第23話 大賢者、遺言をする
おっさんがデカい鍋をふたつ、ワゴンに載せて戻ってきた。
ミストが目を丸くして固まっている。
「こ、黒竜公が自ら配膳をされるのか……」
「ハッハッハッ! 料理をしたのも、野菜を育てたのも吾輩なのである。今日は腕によりをかけたからな。ぜひ満足するまで味わってほしいのである!」
「……父上、いつも作りすぎ。みんなで食べるの、助かる」
貴族が自分で配膳したり、料理をするなどミストの常識にはなかったのだろう。
ハーピーの面々もがちがちになって目の前に皿が置かれるのを待っている。
皿の上には高く盛られた白いごはんと茶色のスープが半々になっている。
スープには強いとろみがついており、大きく切られた具材がごろごろ入っていた。
「名付けて、黒竜ダムカレーである。お代わりもあるので遠慮なく食べて欲しいのである!」
黒竜山脈にダムなんかないだろ、と内心で突っ込むが、それは野暮ってもんだろう。
たしかに、このビジュアルは大量の水をせき止めるダムのようである。
「うわぁ、おいしい! こんなおいしいカレー食べたの。メリスはじめて!」
「ハッハッハッ! そうであるか。そのように言われると吾輩も鼻が高いのである」
「……父上、ニンジン、入ってる」
「シロよ、好き嫌いは卒業するのである。もう巣立ちをしてもおかしくない年頃なのであるぞ」
「……はい」
メリスが先陣を切ったことで、他のメンツもスプーンを動かしはじめた。
ミストが一口ほおばってから真剣な顔つきになる。
「このスパイスの配合は……クミン、コリアンダー、ターメリックといった基本のものだけではないな。何か果実のような香りがある。クロネコ商会の直営店でも味わったことがないな……」
「ハッハッハッ! ダークエルフのお嬢さんは舌が鋭いようである。左様、隠し味に陳皮――みかんの皮を干して細かくおろしたものを加えているのである」
錬金術師の習性なのか、ミストは食べたものの原材料をいちいち分析する癖がある。いつだったか、材料さえあれば一度食べたものはほとんど再現できると豪語していた。
たしかに、ミストが当番のときに作る野営メシは美味かった。
「うめぇ! うめぇ! おっさん、お代わり!」
「うむ、見事な食べっぷりであるな! 良い卵を生みそうなお嬢さん方なのである」
「へへっ、褒めたって何も出ねえぜ」
カレーに夢中になって緊張が溶けたのか、ピュイをはじめとするハーピー連もスプーンが止まらない。両腕が翼になっているのにどうやってスプーンを使っているのか疑問に思うかもしれないが、翼の中ほどに指があり、それを使って器用に道具を操るのだ。
みんなが食べている間、俺はやることがない。
とりあえず、どんぐりタップを刻んで食卓に華を添えることにしよう。
「ヒツジ先生は、いつも食べないけど、だいじょうぶなの?」
「うん、ヒツジ先生はね、食べなくても大丈夫な体質なんだ。気にせずたくさんお食べ」
「はーい!」
華麗にタップを刻む俺を、メリスちゃんが気遣ってくれた。マジ天使である。
「食事も楽しめぬ身体になったとは、セージも難儀であるな」
「なに、食わなくていいのは便利な面もある。気にするな」
「ふむ、そうであるか」
黒竜のおっさんはそれだけ言うと、自分も食事をはじめる。
おっさんは人の言葉の裏を読むということをしない。生まれもっての強者故に、他者の言葉を疑う必要がなかったせいだと俺は思う。ドラゴンを欺く度胸のあるものはそうはいないし、もしそんなやつがいれば、神話の時代から生きるドラゴンの怒りの恐ろしさを身をもって知ることだろう。
「ところで、シロ殿もセージを知っていたような素振りだったが、シロ殿とはどういう関係だったんだ?」
「あー、えーっと、それはねえ、なんというか一言では言い表しにくいアレというかなんというか……」
俺は言い淀んだ。
もしかしたら、という心当たりはある。あるのだが、間違ってたら恥ずかしいし、見当違いなことを言ってシロちゃんに嫌われてしまうかもしれない。美少女に嫌われるのは悲しい。これは大賢者が認める真理である。
「……セージ、やさしく、してくれた」
俺とミストのやり取りに、シロちゃんが入ってきた。
シロちゃんから情報が得られるのはありがたい。俺の勘違いリスクが低減する。
「……そっと、抱いてくれた」
「抱いた、だと?」
ミストの片眉がくいっと吊り上がる。
「……痛く、ない。安心して、俺に、任せろって」
「ほう……」
ミストが懐からじゃきっとワンドを抜く。
「……すべすべで、きれいだって」
「ほほう……」
ミストのワンドがばちばちと紫電をまといはじめた。
「……目をつむってたら、終わってた。あんなの、はじめてだった」
シロの真っ白な頬に赤みが差した。
恥ずかしそうに、両手で顔を覆う。
「セージよ、あとでじっくり話さなければならないことがある。おそらくお前の遺言になるからいまから内容を考えておけ。なに、メリス君のことなら心配するな。私がきちんと請け負おう。何よりこんな少女に……そんな真似をしたお前のそばにメリス君を置いておくのは率直に言って危険と言わざると得ない。ふっ、お前のための旅だったのだがな……それがお前をこの手で看取るための旅路になるとは……運命とは皮肉なものだ」
ミストのワンドが雷光を放ち、食卓ががたがたと揺れた。
「ちょちょちょ、ミスト? ミストさん? あの、多大なる誤解があるようなんですがね? その、シロちゃんの言い方が、言い方ァー! って感じでありましてですね、私はちゃんとしてたと申しますか、責任を果たしたと言いますか、社会通念的に間違ったことはしていなくてですね。この通り、シロちゃんにもいい思い出になったようでありますし、私の行い、私の心には一点の曇りもないと断言できると言いますか――」
「それが遺言でいいんだな?」
反射的に土下座した俺を、ミストの冷たい視線が貫く。
へへっ、こいつぁクセになるぜ。
「……セージは、恩人」
シロちゃんが言葉を続ける。ミストの動きが止まった。
「ハッハッハッ! 何やら誤解があったようであるが、セージはシロの命を救ってくれたのである」
おっさんが愉快げに口を挟んだ。
絶対わかって眺めてただろ……助け舟を出すならもっと早くしてくれ。
俺がおっさんを睨むと、おっさんはちょびひげをピンピンと引っ張ってにやにや笑った。
くそっ、いい性格してやがるぜ。
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