【完結】薔薇の姫は夕闇色に染まる
黒幸
第一部 薔薇姫と夕暮れ
第1話 黎明の聖女
(三人称視点)
その半島――アペニン半島は
半島を治めるのはセレス王国。
大陸でも屈指の長い歴史を有する古い国である。
その都パラティーノは『永遠の町』と呼ばれていた。
古代に築かれた神殿や住居の遺跡がそこかしこに存在しており、歩いているだけでも歴史の勉強になると言われるほどだ。
実際、土木工事が行われると未知の遺跡が発掘されることも少なくない。
古きと新しきが程よく、混在したこの国の国民性は実に分かりやすい。
一言で言えば、『なるようになる』という大らかさである。
裏表がなく、朗らかな性質と相まって、長所でもあり短所だと言えよう。
しかし、平和そのものに見えるセレス王国に静かに忍び寄る不吉な影があった。
アペニンの長靴の履き口にあたる部分で二大国家と接しているのだ。
これが悩みの種となっている。
二大国家は政治的に対立関係にあり、表立った大きな争いこそ、起きていないもののいつ、そうなるか分からない状況にあったからである。
西の自由都市同盟は『花の町』の異名で知られる大都市ルテティアを筆頭に港湾都市ハンマブルクなど、力を持った都市が軍事・通商協定を結び、成立した疑似国家である。
商業を重んじ、貿易に力を入れている都市が多い為、自由を
そのせいか、足並みが揃っているとは言い難い同盟だったが、こと東側に対する姿勢では一致していた。
東の自由共和国は世界的にも珍しい共和制を国家の仕組みに取り入れた大国である。
十八年前の革命で東方最後の公国となったリューリク公国が倒れて以来、国王や貴族は存在していない。
代わりに民衆が選んだ議員による議会が国を先導する仕組みを取っている。
始めこそ、理想に燃えた国家の枠組みは上手く回っていたものの議員がやがて、世襲制となり、議会の長である議長に権力が集中していくにつれ、腐敗していった。
正反対の独裁的で秘密主義のやり方は西の自由都市同盟とは正反対のものだ。
それは必然でもある。
イデオロギーの違いが両者の間に軋轢を生み、過去に幾度かの大きな戦乱を巻き起こしている。
しかし、風向きが変わりつつあった。
人々は争いに
ここ十数年の間、大きな争いはついぞ起きていない。
ボヤ騒ぎにも似た小競り合いが起こる程度で……。
西と東の争いは形を変えて、セレス王国へと持ち込まれるようになった。
表向きは両者ともに歩み寄る姿勢を見せている。
恒久的な平和を築くべく、折衝が重ねられた結果である。
だが和平に前向きな西側が譲歩するのに対し、東側はどこまでも
独裁国家であるがゆえに弱みを見せられないのもあり、強気な姿勢を維持している。
セレス王国はあくまで中立の立場として、折衝の場を提供しているに過ぎない。
ところがこれがどうやら、いけなかったらしい。
戦いの場を自らの地ではなく、
セレス王国の都『永遠の町』パラティーノではとある人物の噂で持ち切りだ。
噂好きの人々の間で常に話題に上がるその者は『黎明の聖女』と呼ばれていた。
「黎明の聖女様がまた、やってくれたぜ」
「聖女様様だな」
「全くだ」
冒険者ギルドのロビーでそんな会話がされているのが常だった。
老いも若きも関係ない。
ましてや性別すらも関係なく、『黎明の聖女』の話で盛り上がっている。
『黎明の聖女』は新聞紙上を賑わす時の人だ。
『聖女』と呼ばれているが、女性であると判明したのもつい最近のことだった。
夜の帳が下りた闇夜に動き、人知れず反体制の人間を始末する腕利きの暗殺者。
それが『黎明の聖女』である。
停滞していた事態を動かしたのはとある新聞記者だった。
記者が現場を離れようとする『聖女』を偶然、捉えることに成功したのだ。
『上から下まで黒で統一されたシックなデザインのドレスを着た女性だった』
翌日の新聞の見出しに掲載されたこの記事に人々は飛びついた。
以来、世間は賑わいを見せている。
その女性の紅の髪は長く、美しい。
朝焼けの光に照らされたその色はまるで世界の夜明け――曙を連想させる。
記事の締めの一文がそうであったことから付いたあだ名――それが『黎明の聖女』である。
「また、聖女様の話で盛り上がってますねぇ」
「いいじゃない? そのお陰で仕事がサボれて楽できるじゃないの」
「そうですねぇ。そうなんですけどぉ。いい加減、飽きません?」
受付カウンターで暇を持て余していた冒険者ギルドの受付嬢クレメンティーナ・フォレスタは同僚と声を潜め、そんな会話をしていた。
「お先に上がります」
鈴を転がすような声でありながら、どこか覇気がなく、感情が伴っていないように感じられる不思議な声だった。
「お疲れ様でぇす、プレガーレ先輩」
「お疲れ」
声の主――アウローラ・プレガーレは元来、存在感が薄いのだろう。
気配もなく、不意に現れ、声を掛けてきた同僚にクレメンティーナらは驚きを隠せない。
彼女らを意にも介さず、事務方の制服に身を包んだアウローラは軽く、頭を下げるとそそくさと身を翻し、瞬きしている間にその姿を消した。
「あの人、帰るの早いよね」
「だよねぇ」
呆れた表情を隠そうとしない同僚に頷き、同意しながらもクレメンティーナは不思議に思っていた。
あの先輩は何でわざと地味に装っているんだろう?
素材はとてもいいのに変なの、と……。
夕闇が訪れつつある空が不思議な色合いを見せていた。
薄桃色のようでもあり、紫のようでもあり、橙の色のようでもある。
形容しがたい色を帯びたアウローラの髪に気が付く者は誰一人いない。
無造作にまとめて、アップにしており、髪留めで隠されているので余程、洞察力に優れた者でなければ、まず気が付かれないのだ。
まるで夕闇の空の色が彼女の髪に宿り、そのまま映っているかのように不思議な光景だった。
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