! そうだろう、姉さん?」
「もちろんよー!」
そう言って先生が取り出してきたものを見て、私たちは言葉を失った。私と七奈だけでなく、来亜もだ。
「……まあいいさ! 一晩の仕事としては上々だろう! 私もそれに応えなければね!」
一気に不安になってきたが、もう時間もない。私が、来亜を守らなければならない。改めて強くそう思った。
二十二時。変装を済ませた来亜とともに待ち合わせ場所に着いた。私は物陰に隠れ、様子を見ていることにした。そこにいたのは、美姫の幼馴染だった。来亜はカツカツと足音を立てて前後にふらつきながら、その姿を見ていた。
「……約束通り来たわね」
「……」
「随分足取りが悪いようだけれど、恐怖で上手く立てないのかしら?」
「……」
来亜は喋らない。話す余裕がない、と言う方が正確だろうか。犯人はその様子を見て微笑みを浮かべ、名乗った。
「最後の挨拶をしておくわ。私は金山羊子。美姫の……幼馴染よ」
「……これはこれは、ご丁寧にどうも!」
彼女はそう言って変装を解いた。昼間と同じ、袖の余ったぶかぶかのコートが姿を現す。同時に、それまで彼女が乗っていた竹馬がカランカランと音を立てて倒れた。
「竹馬!?」
「……そっちに目が行ってしまったか」
来亜は不満げに頬を膨らませた。慣れない竹馬で疲れたのか、足は少し震えている。
「まあいいさ。ごきげんよう、金山さん。体を張った大嘘はいかがだったかな?」
「空言さん……どうしてここに!」
「依頼を受けてね。事件を解決しに来た。それだけさ」
「……そう。邪魔をするなら死んでもらうわ」
羊子はただの人間とは思えない殺気を来亜に向けて放っていた。彼女にあるのは執念だけではない。何か、隠している。
羊子が来亜に人差し指を向けると、その先が微かに赤く光る。それを見て咄嗟に飛び出し、来亜を抱えて走った。
「先輩、危ない!」
「うわっ!?」
走りながら後ろを振り返ると、赤い光は大きな炎に姿を変え、さっきまで来亜がいた場所を焼き尽くしていた。
「いやあ、助かったよ! まんまと焼け死ぬ所だった。それで……そろそろ下ろしてくれても構わないのだが」
「先輩、一旦このまま退避します! 掴まっていてください!」
「あ、ああ……わかった」
来亜は思いのほか冷静だった。私だけで羊子を止めることも考えたが、その必要はないかもしれない。
「どこに逃げても無駄よ!」
「奈緒、工場跡に誘導してくれ!」
頷いて、来亜の指示通りに工場跡へ向かう。昼も夜も人通りはほとんどないし、近くに住宅地もない。あそこなら、周囲に危険が及びにくいだろう。
壁から壁へ跳び移りながら、ある程度高いところまで辿り着き、そこで来亜を下ろした。ちょうど羊子が敷地内に入ってきたのが見えた。誘導は成功したようだ。
「しかし……恐らく魔女の類か、あれは。どう止めたものか……」
「先輩、ここは私に任せてください! 採用かかってるので!」
「何か急にしゃっきりしたな、君……」
「それは……少し、話せば長くなります」
「そうかい、じゃあそれについてはまた後日だ。私からも手短に作戦を伝えよう」
来亜はそう言って手招きした。屈んで耳を貸すと、彼女は一言だけ私に指示を出した。
「それだけ……ですか?」
「ああ。指示はその都度出すから、それには従ってくれ」
「でも、こんな簡単な……」
「勘違いされやすいが……こういうのは単純であればあるほど良いんだ」
来亜は不敵に笑っていた。炎を操る魔女を前にしても、彼女は勝利を確信している。今度は虚勢ではないことが、何となくわかった。
「それと……これを」
「これは?」
来亜が手渡したのは銀のナイフだった。武器なら私も持っているのだが、丸腰だと思っていたのだろうか。
「『人狼事件』を解決した時に使ったナイフだ。退魔には銀……というのは有名な話だからね」
「……わかりました。使わせてもらいます」
ナイフを受け取り、地上に向かって跳んだ。来亜も私を追いかけて、近くの階段を下りる。高所にいれば炎は届かないが、炎の音にかき消されて指示も届かなくなる。危険だが、来亜も私の近くにいるしかない。
「ようやく見つけたわ。辺り一帯を焼き尽くそうかと思ったけど、その必要は無さそうね」
羊子が私たちを見つけ、笑みを浮かべる。そして、私の方に指を向けた。即座に炎を回避し、一気に距離を詰めて羊子の首を手刀で叩く。しかし、羊子の首は鉄のように硬く、逆に私の手に痛みが跳ね返ってきた。
「かっ……たあ!!」
「気を付けろ、奈緒! 魔女は悪魔から力を受けた存在だ!」
羊子にも聞こえるように来亜が叫ぶ。明らかにただの人間ではないとはいえ、彼女はまだ魔女であると明かしたわけではない。来亜は羊子の反応を見て、その確信を得ようとしているのだ。
「仕掛けにしろ、実物にしろ、必ずどこかにいるはずだ! 彼女に力を与えている────悪魔が!」
「魔女……ね。半分正解といったところかしら……姿を現しなさい! フラウロス!」
羊子が叫ぶと、彼女の傍に豹のような姿をしたものが現れた。来亜はこの事態を想定した上で、私に銀のナイフを渡したのだろうか。
「フラウロス……炎を操る悪魔だ! 奈緒、やはり羊子は……」
「魔女……ではないわ。魔女は悪魔に魂を売る存在だけれど、私は違う。悪魔を従えているのよ」
「悪魔を、従える……!」
私たちの追っていた犯人は、想像以上に強大だった。しかし、来亜は平気な顔をして黙っている。普段の子どもらしい外見と立ち居振る舞いが全て嘘だったのかと疑いたくなるほど、彼女は落ち着いている。
「なるほどな。さっき奈緒の手刀が弾かれたのは、その悪魔が庇ったからか」
「そうね。その子も人間離れしているけれど、悪魔には及ばないでしょう」
羊子の一言で、鼓動が一気に早まった。そうだ。私たちの目的は、事件の解決と解明。だから、羊子は降伏させる必要があった。
だが、悪魔が相手なら、私は戦っても良いのだ。
悪魔なら────生かしておく必要はない。
「甘く……見るなッ!!」
地を蹴って、悪魔に向かって一気に接近する。悪魔は口から炎を放ちながら後退した。炎を避け、止まらずに悪魔のもとへ向かってゆく。鼓動がさらに早まる。微かに口角が上がる。頬を掠めた熱気が、私を享楽の中に引きずり込む。
その爪が、牙が、炎が、私の命を奪い取ろうと立て続けに襲いかかってくる。来亜にもらったナイフを振るい、悪魔の腕を切り落とす。鉄のように硬い皮膚が、嘘のようにあっさりと切れた。
「ガァッ……!」
「効いた!」
私が悪魔と戦っている間に、来亜は羊子に一歩ずつ近づいてゆく。彼女はいつの間にかコートから取り出していた手錠を得意げにくるくると回していた。
「さて……君が魔女じゃなくて良かったよ。ただ悪魔を従えているだけなら……今の君は丸腰だということだからね」
「く……! まだよ、フラウロス!」
羊子が叫ぶと、悪魔は切れた腕を再生して炎を放った。やはり、この手の敵は心臓を貫かなければ倒せないようだ。
「奈緒、炎が来るぞ! 右に避けろ!」
「はい!」
指示通り、右に避ける。
「もう一度だ! 右に避けろ!」
「……はい!」
右に避ける。
「まだ来るぞ! 右に避けろ!」
「先輩、ちょっとうるさいです!」
避けながらそう言うと、来亜はむっとした様子を見せた。
「……左に避けるな!」
「えっ!?」
左に向かって踏み込んでいた足を慌てて戻し、そのまま右に回避した。
「もう! こんな時にムキにならないでください!」
怒る私に構わず、来亜はさらに指示を続けた。
「奈緒、今ので確信した! フラウロスの炎は羊子から離れるほど弱くなっている! 彼女から悪魔を引き離してくれ……頼む!」
「……わかりました!」
私は伝えられた作戦の通りに行動した。
「何なの、あの子……何で悪魔と互角に戦ってるのよ!」
「あっははは! こっちが聞きたいな!」
来亜は羊子を追い詰め、息を切らしている彼女に問いかけた。
「さて……どうして、こんなことを?」
「あら……もしかして、もう解決したつもり?」
「ハッタリかい? そういうのはもう少し前もって使っておくべきものだよ」
羊子は不敵に笑っていた。来亜と同じ、揺るがぬ勝利を確信している表情だ。
「確かに、フラウロスは私から離れるほど力を失うわ。でも……そんなの、対策してないわけがないでしょう?」
羊子はそう言って、手を高く掲げた。
「来なさい! フラウロス!」
「悪魔は……呼び戻せるのか!?」
羊子の前に、大きな黒い影が現れる。それはみるみるうちに豹のような形となり、瞬く間に悪魔となって来亜に吠えかかった。
来亜は目の前に立ちはだかった悪魔の姿を見て、目を見張った。ただし、それは羊子の期待しているような絶望によるものではなく、相手を陥れる一瞬の隙を捉えるための表情だった。
私たちの勝利は揺るがない────表情までよく見えるほど、私は二人の近くにいるのだから。
「……なんてね。そんなの、対策してないわけがないだろう?」
私は羊子たちの背後から飛びかかり、銀のナイフで悪魔の心臓を突き刺した。悪魔は視界が震えるほど大きな断末魔をあげ、崩れ落ちて塵となった。
私は、内心驚いていた。悪魔が姿を現してから、来亜が嘘をついたのは一度だけだ。それも、子どもが遊びでつくような単純な嘘。
私は、ただ彼女に従っただけにすぎない。たった一つの嘘で、たった一本の牙で、彼女は悪魔の命を抉り取ったのだ。
「なんで……! あの子は私から悪魔を引き離していたはず……!」
「簡単なことさ。奈緒には事前に伝えておいたんだ。私が『頼む』と付け足した指示には従わないでくれ、とね」
それを聞いた羊子は虚をつかれたような顔をしてその場にへたり込んだ。どうやら新たに別の悪魔を呼び出すことはできないようだ。
「さて……もう一度聞こう。どうして、こんなことを?」
「……本当の悪魔を、裁くためよ」
羊子は俯きながら、呟くようにそう言った。
「美姫のことは知っているでしょう? あの子、亡くなる直前は学校にも来ていなかった。でも、私は家が近かったから、あの子に会っていたの」
「……」
「心配だったから、学校を休んだ理由についても聞いてみたわ。けれど、あの子は答えてくれなかった……」
羊子の声が微かに震える。その声がはらんでいるのは怒りなのか、後悔なのか、あるいは恐怖なのか。それは私には判断できなかった。
「だから、私はついしつこく聞いてしまった。それで、喧嘩になった。よくあの子と一緒にいた七人……奴らの話をした途端に反応が変わったの」
「それで、君は彼女たちが美姫の死の原因だと踏んだわけか」
「ええ。何かを必死に隠したがっていたようだったわ。私はあの子の一番の友達だと思っていたのだけれど……私にも明かせない何かがあったようね」
羊子は自嘲するように笑みを浮かべながらそう言った。後は、私たちの知る通りだろう。彼女は七奈たちを一人ずつ呼び出して殺し、白雪姫のような美しいドレスを着せた。悪の報いである惨めな死を包み隠すために。あるいは、それを他の誰かに暴かせるために。
「これが……この事件の全てよ。ねえ……空言さん。私も、一つ聞いて良いかしら?」
「……」
来亜は黙って頷き、質問を促した。
「これが悪いことなのは分かってる。でも、美姫のためにはこうするしかなかった! 何も知られないまま、あの子だけが忘れ去られていくなんて……!」
羊子は拳を握り、目を伏せたまま叫んだ。羊子の気持ちは、痛いほどわかる。失ったものが戻ってこなくても、失ったもののためにできることはあると、私も信じている。
「聞かせて。私……間違ってる?」
救いを求めるようなか細い声で、羊子はそう言った。来亜はコートの襟を正し、真っ直ぐに羊子の方を向いて答えた。
「……解決後の考察は、探偵の管轄外だ。私には、君が間違っているのかどうかを断ずることはできない」
「……」
「……だが、これだけは言っておこう。これは君の起こした事件、君の犯した罪だ。美姫のため、などという言葉で……死者に罪をなすりつけるな」
「……!」
来亜がそう答えると、空から一枚の手紙が降ってきた。少し遠かったが、宛名に書かれた文字がいくつか見えた。そこには確かに”羊子へ”と書いてあった。
「あの手紙……羊子さんに宛てたものです!」
「君、あんなに遠くの文字が読めたのか!?」
「私、ちょっと拾ってきます!」
風に揺られる手紙を走って追いかけ、捕まえて羊子に渡す。羊子は宛名の文字を見て、驚いたような表情を見せた。
「これ……美姫の字よ……!」
羊子はそう言って、半ば破るようにして手紙の封を開ける。彼女は恐る恐る、手紙に書かれた文字を一つずつ声に出しながら辿った。
「羊子、この間はごめんね。そして、病気のことを隠してて、ごめんね」
「病気……!」
「私の身体には、腫瘍があるの。初めて見た時は小さかったんだけど、どんどん大きくなっていって、今ではおとぎ話に出てくる毒リンゴみたい。嘘じゃないわ」
羊子の声が、少し震える。美姫は彼女にも、そして恐らく七奈たちにも、病気のことを隠していたようだ。来亜も驚いたのか、微かに目を見開いた。
「この病気のことは、本当はずっと隠しているつもりだった。皆には弱々しい姿を見せたくなかったから。学校にも黙っていたわ。どうせ死ぬんだから、いくら休んでも問題ないでしょう?」
いつの間にか、雪が降ってきていた。羊子は背中で手紙を庇いながら読み続けた。美姫の遺した最期の痕跡が、雪に濡れてなくならないように。
「……でも、今になって急に死ぬ時のことが怖くなった。だから、隠していたことをこの手紙に書いて残すことにしたの。あなたがこの手紙を読んで、私の隠していた全てを知って、それで終わりにしてくれるように」
羊子は俯いて、膝をついた。ひどい手紙だ。隠していたことを知ったぐらいで、こんなたった一枚の手紙で、これで終わりだと割り切れるわけがない。これは、もはや呪いだ。私が受けているのと、同じ────
「……世界で一番大切なあなた。この手紙を、読んでくれて、ありがとう。私が死んだ後は、私の友達とも仲良くしてくれると嬉しいわ。皆、すごく、優しい……人たち、よ……!」
「……」
言葉が出ない。目の前で残酷な結末が紡がれてゆくのを、私たちはただ黙って見ていることしかできない。
「友達、友達って、何よ……! 私、こ、殺し……殺しちゃったじゃない……!」
「……」
「あ……ぁ……ああああああぁぁッッ!!」
羊子は手紙を抱いて、声をあげた。雪から庇っていたのに、手紙は結局濡れてぐしゃぐしゃになっていた。
来亜は何かに気付いたようにはっと息をつくと、泣き崩れる羊子を放ったまま、最初に逃げてきた高所に向かって突然走り出した。
「先パイ、急にどうしたんですか!?」
「常識的に考えてみたまえ! こんなに都合よく手紙が降ってくるわけないだろう! この辺りで一番高い場所……そこに、事件の真相を知る者がいるはずだ!」
「あ、悪魔と戦った後に常識を持ち出さないでくださーい!」
来亜を必死に追いかけてようやく屋上に辿り着くと、そこには彼女の他にもう一つ人影があった。男性とも女性ともつかないような背格好で、微かに笑みを浮かべている。
「はあっ、はあっ……! 先パイ、足はやっ……!」
「……君は、何者だ?」
「おや、出会って早々に難しい問いかけをするものだな」
彼、あるいは彼女は、来亜に睨まれながらそう答えた。何かの機械を使っているのか、声に少しノイズが入っていて、やはり性別は分からない。
「哲学をするためにこんな高所に来たわけじゃないさ。君だろう? さっき手紙を落としたのは」
「……さあ、何のことかな」
「君は嘘が下手だな。目が泳いでいる……いや、泳ぎすぎだろう! からかっているのか!?」
「あっはっは、まあそんなところさ!」
人影は笑いながら地面に向かって飛び降りると、パラシュートのようなものでゆらゆらと空中に浮かんだ。適当な刃物を投げて撃ち落とそうと身構えたが、来亜に手で制止された。
「さて、質問に答えよう。僕は……怪盗。怪盗ライト。この神土町の闇を照らす者さ!」
「範囲が狭いな!」
「覚えてくれなくたって良いよ。その方が好都合だ」
「生憎、私は物覚えが良い方でね。こんなに三流の雰囲気が漂う怪盗なんか、忘れるはずもないさ」
ライトと名乗った怪盗は、来亜の挑発を全く気に留めずに時計を見ていた。
「お喋りはここまでだ。できれば会いたくないものだが……君が探偵を続ける限り、また会うこともあるだろう」
「な……待て!」
来亜は走って追いかけようとしていたが、怪盗は既に私や来亜が飛びかかっても届きそうにない距離にいた。
「おっと、君たちは精々気をつけて降りたまえよ! ここの階段結構急だからな!」
ライトはそう言い残して飛び去った。去り際に、彼がぽつりと呟いたのが微かに聞こえてきた。
「本当の自分に向き合うんだ……期待しているよ、空言来亜」
「……あの人、先パイの名前を……?」
来亜はやれやれ、と息をついてその場に座り込んだ。
「何だったんだ、あれは……」
「先パイ、面識あったりしませんか?」
「あったら随分と楽だったんだが……残念ながら、怪盗の知り合いはいない。だが……探偵として、怪盗との勝負を避けるわけにはいかないね。次に会った時に捕まえてみせよう」
来亜の方はライトに見覚えがないらしい。怪盗については、今これ以上考えても仕方がないことだろう。少し休んでいると、一台の車が敷地内に入ってきた。下から先生の呼ぶ声が聞こえる。先生は昨日の夜に聞いたような、どこかしゃっきりとした鋭い口調だった。
「おーい、そんなところで何やってるんだ?」
「おや、どうやら足が来たようだね」
「置いて帰るぞ」
「まあお姉様、そんないけずなこと言わないでおくんなまし」
「全く……後で仕事手伝ってもらうからな。大体、締切直前の作家をこき使いすぎだ」
先生は君らも送ってやろう、と言って私と羊子を車に乗せた。羊子は交番の近くの住宅地で降りた。何となく、そこは彼女の家ではないような気がしたが、黙って見送った。
「そうだ、先パイ! 採用どうですか!?」
羊子が降りた後、私は急に思い出して来亜に尋ねた。来亜はしまった、とでも言いたげな表情をするだけに留まらず、しっかりと声にも出した。考えてなかったのか、と先生は呆れたように言った。
「……奈緒、君は少々礼節を欠く言動が目立つ……」
「お前が言うな」
先生が横から口を挟み、来亜は一瞬口ごもる。しかし、何とか立て直して話を続けた。
「……が、この事件は君のおかげで解決できた。それは紛れもない事実だ。君を採用しよう」
その言葉を聞いて、私は思わず両手を挙げた。
「やったー!」
「子どもみたいな喜び方をするな、君は!」
「いいじゃないですかー! 是非、これからもどんどん頼ってくださいね!」
発進の準備をしてから、先生が私に声をかけた。
「……さて、奈緒ちゃん。家はどの辺りだ?」
「……あ」
ここで、私は重要なことを思い出した。思い出さないようにしていたのだが、思い出す機会の方が勝手に来てしまった。
「もしかして門限かい? 気の毒なことだ」
来亜は悪戯っぽく笑って、からかうように言った。そんなことで済めば、どれだけ良かっただろう。
「その……私、今家ないんです。えっと……親が、海外に行くからって……勝手に売り払っちゃって。今までは残されたお金であちこちに泊まって何とかしてきました」
「なっ……!」
話す準備を全くしていなかったので、しどろもどろになってしまった。先生は私の話を聞いて、堪えきれずに声をあげて笑った。
「あっはっは! そもそも門がないときたか!」
「姉さん、笑ってる場合か! どうすれば……」
「良ければうちに来るといい。まあしばらくは何とかなるだろう」
先生は全く悩む様子もなくそう言った。あまりに返事が早かったので、むしろ私の方が戸惑ってしまった。
「えっ……いいんですか!?」
「来亜がいいと言えば、だが」
そう言って、先生は来亜の方をちらりと見る。来亜は苦々しい表情をしながらも、何とか決断に至った。
「……仕方あるまい。採用すると言った以上、君は私の助手だ。野垂れ死なれては困る」
「先パイ……!」
「ただし、家事は手伝うこと!」
来亜は私の方をびしっと指さして付け加えた。それを見て、先生はまた呆れた表情をした。
「お前が言うな……」
「ありがとうございます! これからお世話になりますね、先パイ! 先生!」
行き先が一つになった車の中で、ふと怪盗の言葉を思い出した。本当の自分に向き合うことが、来亜には必要なのだろうか。それならば、きっと彼女も私と同じだ。それぞれの隠し事を背負ったまま、私たちは雪の降る夜道を駆け抜けていった。
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