第1章③ 夢

 目の前で起きたこと。それを理解するのに、こんなにも時間がかかったのははじめてだ。

「やえ。やえ。お~い」

 優里美の声と〈言葉〉と、視界にチラつくきめ細かな白い手。それらによってわれに返った時には、小澤田くんの姿はどこにもなかった。私の目の前にあるのは、いつもどおりの平穏な街。

 小澤田くんはあの時、スピーカーの〈言葉〉を食べた。私の〝目〟にはそう見えた。

 私の〝目〟が壊れたのなら、いろいろな人の見え方も変わっているはず。それなのに、私の〝目〟がおかしくなるのは小澤田くんを目にした時のみ。

 その小澤田くんが、おかしなことをした。

 これはもう……あとを追って、声をかけて、さぐりを入れるしかないよね!

 どう話せばいいのか、なんてわからない。けど、小澤田くんを知ることができれば、私のこの〝目〟を知ることができるかもしれない。

 はやる心をおさえ、優里美に問う。

「優里美。気づくのが遅くなってごめん! 小澤田くんは、どっちへ行った?」

 早口になった私に、目を丸くしながら口を開く優里美。

「ええっと。やえの家がある方。どこへ行くのか気になったけど、追えなかったのよね。役に立てなくて申し訳ない」

 そ、そうか。私が混乱している間、ほっとけなくて優里美は一緒にいてくれたものね。

 明日は学校があるから、小澤田くんは登校するはずだ。焦らずにいこう。

 一つ息を吐いて、心を落ちつかせて。長い間止まっていた足を動かした。

「で? あの転入生を見て、何を思っていたわけ?」

 難問を投げられた。

 優里美に、私の〝目〟を説明する時がきたのかもしれない。でも、人が大勢いるこの場所で口にするのはちょっと……。

「どう言えば伝わるのか、わからない」

 そう返すしかなかった。

 すると。

「そんなに難しいことを考えていたのね」

 優里美が驚いた顔をしていた。そのままの顔で〈言葉〉をつなげる。

「てっきり、〝恋〟という名称を持つ衝撃がはしったのかと思ったのに、違ったか」

「え。こ、〝恋〟?」

 予想外の言葉に、私のまぶたが素早く動く。

「う~ん。違った? それとも、無自覚なだけ?」

 首を傾けた優里美に、私はこれでもかってくらいに目を大きくさせた。


  *


 私はたまに、夢を見ているな、とわかる〝夢〟を見る。

 年に一度だったり、週に二度だったり。頻度はその時によって異なるけど、白に埋め尽くされた空間にいると、夢だ、と思う。

 そんな白い空間には、いつも白い子猫が現れる。空間と同色の物は見分けづらいものなのに、〝夢〟だからか、白い子猫がはっきりと見える。

 その白い空間が、今、私の目の前にある。しかも、白い子猫もすぐそこにいる。またこの〝夢〟か……。

 私はため息とともに毒を吐いた。

「今日はゆっくり眠りたかったのに」

「ふむ。相変わらず我には手厳しいな!」

 文句を言いながらも楽しげな声を発したのが、白い子猫だ。人の言葉を使う猫の存在はまさに〝夢〟だな、と我ながら思う。

「君に文句を言っているというより、この〝夢〟に文句を言っているの」

「我はこの空間と対の存在。それゆえに、我への文句と受け取った!」

「う~ん。楽しそうに言われてしまうと、複雑だなあ」

「お主はいつも機嫌が悪いからな!」

「その言い方はやめて。心の余裕がない時にこの夢を見る、ってだけだからね」

「なるほど!」

 子猫は、きらきら輝く大きな瞳の持ち主だ。子猫ということもあって見た目は実に魅力的。なのに、どこか大人びた口調だし、神経は図太いものだから、手が出しづらくて触れたことがない。というか、子猫がこういう性格のため、触れて愛でたら私が敗北感を味わいそう。だから触れないようにしている。――あ。夢だから触れても感覚がないか。

 そもそも、そっとしてほしい気分の時にこの〝夢〟を見がちだから……。はあ、普通に寝たい。

「君とは長い付き合いだけど、なぜこういう気分の時に現れるかなあ」

 今日は〝小澤田くん〟という〝異常〟な転入生を目にして、頭を使って、すごく疲れた。だから、きちんと寝たい気分なのにな。

「ふむ。なぜ我が現れるか、を口にしたところで、お主は〝夢〟で終わらせる。ゆえに、無駄なこと!」

「……そうだね。〝夢〟だからね。あ~あ。きちんと寝たい」

「お主は本当に面白い奴だな!」

「はい? 君の発想の方が突拍子なくて面白いと思うよ」

 子猫はいつも楽しそうだ。でもね。私は疲れているんだよ。

「なぜ、お主がそれを得たと思う?」

「へ?」

「そのようなお主だから、なのか。だからそのようなお主、なのか」

「何を言っているの?」

「好意の結末はどうなるのだろうな」

 いつの間にか、会話が変わっている?

 子猫が何を言っているのかわからなかったけど、わからないながらも、重要なことを言われた気がした。

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