くちなしの姫君と銀白の龍その二
「……歌はもう終いか?」
「……え……」
満月に照らされて輝くそれは、荘厳な美をたたえた銀白の龍。瞳だけが赤い。
「……私は夢を見ているの……?」
姫君が立ち尽くして呆然としていると、龍が面白そうに微かな笑い声をもらした。それだけで、さざめいていた草木が一斉に凪いだ。
「夢だと思いたいのなら、それも自由だ。私はお前の歌に魅入られて天から下ってきた……お前の歌は心を打つ。もっと聴きたいと思わせる」
「……誰か……!」
「呼んでも無駄だ。この屋敷のものは朝まで起きない」
「……あなたの仕業なの……?」
「造作ないことだ」
姫君は震えながら龍をまっすぐに見つめた。角が、鱗が精巧な銀細工のごとく月光を照り返している。
美しい、と思ってしまった。特に印象的なのは眼の色だった。銀白のなか、唯一の色彩を放っている。
「私を直視しても無事とは……大概のものは魂が抜けてしまうというのに」
「……あなたは私の歌に魅かれたと話したわ。それなのに魂が抜けてしまっていたら、どうするつもりだったの?」
魂が抜けてしまえば、すなわち死だ。姫君は怒りを覚えて気丈に言い返した。
それも、龍の気に入ったらしい。くつくつと笑いながら、「そうなれば、それまでだ。しかしお前の魂は抜けていない。それでいいではないか」とはぐらかした。
「それより歌だ。お前の歌声は龍にとって滋養に満ちた甘露だ。もっと聴かせてはくれないか?」
「……私の歌声が……?」
「人のなかに、ごく稀に存在する。龍を癒す能力をもつものが。巫女でもないのに珍しい。……どうした?」
姫君は勇気を振り絞って歩を進めた。龍に近づき、手を伸ばす。
「……あ……温かいのね……」
「私はこれでも生きているからな。……恐ろしくはないのか?」
「恐ろしいわ……けれど……」
龍が姫君に合わせて頭を下げ、触れやすいようにする。互いに意外なことだった。
──私に気遣ってくれている?
──何故、この少女に触れさせている?
姫君が龍の頭を撫でる。龍は知らず喉を鳴らしていた。その様子に、姫君のなかで張り詰めていた何かが、ふつりと切れてほどけた。
「……お前は何故に泣いている?」
「……あ……」
言われて、姫君が慌てて頬を拭おうとすると、龍が舌先を出して姫君の涙を舐めとった。
「……慰めてくれているの……?」
「さあな。……涙も甘露だ。加えてお前は魂が輝いている」
「……あなたこそ……その瞳……暁の空のようだわ」
「……お前は……」
そして、姫君が龍に頬を寄せて身を預けると、龍が戸惑いを浮かべた。
「この眼は……仲間からは血の色だと忌み嫌われている……お前は違うのか?」
「……綺麗だわ……それに……あなたは優しいのね」
姫君が微笑みを浮かべて龍にもたれる。最初の恐怖は消え、龍のぬくもりに、どこか安らいでさえいた。
龍は姫君から香る匂いに、天界のどの花にもないものと酔いしれた。しかも姫君は恐れも忘れて血の色の眼を暁の空の色だと言う。
「……気に入った……」
「え……?」
「これから毎夜通おう。そうして、お前を私の伴侶にする……」
それが、出逢いだった。
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