第2話 肥溜め

 気が付くと、異臭がする。

 人糞(じんぷん)とゲロともっと臭いものが、混ざり合った匂いだ。


 「ハハハ、お前みたいなクズは、この肥溜めがお似合いだ。この中で腐れ」


 抵抗する間もなく、俺は肥溜めに落とされた。

 ジャポンと音を立てて、肥溜に沈んで行く。


 口の中に異様に臭いヌルヌルしたものが、侵入してくる。

 鼻の中には、水分の多いビチャビチャした臭い物が入ってきた。


 身体に触れるチクチクしたものは、ここにいるウジ虫かも知れない。

 俺の皮膚を食い破ろうとしているのか。


 俺はえずきながら、手と足を動かして上に上がろうとする。

 でも、肥溜めの壁には、とっかかりがどこにも無い。


 壁をヌラヌラした粘液が覆っていて、手が滑る。

 気持ち悪い感触で、ズルリと纏まとわりつく。


 とても上には登れない。ここで腐って死ぬのか。

 ウジ虫に食われるのか。


 苗字に「肥」が入っているけど、これはあんまりだ。最悪の死に方だ。


 必死に手足を動かしていると、壁に変化があった。

 壁が一部崩れている。

 まだ、ヌラヌラしてないので、最近崩れたのだろう。


 崩れたところを、もっと崩すと穴が開いているようだ。

 俺は一縷(いちる)の望みをかけて、必死に穴を広げた。


 爪が剝はがれたが、そんなことを言っている場合じゃない。

 命がけだ。


 広げた穴に身体を入れることが出来た。

 一安心だ。


 穴の上の僅わずかな亀裂きれつから、細い光が差し込んでいる。

 なにか落盤みたいなのが、あったのかも知れないな。


 口から臭い液体を吐き出し、鼻からも出した。

 身体を揺すって、臭いヌルヌルしたものも落とした。

 手でも落とした。


 でも、匂いが染みついてしまったな。


 激しく動いて疲れた身体を休めながら、穴を観察してみる。

 まだ先があるようだ。


 穴を這って前に進むと、ツルツルした人工の穴になった。

 トンネルだ。

 なんだこれは。


 もっと、進むとツルツルした壁にぶち当たった。

 なんだこれは。


 明らかに人工物だな。塔の壁なんだろうか。


 トンネルも壁もツルツルで、何の出っ張りも無い。

 何のためのものなんだ。


 じっくり探していると、トンネルの一部が透明なガラス板みたいになっているのを見つけた。

 そこに手を触れると、壁がスーっと音もなく四角に開いた。


 「吃驚した。開いたよ」


 俺は思わず大声を出してしまった。そりゃ驚くだろう。

 この世界に合ってない技術だ。

 塔とはなんなんだろう。


 俺は壁の中へ入っていくことにした。


 ここにいてもしょうが無いし、鉱山の寝床に帰ったら殺されるだけだ。


 ガラス板に手を触れて、壁を開けて入ろうとする。

 だが、手を離すと壁が締まる。ガラス板から壁まで距離があり過ぎるんだ。


 どうしょうか。

 考えても良い案が出せない。


 それにここにいても、飢え死にするだけだ。

 飢え死には辛いらしい。


 抜け出すには、肥溜めを上がるしか無いのか。

 しょうが無い。


 肥溜めの壁まで戻って、穴に身を乗り出して立つと、何とか縁ふちに手が届くようだ。

 臭いのを我慢して、何とか身体を引き上げることが出来た。


 夜の冷気を肺一杯に吸い込んだ。

 臭くない空気がこんなに美味しいとは思わなかった。


 近くに流れているドブ川で、頭と身体とボロボロ服を洗った。

 ドブ川は臭かったけど、肥溜めの匂いよりはましだ。


 その後、崩れかけの長屋に忍び込んで、食べ物と武器を盗んだ。


 見つかったら、拷問の末に殺されるので、心臓がバクバクと鳴りやまない。

 身体が痺れたように、上手く動かいなので、気持ちが焦る。

 身体についた肥溜めの匂いも気になる。


 食べ物は、酸っぱくて固いパンと臭い肉の固まりが、少し手に入った。

 武器はスコップだ。

 ツルハシと迷ったが、スコップの方が少し軽い。


 警備も何もして無かった。

 こんな奴隷の住処で、泥棒をするヤツはいないのだろう。


 崩れかけの長屋を出て、さて、どこに行こう。


 空は満天の星空だ。明かりは月明かりだけなので、僕の周りに星が降ってくる。

 月が大小2個なのが、異世界を象徴しているな。


 物乞いの少女が、道端に倒れ伏している。

 動く気力がもう無くて、その場で寝たのかも知れない。

 寝る場所もないのかも知れない。


 どちらでも、この汚い少女の運命は変わらない。


 そうだ。コイツを使おう。


 俺は長屋にもう一度忍び込んで、ロープをくすねてきた。


 俺は近づいて、少女を起こした。

 少女は疑い深そうな目を、俺に向けて来る。

 警戒しているようだ。

 当たり前だな。


 真夜中だし、伝染病で死にかけていても、若い女の子だ。


 「君、このままでは、死んでしまうよ。俺にかけてみないか」


 少女は、干からびた唇を動かして、掠れた声を出した。


 「怖い。嫌です」


 「大丈夫だよ。怖く無いよ」


 俺は少女の口の中に、パンをちぎって押し込んだ。

 そして、少女を抱き上げて、肥溜めに向う。


 少女は「むぐ」って、くぐもった声を上げたけど、パンは吐き出さなかった。


 誘拐するような男がくれたパンの欠片でも、惜しかったんだろう。

 叫んでも、誰も助けてくれないのを分かっているのだろう。

 何日ぶりかの食べ物が、美味し過ぎたのかも知れない。


 少女を肥溜めの縁まで連れて行くと、本当に嫌だという顔をする。

 斑点だらけの歪んだ顔をさらにしかめている。

 重い病気でも、さすがにここは臭いのだろう。

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