第69話 エピローグ②
「着いたぜ。じゃあな、ヒツジ野郎」
「ちょっ、投げるなよっ!?」
俺は青空から乱暴に放り捨てられた。
いやあ、落下ダメージ無視な身体だけどさあ。さすがに扱いが雑すぎませんかね?
俺はむいっと力を込め、全身をぼふっと膨らませる。
風をはらんでタンポポの綿毛のごとく宙を漂うと、ミストの研究室の窓ガラスにべたっと張り付いた。
「よう、ミスト。開けてくれー」
「お前はいい加減ドアから来ることをおぼえろ」
ミストが黒髪をかきながら、呆れた様子で窓を開ける。
俺はきゅっと身体を縮めて、ミストの研究室へ転がり込んだ。
「相変わらず元気そうじゃのう」
「師匠こそ変わってねえなあ。たまにはカラーリングでも変えてみたらどうだ?」
「お主の目は節穴か? ほれ、脚部パーツの装甲の素材を一新したのじゃ」
「さ、さっぱりわかんねえ……」
謎の薬剤と謎の骨格標本でいっぱいだったミストの研究室には、半機械の等身大人形――またの名を師匠という――が増えていた。アキバ遺跡から回収できた技術を研究するために、引きこもりをやめて王都に出てきたのだ。
「それで、今日は何の用だ?」
俺はどんぐりの蹄でとてとてと歩き、ソファに座って要件を尋ねる。
どうせ魔力操作関連だろうとは思うのだが、呼び出されるたびに突飛な実験に付き合わされるので具体的な内容は予想もつかない。
「うむ、その前に確認したいのだが……セージ、お前は人間の体に戻りたいか?」
「人間の体に?」
ミストから問われ、俺は思わず考え込んでしまった。
ヒツジさんボディで過ごすこと2年弱。あまりにも馴染んでしまってもはや人間の体だった頃の感覚が思い出せない。メシも食えるし、伸縮自在だし、怪我もしないし……。アキバ遺跡から回収した魔石で寿命の問題も解決したし、ぶっちゃけこの身体のままの方が便利なんじゃないかと思うところもある。
「うーん、ぶっちゃけわからん。もはや人間だった頃が思い出せん」
「結婚したいとか、こ、子を成したいなどとは思わないのか?」
なぜかミストが頬を赤らめながら聞いてくる。
その様子になぜか俺までドギマギしてしまい、慌てて答える。
「け、結婚とかはさ、なんつうか気持ちの問題だし? 身体とかそういうのは関係ないんじゃない? こ、子供もそうだよ。血の繋がりがなくったって気持ちがあればいいっていうかさ。ほら、引き合いに出してアレだけど、メリスちゃんとご両親だってそんな感じじゃん。なんていうの? 俺はこう、血縁なんていうつまらないしがらみに囚われる大賢者じゃないっていうか……」
「何を互いに意識しとるんじゃ。傍で見ているこっちが恥ずかしくなってくるのじゃ」
「べ、別に意識なんかしてねえし!」
俺がどんぐりの蹄をバタバタさせながらしどろもどろしていたら師匠が呆れ顔で口を挟んでくる。
「と、特段に意識などしていない。ウィズ殿は冗談もほどほどにしてくれ」
「そ、そうだぜ! 俺も意識なんかしてないんだっちゃられば!」
「口調がおかしくなっておるぞ、バカ弟子。まあ、眺めていて面白いからな。そういうことにしておいてやろう」
師匠がカラカラと笑いながら、研究室の奥の戸に手をかける。
「ま、そんな話はどうでもいい。今日はこれを見てほしくて呼んだのじゃ」
「そ、そうだ。ジャークダーの怪人化手術の技術の応用に目処がついてな。その成果を確認してもらおうと思って呼び出したんだ」
ミストと師匠の後を追って研究室の別室に入る。
そこには試験管を巨大化したようなものが何本もあり、それらは淡い緑色の液体で満たされ、時折コポコポと水泡を上げていた。
目を凝らすと、巨大試験管の中には肉の塊のようなものが浮いている。
「なんだこれ? あんまり美味そうには見えないけど?」
俺は巨大試験管の周りをぴょこたんぴょこたん跳ねながら観察する。
よくよく見ていると、肉塊はぴくぴくと動いているようだった。
「これ、ひょっとして生きてるのか?」
「うむ、その通りじゃ。生きた細胞を培養しておる」
「そりゃすげえな。生き物をゼロから作れるってことか?」
「いや、そこまでには至らん。元になる遺伝子標本が必要になる」
俺の疑問に、師匠とミストが代わる代わる答えてくれた。
「んー、なんとなく察しはついてきたけどさ。念のため、これを俺に見せた理由を聞いていいか?」
「それはじゃな――」
「いや、ウィズ殿。これは私から説明させてくれ」
師匠を遮ったミストが、軽く咳払いをして続ける。
「セージ、お前の遺伝子標本があれば、お前の身体を再生できるかもしれんということだ。そのためには、お前の墓を暴く必要がある」
「うーん、墓暴き自体は別に気にしないんだけどさあ」
気にもしていなかったが、そういえば百年前に死んだ俺の墓がどっかにあるんだな。自分自身の墓を暴くのは罰当たりなのかどうか、こんな問題にぶち当たった人間は過去にいないだろうし、哲学者も倫理学者も考えたことがないだろう。
「そんなことより、だ」
俺はとてとてと歩きながら、試験管に入った肉塊を見て回る。
魔力の触手を伸ばしてそれぞれを調べ、俺は確信を得る。
「これ、このまま育てたらたぶん魂できちゃうよ? 本当に聞きたかったのはこっちだろ?」
「はは、まったく。妙なところだけ察しがいいな」
ミストが軽くため息をつき、肩をすくめた。
「そのとおりだ。私たちが作っているものが命なのか、あるいは別の何かなのかが気にかかっていた。魂があるのならセージの器にもできんし、この研究は取りやめだな」
「どうしてやめるんだ?」
「実験の過程で何百、何千もの命を無為に殺すことになりかねんからのう。そんな研究はさすがに神経に堪えるのじゃ」
半ば人間をやめている師匠からそんな発言が飛び出して、俺は内心でびっくりする。
わりとすげえ研究だと思うんだけど、あっさり放り捨てて悔いはないんだろうか?
「ま、禁忌とするほどでなし、これまでの研究結果は学会で共有するがの。やりたいものがおれば勝手に引き継いでくれるじゃろ」
「食肉の増産や家畜の品種改良にも応用できる技術だからな。まあ、そもそも生命そのものは私たちの専門外だ。寄り道はやめて、本業の瘴気対策に専心するとしよう」
「師匠やミストがそれでいいんならいいんじゃねえの?」
俺は努めて明るい声を出した。
ミストたちがなぜこんな専門外の研究をしていたのか……それはどう考えたって俺のためだ。元凶である俺が深刻ぶっていたら、二人とも吹っ切れないだろう。
「そんなことよりさ、下町で美味い串焼き屋を見つけたから食いに行かねえか? 肉を見てたらなんか腹が減ってきちまった」
俺はトンタカタンとどんぐりタップを刻みつつ、研究室を後にした。
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