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世間に出て働くようになった私は、胃弱の点では多少の改善が見られました。身体的な成長のおかげでしょうか。電車に乗ってもトイレの心配をすることはなく、薬の量と飲む頻度も減りました。今でも完全には縁を切れてはいませんが。
しかし、胃弱という点は性格形成にも影を落としたのでしょう。あるいは双子のようなものかもしれませんが、私は今でもやや気弱なところがあります。プレッシャーやストレスには過敏な反応を示してしまうタイプです。ことに学生時代と同じく、トイレという空間に於いてそれが発揮されてしまったのです。
女性には分かりにくいかと思われますが、自分が立った便器のすぐ隣に誰かがやって来ると、いつもより出すのに時間がかかる、もしくはちっとも出なくなるということがあります。女性のトイレはみな個室ですから、外に人が待っていても姿は見えず、自分一人集中して生理現象に励むことができると思います。しかし男性トイレには便器と便器の間に仕切りすらない。隣に誰が来たかも丸見えです。そしてさっそくスッキリしているあの水流の音が、私の方が先に便器の前にいたのに何をぐずぐずしているんだ、とせかす声のように聞こえ、かえって体が排泄を渋ってしまうのです。
こういう時も、体は意思の通りには動かないものです。蛇口をひねれば水が出てくるのとは違うのです。私は目の前の壁を見るしかありません。しかしそこに意外性を持ったものは何もない。あったとしても、壁紙と壁紙の継ぎ目や、その僅かな剥落の具合、小さな小さな埃や、時には誰かの髪の毛。忘れ去られた雑巾(職務怠慢ですね)。親指の爪ほどの大きさをした何色かのタイルが規則正しく整列していることもありました。また便器の正面に視線を移しても、見えるものはメーカーのロゴや、人感センサーの赤い点滅くらいのものです。壁に何か紙が貼ってある時もありますが、私が見た限りでは「もう一歩前へ!」とか「女性清掃員が立ち入ることがあります」とか「便器の中にタバコの吸殻を入れないで」くらいが関の山。一途に発散行為の達成に神経を集中すべく何かを見つめようとしても、手がかりらしきものはろくに見当たらないのです。私は目をつぶりながら心の中で深くため息をつきました。ジリジリしているであろうバスの運転手や同級生を尻目に(まさに尻目でした)言うことを聞かない腹を抱えてトイレの壁を眺めていた学生の頃と、何も変わっていやしない。便器の性能自体は進歩したかもしれないが、それを取り巻く周囲の環境(主に壁面ということですが)には一つも進歩が見られない。これは一体誰の責任なのだろう。便器の性能は便器のメーカーが責任を持つもの。トイレの清潔性はそのトイレを管理する場所の管理者が責任を持つもの。もちろん清掃員にも責任はあります。だとしたら、知らない誰かと膀胱の負担軽減の時間を余儀なくされて、それに没頭できずに苦心している人の苦悩を癒すのも、トイレ管理者の責任ではないか。いや、ここはそんなことに負担を感じてしまう性格の持ち主が悪いのだということになるのでしょうか。しかし人間の性格などそう簡単には変えられません。無い袖は振れないのです。とはいえ、このままでは現状に変化の見られないことは確かです。それに私と同じ思いをしている人はきっと多いだろうとも思ったのです。だって広い世界で私一人だけが気弱な性質の持ち主、ということはさすがに考えづらいでしょうし、自分のすぐ隣、袖も触れんばかりの位置でデリケートな部位をさらけ出した赤の他人が立ち尽くしているという状況を好む人はそう多くはないはずですから。ああ、またも不調法な話になってしまいまして面目のないことです。
ところでその時私は、ある印刷会社で営業職をしていました。私にもそういう時代があったのですね。ですがはっきり申し上げると、私は営業の仕事にはほとんど興味も魅力も感じていなかったのです。大体私のように内に籠るタイプの人間は、見ず知らずの余所の会社のオフィスにいきなり乗り込んで笑いたくもないのに笑顔を振り撒き、自分が帰ればすぐゴミ箱に投じられるに違いないつまらない資料を置き土産に下げたくもない頭を下げて立ち去った後、5分やそこらで昼飯を掻き込んでまた余所の会社を回るなんて日々には不向きに決まっていました。余程トイレの清掃員の方がいいとさえ思いました(実を言うと今でもそう思っている節があります)。
そんな私がどうして今は経営者の立場にいるのか。我ながら不思議ではあるのですが、それはこういうことです。ある時私が営業職をしていた印刷会社は様々の事情から廃業を決めることとなりました。当然私も失職の瀬戸際、いや失職確定の身となったわけです。しかし廃業に納得がいかず、また今から転職の難しい年代の同僚数人が、機材の一部を引き受けて自分たちで新しく会社を起こそうではないか、と提議を始めました。そこに、久しく足を向けたことのなかったハローワークへの道筋を思い出そうと努力していた私も誘われたのです。社長に担ぎ上げられた理由はただ一つ、私がメンバーの中で最も若かったからでした。案外社長なんてそんなものなのでしょう(従って私は本アンケートの他の多くの回答者の方々がそうであろうように、自らの意思で起業したというタイプではないのです。「創業者」と名乗れるのかどうかさえ怪しいところではないかと思っていますが、一応起業以来私が経営者の立場にあるので、どうかご容赦願いたいと思います)。しかし若い人間だからこそ、託された重大な任務がありました。それはこの新しい会社にしかできず、同業者がまだ誰も手がけていない新事業の「企画」でした。
この大して景気がいいわけでもない時代に昇り調子とも言いづらい世界に参入していくのですから、よほど同業者との差別化を図らなければ生きていけません。奇抜と言えるほどのアイデアが必要です。まずはそのアイデアでもって業界に足場を作り、その後だんだん他社の手がけている仕事をコピーして我が物にしていくのです。
そんな虫の良さげな漠とした方針を、専務になる予定の年長者から聞かされた私の頭には、一つのひらめきが顔を出しました。そう、トイレです。あのトイレの便器に面した壁面に、独特のイラストや写真を貼ってみれば、私のように他人の中だと不都合を感じる人間も、集中して膀胱スッキリタイムにつとめることができるのではないか。そしてそのイラストや写真を新しい会社で専門的に手がけ、印刷して各所のトイレに設置するという業務形態を取るというのはどうだろうか。
しかし私としては渾身の、そして自らの経験上差し迫った必要があると考えていたこのアイデアは、他の起業メンバーには一笑に付されるばかりでした。それもある意味で無理はありません。大体、そういう繊細さとはおよそ縁のない、その辺のゴミ集積所から拾われて来たメッキの剥げたハンガーのようながらくた同様の連中ばかりだったのですから(失礼、これは言葉が過ぎました)。
そうは言っても他に目ぼしいアイデアはありませんし、いかにも地味でしかも特殊な状況でしか人目を惹かない種類の印刷物ですから、恐らくこうした発想を持ち実行している他社もいないだろう、と皆の意見が一致して、私の学生以来の内なるテーマが、ついに形を見ることになったのです。
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