第21話 半世紀たって、初の大学進学者
この表題は、私のことです。
私のいた養護施設は、1936(昭和11)年に創立され、私はと申すと1988(昭和63)年に大検こと大学入学資格検定を経て現役で岡山大学に進みました。
その間、約52年の歳月が経過しておるわけです。
まあその、50年もあれば他にも一人やそこらいてもおかしくなさそうに思われますけど、そんなことないのね。
じゃあ、その素質のある人間はそれまでいなかったのかというと、そんなこともないわけ。前話で御紹介した、2歳上のM君というのが、そうでした。
彼は勉強もそれなりにでき、運動もでき、職員の受けもよい。
言うなら、「施設の優等生」と言ってもよさそうな、そんな少年でした。
それが、中学に入った頃から、だんだん横道にそれ、結局高校もいかずに社会に出る羽目になってしまいました。ここは別に当時の児童福祉やその施設の職員らの対応を批判する場ではないので(罵倒にしかならんから、オトナゲないどころの騒ぎではなくなるからね)、この話はここで止めます。
そんな中で、私、よくもまあ、大学まで行けたものだと思いますよ。
・・・ ・・・ ・・・・・・・
さて、そんな私の小学校の同級生によって製作された映画のお話に。
まさにここでは、兄弟のうち弟のほう、まさに、三浦春馬氏が演じた陸軍の下士官ですけど、彼は結局、特攻に出て戦死することになるのですが、その彼が、あるシーンで、兄に向って敬礼しながら、こんなこと言うわけよ。
「しっかり研究して、お国のために、頑張ってください!」
本来、大学にまで通うということは、そのくらいの意義があったのよね。
これは文系・理系を問わず、ね。
黒崎博君ともあろう御方が、あの当時の感覚、わからないはずがないだろう。
それも肌身で、ね。
~ 幼稚園中退(わしやねん)にわかって、京都大学文学部にわからんはずがなかろう、ってことで(苦笑)。
今や大学進学率が5割を超えている時代、そこまでのものを求められてもというところもあるけど、誰もが(その大学のレベルはともあれ)大学に行こうと思えば行けるような時代になるには、確かに、時間がかかっておりますな。
前回紹介したエピソードもそうだけど、そのM君に最後に会ったときに渡されたあの1000円の意義を、もう一度、じっくり、考えておるところです。
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