あなたには、この花を。
咲森 瑤
第一話 スズラン
みんなが私を見ている。すごいね、沙織ちゃんのおかげで上手くいったよって褒めてくれる。私は嬉しくなってみんなに手を伸ばすけど、その手は空を切る。そこでいつも、夢だったと気づくのだ。
細くくねった道を歩きながらため息を小さく吐く。風にさらされて冷たくなったスーツがなびいた。点滅する電灯は逆に視界を遮っている。次の角を右、と唱えながら進むと、ようやく灯りが見えた。商店街のおじちゃんが言っていたのも分かる、と頷きたくなるほどひとけがない。
「ジプソフィル」。店名を確認しつつ扉を開ける。一歩踏み入れると、お洒落な店名からは想像しがたい店内だった。溢れんばかりに敷き詰められた花々は美しさよりも雑然とした印象が勝る。時間がないことを思い出し、急いで目を走らせた。やっぱり花束と言ったらバラ?でもそれだと派手だし……。
「おっと、」
思案していると躓いた。恐る恐る下を見る。思わず後ずさりすると、女性がしゃがみ込んでいた。深い緑色のエプロンをしている。店員さんだろう。
「すいませんっ」
反応がない。そんなに怒らせてしまったんだろうか。作業中に突然蹴られたんだから当たり前か、しかもヒールで蹴ってしまったし……ともう一度下を見てそれが杞憂だと察した。
店員さんの顔はまさしく「集中」そのものだったから。なんなら話しかけてくれるなオーラまで出ている。きっと私にも気づいていないに違いない。
とりあえず無かったことにして、花探しを再開した。……ものの、並べられた花たちにはタグもなく、どれがなんなのか私にはいまいち分からない。さっきの場所まで引き返すと、店員さんはまだそこにいた。オーラまでそのまま。話しかけづらさをひしひしと感じながら声をかける。
「す、すみません」
やっぱり気づかないか。
「すみませーん」
今度は耳元で大きめに。
「ん?」
店員さんはゆっくりとこちらに顔を向けた。
胸元につけられた名札に「店主 深山」とある。店員さんじゃなかった。自分と同じくらいの女性が、自分の店を持っている姿に眩しくて目を伏せてしまう。
ちらっと見るとまっすぐ私を見ている。私が話しかけたという状況を忘れかけていた。
「えっと、お花を探してて。会社の後輩が結婚して退職するんですけど、そのお祝いにみんなからお花を贈ろうということになったんです。それで、結婚祝いにおすすめの花とかってありますか?」
店員さん、改め店主の深山さんは未だ表情を変えない。ちょっと待ってみたけど身じろぎもしない。もしかして、「以上です」とか言わないといけない感じ?と口を開こうとしたとき、
「ドライフラワー」
小さく動かされた口から綺麗な声がした。って声の話じゃなくて、
「今、なんと?」
「ドライフラワーです。欧米では永遠に咲く花として縁起のいいものとして扱われています」
深山さんはそこまで一息に言うと、待てみたいなジェスチャーをし、カウンターの奥に入っていった。
「これ、です。ドライフラワー」
帰ってきた彼女は小さな花をいくつか抱えていた。
「じゃあ、これ頂きます」
丁寧にまとめられたブーケは上品で可愛らしく、あの花がこんな風になるのかと感心しながら抱えて私は店を出た。
翌日、誰よりも早くタイムカードを押した。いつものことだ。薄暗い風に冷やされた肌を暖めていると部長が現れた。まっすぐと私の机に向かってくる。
「木下、あれの準備できてるよな?」
「これです」
足元に置いてあった紙袋を差し出す。その中には昨日買ったドライフラワーのブーケ。
「ふうん」覗き込んだ部長の険しい目がこちらに向く。手汗がにじみ、それを隠すようにスーツの裾をつかんだ。
「地味すぎやしねぇか。これで喜ぶかね」
どっと汗が湧き出る。今すぐに逃げ出したい気分だった。
「申し訳ありません」
「ま、若い子の好みは若いのの方がわかるだろ」
部長は投げやりに言うと私の机に百円玉を置いた。割り勘分のつもりだろう。ほかの社員もそれに倣おうとし始める。これだと足りない、そう訴えたくても私の喉は言うことを聞かない。結局かすれた声で「ありがとうございます」と全員から百円を受け取った。
「皆さんはやいですねー」
間延びした声で本日の主役、本田さんが現れた。華やかな香りがふわっと部屋を漂う。部長は一気に気味が悪いほどの笑みを浮かべた。
「全員揃ったなー、朝会するぞー」
部長が席を立ち、皆もそれに続く。
「つーことで本田ちゃん、結婚おめでとう」
ブーケが部長から差し出される。私は身を固くして本田さんが発する言葉を待った。
「えー、かわいい!部長が選んでくれたんですかぁ?」
「ああ」
「センスいいですね!すごーい」
「だろ」
よかった。気に入ってもらえた。私は安堵する胸に集中し、ぼんやりしているのだと自分に言い聞かせる。いつのまにか手柄を取られていたけど、鈍感だからそんなことにはまったくもって気づいていない。そういうことにする。目を向けると、本田さんは満足そうな笑顔と、ハートマークが浮かんでいそうな空気を浮かべていた。
陰った紺色に窓が反射し、顔を上げた。何のトラブルもなく今日を終えられたことに大きく胸をなでおろし、帰る支度をする。もう一度集計をしておこう、と確認すると100円玉の中に500円玉が一枚混ざっていた。誰かが間違えたのかもしれない。不安になって見渡しかけ、既に全員の退勤を見送ったことに気づいた。きっと間違えたことに気づいたら声をかけてくるだろう。そう言い聞かせて席を立つ。
「もうこんな時間か」
施錠して腕時計を見ると、体が疲れを思い出してしまった。
「いつものことじゃん」
小さく呟いても胸を覆う靄は溶けてくれない。
足元がふらつく。傾きかけた体に危うさを感じ、顔を上げた。目に映った家の窓は暖かく灯っていて、幼い子供のはしゃぐ声が聞こえた。夕食はカレーなのだろう。愛情の匂いが風に乗って届いた。
「あの頃は、幸せだったなあ」
自分の口からこぼれた言葉に驚く。こんなことを言い出すなんて大人になったな、なんて突っ込んでみるけど気づいてしまった本心はごまかせない。
いつからこんなことになってしまったのだろう。視界が滲みかけたとき、暗かった影がほんのりと明るくなった。とうとう危ないゾーンまで来てしまったのかと必死に頭を起こす。顔を上げた先にあったのはあの花屋、「ジプソフィル」だった。
無意識に来てしまったのだろう自分に鳥肌が立った。引き返そうとして、ふと留まる。
「こんな時間までやってるんだ」
せっかく来たのにもったいない気がして、扉を開いた。カランと鈴の音はしたけど「いらっしゃいませ」の声はない。でもまあ、あの店主さんだしなあ、と勝手に納得する自分がいた。冷たくあしらわれているのは同じなのに、なぜだかここではほっとしてしまう。
棚を目でなぞっていると、小さな花が目に留まった。
「あ、スズラン」
思わず口からこぼれた。春の花だったら桜とか菜の花の方が好きだし、スズランなんて名前を知っている程度。なのになぜか足が止まる。小さくて、白くて、細くて、なんだか弱そうなんて思ってしまうのは私が卑屈になっているからだろうか。目立った花たちの陰で身を小さくしないと生きていけないのかな、なんて。
「どく」
耳元に声がして振り返る。そこには深山さんがいた。
「スズランには毒があるんです」
「え?」
「主に根や花に、コンバラトキシンやコンバロシドなどの有毒物質が含まれています。体に取り込むと、嘔吐や頭痛、めまい、血圧低下、心臓麻痺などの症状を引き起こします。致死量は体重1kgあたり0.3mgで、青酸カリの約15倍です」
今までと同一人物だと思えないほどの饒舌さに戸惑いを隠せない。というか、
「……私触っちゃいましたけど」
「洗い流せば大丈夫です。口に含まなければ」
にしても、なぜ急に毒の話を始めたのだろう。もしかして、私が弱そうとか口に出してしまっていたのだろうか。
「えっと、強いんですね、スズランって」
深山さんは固まったまま言葉を発さない。焦って言い足そうとしたとき、彼女は口を開いた。
「小さくて、細くて、可愛らしい。そんなイメージを持たれているけれど自衛の術を隠し持っている。それを外には見せないし弱々しささえあるけれど、いざというときは人間さえ殺せるんです。それを強いと言うのなら、そうなのだと思います」
店員さんは本当に花が好きなのだな、と感心するほどの変貌ぶりに圧倒されつつ、スズランを自分と重ねてしまったことに恥ずかしさが湧いてくる。私なんかよりよっぽど強いというのに。
深山さんがまっすぐと見てくる。なんだか自分がとてもいたたまれなくて後ずさりしてしまった。
「なんか、すみません」
店から出ようと方向転換しかけたが、柔らかな声にさえぎられた。
「スズランの花言葉は、〈再び幸せが訪れる〉です」
「幸せが、再び」
「はい。きっとただただ可愛らしいと愛でられることで得られる幸せもあるのでしょう。けれど、幸せはただ待っていて訪れるものではないと思うんです。スズランは自分の弱さを超えて、再びの幸せを迎えに行っているのかもしれません」
深山さんの言葉が静かに体に溶ける。それは、冷えた体をじんわりとほてらせた。
「あの」
立ち去ろうとした彼女を呼び止める。
「スズランを一輪、ください」
「はい。ありがとうございます」
無表情だった店員さんに微笑みが浮かんだように見えた。気のせいかもしれないけど嬉しくなった。
何も言わずに積み上げられる書類。そこに手を伸ばしかけて、止めた。
「木下」
部長の声がする。書類の催促だろうか。飲み会の予約か。お茶が切れたのかもしれない。席を立とうとして目線を向けると花瓶に生けたスズランが映った。
「お前、花なんか置きやがって仕事する気あんのか。お前だけ進みが遅いんだよ」
案の定の難癖。耐えるモードに入ろうとする脳を起こし、大きく息を吸う。
「この仕事、分担していただけませんか」
部長が目を丸くした。心臓はいつもよりも少し早く波打っているけれど、清々しい思いだった。
「お、お前なんかが……その……」
ごまかすように部長はスマホを開き画面を見つめた後、重そうに口を開いた。
「考えてやる、戻れ」
怒られなかったことに驚愕しつつ部長のスマホをチラ見すると、娘さんらしき女の子の写真。もしかして部長も娘さんには頭が上がらなかったりするのかもしれない。そんなことを考えてふっと口角が緩んだことに自分でも驚いた。
席に戻ると、隣から「やるじゃん」と声が聞こえた。振り返ると、ニッと笑う先輩。
「地味に応援してたんだ。助けたりできなくて申し訳なかったんだけどさ」
「え、もしかして500円玉って」
先輩はダブルピース。思わず笑みがこぼれた。
軽くなった心を抱えてデスクに向かう。視界に映るスズランを見て決めた。今日の帰り「ジプソフィル」に寄って、今日の話をしよう。
再びの幸せ、私にも訪れそうです。
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