同類 / ビッグな熊

追手門学院大学文芸同好会

第1話

 きつい太陽光が肌を焼き日本では体験できないほどの乾燥した熱波が吹き荒れる。目の前には永遠を思わせるほどの大平原が広がり、多くの動物たちが思いのままに闊歩している。

 「日本に帰りたい‥‥」

 車の後部座席から聞こえてくるカエルの断末魔を思わせる嘆きはこれからの旅を楽しもうと目を輝かせていた鹿野 隆さえも苦笑いするほど陰鬱なものだった。

 「いい加減あきらめろよ。裕太、行先の順番はくじでって決めてただろ」

 「俺のハワイ旅行‥‥」

 後部座席で落ち込む鮫嶋 裕太に隆はあきれながらこの旅行についてきたもう一人の友人の方にも目を向ける。

 車に揺られながら後部座席に座る彼女は、この暑苦しい車内を一瞬で凍土にしてしまうほどの白い肌、艶のある漆黒の長髪、一つ一つのパーツが完璧なバランスで調和した顔立ち、まさに崇拝されるべき美とそういえるかもしれない。

 「私のヴェネツィア‥‥」

 頭を抱えたくなる、このヴェネツィアへの未練を捨てきれていない女友達の人見 風花、そして海のことしか考えない鮫嶋 裕太、この夏休みを利用した長期の旅行はくじの結果隆のリクエストしたサバンナ旅行になったのだ。目的地についてもいまだ未練を持っている二人をしり目に隆は目の前に広がる雄大な自然に目を向ける。

力強く大地をかける大地をかけるヌーの群れ、ゆっくりと歩を進めるキリン、子供のころから夢みた世界が目の前に広がっている。

心臓がバクバクし、笑みが浮かんでくる、車で進めば進んでいくほど様々な場所、様々な景色に出会える、だがこの楽しみを自分だけが独占してはいけない。

 「み、水」

 「クーラー‥‥」

 隆が気を利かせて動物たちの解説を行おうと振り向けばこのざまだ。

 海のことしか頭にない男は水を欲し、人工物しか考えられない女は文明の利器に助けを求めている。そんなもの自分には必要ない窓を開ければ風がクーラーの代わりとなり、泥水が飲み水の代わりとなる。それに今の時期サバンナは雨季の最中であり水は入手しやすい。

 それに、

 「お前らこの暑さは日本に比べればまだましだろ」

 「それはそうだけど、日差し強いし、車のクーラー壊れてるし、海藻臭い男と土臭い男二人が車内にいるんじゃクーラーの空気を吸いたくもなるわよ」

 「海藻臭い臭いは涼しいってことなんじゃ‥‥」

 「海藻臭いは湿気、土臭いはただ臭い」

 今すぐにでもこの女を車から蹴落としたくなるがぐっとこらえる。この女は知らないのだ自分が育てた植物たちが大きく成長し、そしてやがて花を咲かせ散っていくまでの感動を、例えるのなら言えば長年かけて勉強を重ね受験に合格した時の喜びといっていいかもしれない。それを自然が行っているのだ、これほど素晴らしいことはない一秒で動植物たちが生きるさまをこの目に焼き付け己の欲を満たすことに集中しなければならない。

 しかしサバンナというのはどこか日本の街並みとよく似ているアカシアの木の葉を食べるキリンはまるで立ち食いそば屋のサラリーマンだ。肉食動物に食される小食動物たちは資本主義の犠牲者であり、近くを通るヌーの大群はさしずめ通勤列車の車内のようだ。

 改めてじっくりとサバンナを観察してみるとそこは日本と似たような光景が広がり、非日常のはずの旅行が日常と変わらない生活の一部とすら思えてくる。

 ライオンの群れがこちらを見つけ、集団でかけてくる。その表情はキラキラと輝き、しばらく会っていなかった親友のようにさえ思え、ついドアを開けて出迎えたくなる。

 「お願いだから出迎えるとか言って開けないでね!」

 「わかってるよ」

 ライオンたちは車を囲み交互にとびかかってくる。車のガラスに顔や肉球を押し付け、そして名残惜しそうに離れていく、その何とも言えない表情は我が子との別れを惜しむ母親のようで心がズキリと痛む。

 一通り囲んで無理と察したのか肩を落とし、こちらを振り返りながら引き返していく。

 その姿はテレビなどで見る猛々しい百獣の王とはかけ離れた寂しいものだった。

 「ねえ今のライオンの群れオスがいなかったように見えたけど」

 人工物しか愛せない女、風花が珍しく動物に興味を持ったのかこちらに質問を投げかけてくる。

 意外に思う、風花は自分や裕太の趣味とするものに全くと言っていいほど興味を示さない。それは自分や裕太も同じでお互いの分野に関して質問することなどはほとんどない。だが、もし仮に彼女の人工物に関する興味が薄れ、陸上の自然に興味を示してくれるのならそれは永遠に語り合える友を自分は手に入れたことになる。

 「勘違いしないで!レポートのためだから」

 その言葉に先ほどまで頭によぎった理想は霧となって消えていき、体の奥から沸き上がった熱はサバンナの夕日とともに沈んでいく。

「あ、そうか……で、何について聞きたいんだっけ」

 「ライオンよ。ライオンの社会構造と人間社会との対比をしたいの」

 風花があまり野生動物に関心がなかったことを残念に思いつつライオン社会について思い出してみる。まあ簡単に言えば多数の雌ライオンを雄ライオンが支配するハーレムといえる。だがその内実はかなり複雑だ。

 「簡単に言うと表の支配者は雄ライオンで、裏の支配者は雌ライオンたちかな」

 「詳しく」

 「雄は自分の縄張りを守ることとかが仕事でほとんど狩りには参加しないけど、雌たちから認められなければ群れを追い出されるってこと、あとほかのオスに縄張り争いで負ければ群れを出ることにもなるし」

 ライオン社会を人間の社会の一部に当てはめるとアメリカの企業なんかが当てはまるかもしれない、とにかくライオンの雄も大変だ。

 逆にハイエナなんかはライオンとは違い完全な女系社会だ。群れの頂点は雌であり雄に権利などはないに等しい。

 やはりこのサバンナという場所は自分の欲望を満たしてくれる。だからこそ麻薬などのドラックに人々がおぼれる気持ちが何となく理解できる。このサバンナという空間に入りもう一日が過ぎようとしている。あと三日、この素晴らしい空間を味わうことのできる期間だ。

いつの間にか日が沈み、あたりには昼の間眠っていた別の景色が目を覚まし始めている。星明かりに反射した鋭い光が揺ら揺らとうごめき、遠くの方から草食動物の悲鳴と何かから逃れようとする者たちの地響きがこちらにまで響いてくる。

 「いったんここから離れようか」

 「同意」

 「私も同じく」

 急いでエンジンをかけ、車を発進させる。揺ら揺らとうごめく光が複数個、一定の距離を保ちながら動き出す。

 「さっきのライオンの群れ?」

 「いや多分ハイエナだと思う。ライオの群れがいた場所からかなり離れたはずだし」

 うごめく光は決して車の前には立たず、側面と後ろから徐々に距離を詰めて迫ってくる。

「祐太、俺のリュックからライトをとって後ろを照らしてくれないか」

 「わかった」

 隆の指示を裕太はすぐに実行し、暗く閉ざされていたルームミラーの先が明らかになる。

「やっぱりハイエナか」

 「大丈夫なの?」

 「相手を必要以上に刺激しなければ問題はないと思う」

 ハイエナたちの様子からこちらに襲い掛かってくるようには見えない。恐らく見慣れない車を警戒しているのだろう。

 「たぶん縄張りを抜ければ追ってこないよ」

 隆が予想した通りハイエナたちはしばらく車と並走したのち、散らばるように車から離れていく。

 「いなくなったか」

 あたりを確認しハイエナたちがいなくなったのを確認すると近くの茂み近くに車を止める。

 

 「ふっ」

 車内の張りつめていた空気が緩み、先ほどまで滝のように出ていた汗が止む。

 それは後部座席にいた二人も同じようで、熱で溶けたチョコレートのように脱力している。

 「夜ってだけでこれだけ緊張感が増すのね」

 とにかく一息つこう、そう思い座席を倒そうとした瞬間。

 ドンッという衝撃音、それを始まりとして断続的に続く地響きが猛烈な速さでこちらに近づいてくる。なじみのある鳴き声、動物園の人気者。

 「ま、まさか」

 バキンという音とともに目の前の茂みが砕け複数の象が地響きとともに突っ込んでくる。

 「ぎゃあああぁああああっ!」

 とっさにチェンジレバーを切り替えアクセルを踏み込む、タイヤが勢い良く回転し、体が前のめりに倒れそうになる、前を見れば像たちが怒りの形相でこちらに迫ってくる。

 ハンドルを左に切り方向を変え、アクセルを踏んで象たちを突き放しにかかる。像の最高速度はおよそ40キロさすがにそれに勝てない自動車ではない、徐々に距離が遠くなり、近くで追ってきた時に感じていた圧力が徐々に薄れていく。

 しばらく走ったのち一度後方を確認しても象たちの影はない。

 「よかった~」

 後部座席の二人の声が聞こえようやく危機が去ったことを実感する。それと同時に力が抜け後ろに倒れるように座席にもたれかかる。ハイエナ以上に冷や汗を流したのだろう水滴がひじから滴り落ちている。自分の手を見つめ動かしてみる。生きているという実感、シンとした生暖かい空気が流れ、徐々に体の熱が戻ってくる。

 「アハハハハッ!」

 体の内に押しとどめていた何かがのどを突き破るようにして笑いとともにあふれてくる。

人間社会では味わえない緊張感、冗談の通じないこのサバンナという大地を、自分は余すことなく堪能していると心から言える。

 しばらくしても収まらない高揚はおそらくカネでは買えないだろう。全身の毛穴がまだ逆立ち昇天しそうなほどの快楽が体場を駆け巡っている。

 「‥‥‥楽しそうだな」

 どれほど時が過ぎたのだろう、隆にとっては1分ほどだったかもしれない、裕太の声掛けで我に返り辺りを見渡す。

 暗く閉ざされていたサバンナの空が徐々にオレンジの光に照らされ、それと同時に息をひそめていた野生動物たちの動く振動の数が増えていく。

 「どれくらい感傷に浸っていた?」

 「さあ時計は見てない」

 「少なくとも日が出てき始めるまでずっとそんな感じだったわ」

 裕太の面白いものを見たという笑顔をこちらに向けてくる。風花の方に目を向ければ裕太に同意するといったような表情で頷いている。

 「何だよ」

 「お前のさっきまでの表情、シャークスクランブルに行った時の俺と同じ表情だったから、あと東京観光の時の風化も似たような感じだったし」

 確か、裕太に懇願されていったサメの群れと戯れるやつだ、確かにその時、裕太はとろけそうなほど幸せな表情をしていた。

風花の時も完成した美しさが跡形もなくなるくらいとろけた顔をしていたのを写真でとって二人でからかったのを覚えている。

正直そんな表情をしていないといいたいが、普段嘘をつくことが嫌いな風花でさえ強く頷いている。

 「じゃあ証拠を見せてくれ。」

 「はい」

 裕太から笑顔で見せられたスマホの画面を見て隆は湯気が出ると錯覚するほどの顔が赤くなっていくのが分かる。画面には確かによだれをたらしたふにゃけた自分の顔がはっきりと映し出されている。

 声を荒げて笑う二人に言い返すことができずにいるが、頭が冷え思考がはっきりしてくるにつれ、それでもいいかと思うようになっていく。

 お互いが変わり者、お互いを馬鹿にしたりすることはあってもどこか憎めず、同類の人間だと思っている。だからわかるのだ、次のハワイ、ヴェネツィアでは自分が笑顔で友人たちへカメラのシャッターを切る立場になるのだろうと。




あとがき


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