第7話

 

「ごきげんよう、グレース」


 パーシバルのお兄様は、先月、メイフィールド家のご当主となった。

 メイフィールド子爵家は領地に多数の紡績工場を抱え、王都の紡績に一役買っているという働きで、近々伯爵位を賜る予定だ。

 うちの領地はその素材を提供できる土地柄ということで懇意にさせてもらっている。


「グレース。そのドレスとても素敵ね。ラッセルズ商会の新作かしら?」


 わたしのドレスに視線を落として、華やかな笑顔を向けるのが、子爵の令夫人であるルイーゼ様だ。

 なかなかにお目が高い。

 この新作ドレスの一番の売りであるレース部分に注目しているのがわかる。

 通常の子爵家当主らしく対応しなければ。


「メイフィールド卿、ルイーゼ様、ごきげんよう。メイフィールド紡績のシルクで作られたもので、着心地が素晴らしいです」


 まずは相手方の商品を褒める。

 でもね、このドレス。レース部分はうちの領地で生産されてるプチアラクネの糸よ。

 ドレス本体のシルクはうちの領地では無理だったけど、プチアラクネの糸は希少だし、紡績関連では今注目の素材だ。

 これはうちの独占だからね。こういうところで自領の特産品を見せておく。

 袖や、襟、装飾の先端にそれを使用しているので、メイフィールド卿も奥方も新素材が気になる様子だ。


「レースが素晴らしい。うちのシルクと合うね。グレースが手掛けているのかい?」


 わたしは言葉にせずに、アルカイックスマイルを浮かべる。

 それが肯定なのだと察した様子だ。


「うちにもう一人弟がいれば、グレースを是非に迎えたかったね」

「グレースも今後はこの規模の夜会にたくさんおいでなさいな。貴女を紹介してほしいとこの人がせっつかれて大変だったのよ」


「ありがとうございます」


 そしてアルカイック・スマイルをひっこめて表情筋を死滅させた。

 冷淡に見える女子爵らしい表情と所作を全面に出していこう。


「今のキミを見て声を掛けたそうな連中は、両手の指では足りなさそうだぞ、我々も心して人選をしなければな。あのよくわからないクロード・オートレッドよりも何倍もいい男が必要だ。だいたいアレとキミではつり合いがとれない」


 はは、元婚約者をよくわからないと評された。

 うん、わたしも元婚約者はよくわからないけどね。

 このメイフィールド卿とラッセルズ商会が元婚約者に対してあのあとどうしたのか――、わたしの耳に入らないように取り計らってるようだ。

 彼の家は――オートレッド家は、あの婚約破棄劇場後から一年後、タウンハウスを売却し、もう少し土地の安いエリアに引っ越したらしいことは、知っている。

 ラッセルズ商会と次期伯爵家に睨まれた子爵家の末路とか……想像するだけで怖いな。

 ほんとうにうちの姉も妹も力強い後ろ盾を持ったものである。


「貴女を紹介してくれと言われているのは本当なのよ、グレース」


 うーん……。

 そう仰ってくださるのは光栄なんですが……。

 でも男性よりも仕事の紹介を希望しますとは、紳士淑女の出会い場であるこの会場でこの発言するのはダメだろうな。

 父親が生存時から子爵家の裁量権を手にした強欲な娘――という印象に拍車がかかるだけだね。

 別にいいんですけれど、でも、それと結婚したい男ってどうなのか。


「それとも、フォースター侯爵夫人からそういった打診を受けているのかな?」


 ちらりとメイフィールド卿の視線を追う。

 彼の言うフォースター侯爵夫人はパトリシアお姉様にいろんな男性を紹介してくれた夫人だ。

 かのご婦人はこの会場で、本日デビューの令嬢と年齢のつり合いがよさそうな青年紳士を紹介している。

 社交界だろうと下町だろうと、いるところにはいるのだ。男女の仲をとりもちたい世話焼き役――彼女はいろんな男女を仲介するのが趣味な御仁で、悪い人ではないが、少々おせっかいが過ぎる。そして話も長い。

 でもラッセルズの若旦那とパトリシア姉様を引き合わせたのだから。組み合わせを見る目は確かなんだろうな。


「まだ、打診は受けておりません」


 そう答えると「これはこれはメイフィールド卿。ごきげんよう」と紳士が声を掛けてくる。

 その人がわたしに紹介したい御仁なのかな?

 でもうーん……結婚するにはちょっとパス。

 お二人に心の中で「ごめんなさい」と謝罪しつつ、夫妻から一歩距離を離れる。

 声をかけてきた紳士があと二歩ぐらいでメイフィールド卿に肩を並べそうなところでわたしは、カーテシーをしてみせた。


「それでは、メイフィールド卿、ルイーズ様ごきげんよう」


 去り際に、メイフィールド卿がやんわりと「彼女は奥ゆかしいから」と言葉を濁している声が聞えた。

 あ、うん、やっぱりね。

 そういうことか。

 つまりわたしを紹介してほしかったと。

 メイフィールド卿がわたしを引き留めなかったってことは、あんまり紹介しても旨味がないと判断したのかどうなのか。

 セピア色の髪にセピア色の瞳……うーん、元婚約者と被ってわたしはなんか嫌だなと思っただけなんだけどね。


 とりあえず、壁際に撤退。

 そこには見知った顔がいる。

 相も変わらず壁の花に徹している令嬢だが、わたしの親友。


 エイダ・エインズワースだ。


 エインズワース家は男爵家。

 男爵家とはいっても、高位貴族の縁戚である男爵家だ。

 在学時、エイダの爵位を揶揄った世間知らずの令嬢達は、親にこってり怒られたという逸話をわたしは知っている。

 領地は持たずとも、王都では売上一位を誇る新聞社を持ち、出版業にも手を広げている。

 国の貴族名鑑の作成もエインズワース家が取り扱っている。

 高位貴族の縁戚で、王都一の新聞社を抱える実家を持つとは思えぬほど、本人は目立たず、地味で、見事に周囲に埋没する容姿をしている。

 が、よくよく見ると、人のよさそうな笑顔がチャーミング。

 自分もせめてこのぐらい控えめながらも愛嬌がある笑顔ができたらよかったんだけどな。


「誰もが貴女に声を掛けたがっていて、見ていて面白かったわ。デビュタントの令嬢達が霞む夜会の主役じゃない?」


 給仕からフルートグラスに注がれていたワインベースのカクテルをさっと取って、渡してくれた。


「そんな色めき立つ紳士達をさしおいて、貴女とお話しできるなんてね」


 わたしはグラスを受け取ると、小さくため息をつく。


「わたしと話すのは、領地の事業関連の男性よ。知ってるでしょ? 今日はジェシカがデビュタントなの」

「そうは言うけれど、会場入りすると一斉に貴女に群がる様子はすごかったじゃない」

「学生時代の友人がほとんどよ。見てわかるでしょ? あとは、毛色の変わった珍獣枠を近場で見たいだけの人もいたわね」


 目立たない髪と瞳の色は、壁の花になりやすいが、彼女はそれを逆手にとって、夜会で起きる出来事を観察しているのだろう。家業の血が流れているなー。

 この世界、この国で、わたしとエイダは貴族の令嬢でありながら、家業に深く携わり、適齢期のうちの婚期を逃しそうな同性の友人で気が合うのよね。

 あー、それにしても、これでようやく一息つける。

 グラスの中身を一気飲みしたいのを堪えて、あくまでも上品にグラスに口を付けた。


「ところでグレース…。人込みをかき分けてやってくる、あの人物に見覚えがあるんだけど」


 うん?

 エイダの視線の方にわたしも視線を向ける。


 ――クロード!?


 三年前に別の令嬢と婚約する! 婚約破棄をする! と、ウィルコックス家のタウンハウスで喚いた元婚約者の姿だった。


「なんで……?」

「やっぱり、貴女の元婚約者よね? 貴女に頼まれて調べたけれど、アレは、親から勘当を言い渡されて、親戚筋の牧場に行ったんじゃないかしら?」


 姉の婚家も義弟の家も、元婚約者の現状についてわたしの耳に入らないようにしてくれていたが、わたしはなんとなくどうなったのか、エイダに頼んで調べてもらっていたのだ。


 彼は結局、連れてきた令嬢と結婚しなかった。


 メイフィールド家とラッセルズ商会に睨まれたオートレッド家の当主が、やらかした息子を放置したらお家の衰退は目に見えている。

 クロードを勘当し、彼の貴族籍を抜いて、親戚筋の牧場に放り込んだという。

 あの男に牧場とか無理じゃなかろうかと思っていたんだけど……。


「エイダ、アノ人どこかに婿入りとかした?」


 そうすることで貴族位に返り咲くことも、なくはない。(最底辺だけど)

 エイダは首を横に振る。

 とにかく妹と合流しなければと視線をさまよわせたところで、目の前に手が差し出された。

 わたしとエイダはその手をじっと見つめ、「今それどころじゃないのに」と、手を差し伸べた相手の顔を見て呼吸が一瞬止まる。


 金髪に神秘的なアメジストの瞳、上背高く、穏やかな微笑みを浮かべた紳士――……夜会に出席する淑女達がこぞってダンスに誘われたいと望む相手――ヴィンセント・ロックウェル卿が立っていた。


「今宵、貴女のような淑女に出会えて光栄です。どうかこの手を取って私とワルツを踊っていただけないでしょうか? この身は騎士ではありますが、貴女の王子になりたいのです」


 アメジストのような瞳でわたしを見つめ、彼はそう言った。



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