第58話 コイはモウモク

 三人一緒にお出かけが出来たのは、偶然が重なったから。

 ではなく、お休みとは思っていなかったので嬉しい誤算です。


 当初は雲行きが怪しいと思われていた東西首脳会議ですが、想定よりも順調に議題を進められそうな気配が見えているから、とシルさんが言ってましたから。

 その時、彼は悪戯をした子供のような表情で「実は『黎明の聖女』が裏で活躍していたのだと専らの噂ですよ」とも言ってましたが……。


 何だか、複雑な気分です。

 どこか他人事ひとごとに感じられるのは、私が『聖女』と名乗ったこともなければ、そう思っていないせいでしょうか?

 でも、シルさんが喜ぶなら『聖女』でもいいかも……。


 はっ!?

 何を考えているんですか、私!

 薔薇姫としての姿は秘密なんでした。

 昨日も柄にもなく、ついついヒートアップして、おいたをしてしまいましたし……。


 そのことを考えていたら、パミュさんの顔色が悪くなったので心配です。




 午前中はシルさんがリストアップしてくれた保育所の下見を済ませました。

 通う本人であるパミュさんの希望が大事なので彼女の意見を聞きつつ、シルさんが詳細なレポートにまとめてくれるのです。


 あの……。

 私は何をすれば、いいのでしょうか?


 所在なさげに立ちすくんでいるとパミュさんが遠慮しがちにそっと手を出して、繋いでくれました。

 「ママはこーしてくれるだけでいい」と言ってくれるパミュさんは何て、優しい子なんでしょう。


 私、負けません。

 これも母親としての戦いなんですね。

 戦いは全部、受けて立ちます!


 ……などと気合十分でしたが、特にやることはありませんでした。

 単なる下見ですし、空回りしただけのようです。




 午後は遅めのランチとなりました。

 下見がそこそこに手間取ったのはシルさんの完璧主義も影響しています。

 商人ギルドで信頼されている理由が分かる仕事ぶりでした。

 パミュさんはちょっと引いていましたが、私は一層好きにな……な、なんでもありません。


 ランチはパラティーノでも有名な老舗の宿で特に地元の名物料理で知られているそうです。

 これもシルさんの受け売りに過ぎないのですが。

 何でシルさんはそういうことに詳しいのでしょうか?


 まさか、女性を誘う為に?

 月の静かな光に照らされて、凪いでいた心が雲に邪魔されて、仄かに沸き立つような……。


「パミュさん。お口を拭き拭きしましょうね」

「すぃ」


 いけません。

 こういう時はパミュさんのお世話をして、気を紛らわすのに限ります。


 注文したのは名物料理二種ですが、両方ともお口が汚れるのです。


 濃厚なチーズと卵黄をベースにしたクリームソースが絡んだパスタ。

 穀物とチーズを衣で包み揚げた物。

 この揚げ物のソースは赤く、熟したトミャトの実をベースに香草類を混ぜているのでちょっと油断をすると口裂け女です。


「喜んでもらえて、よかったです。たまに商談で利用している店なんですよ」

「そうなんですね。お料理も美味しいですし、また来たいです」


 お仕事で使っているだけだったんですね。

 シルさんがそういう人でないことは分かっているのに疑ったりして、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 嘘をつける人ではないですもの。


「ママ。こいはもうもく。ふっ……」

「んんん?」


 また、パミュさんに悟りの境地に至った隠者のような目を向けられたました。

 こいはもうもく……はっ!?

 故意はもう黙? それとも鯉はモウモク?


「ママ。つよくいくろ生きろ

「えぇ!?」


 シルさんはそんな私達のやり取りを見て、くつくつと笑っています。

 私は真剣に考えているんですから!


 そして、思うのです。

 この時がずっと続けばいいのにって……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る