第71話 高級会員制ジムって緊張するけど、別の意味でも緊張するわ


「お久しぶりね。柊翔魔君」


 多目的スタジオには、見覚えのある三〇代後半の眼鏡を掛けた女性がジムウェアを着て待っていた。


 細身の身体であるが鍛えていることが分かる身体つきをしており、胸元は大きく膨らんでウェアを押し上げている。


 声を掛けられたが咄嗟に誰かは判断がつきかねて、相手を凝視してしまう。


「いやね。そんなにじっくり見ないでよ。今日からは同じ(株)総合勇者派遣サービスの社員同士になるんだからね」


 眼鏡を掛けた女性が親し気にオレに話しかけてくるが、どう記憶の糸を辿っても目の前の色香のある三〇代後半の女性の記憶が呼び起こされて来なかった。


「おお、君の方が先に来ていたのかね。東雲女史……。いや、東雲霞しののめ・かすみ君と呼ばねばならんな」


「いえいえ、クロード社長になら下の名前で呼ばれたいわ」


「ひえ!? 東雲女史!?」


 目の前の人物の記憶が繋がった瞬間に、彼女があまりに変貌を遂げていたのに驚いてしまった。


 出来る女感を醸し出していたスーツ姿からジムウェアに変わっているとはいえ、あの怜悧で狡猾な視線を投げかけていた東雲女史が、あたかも普通の女性のように朗らかな笑顔で可愛らしく挨拶をしてきたことで、認識できずにいた。


 それほどまでに、以前会った時とのギャップを感じさせているのだ。


 あの東雲女史が目の前の女性? 


 髪色は前より明るくなっているし、それにキツメの印象だった切れ長の目がとても同じとは思えないほどの穏やかさを見せているんですけど……。


 女性は化粧で化けるというけど、これは化けすぎな気がするんだが。

 

 東雲女史の変貌に驚いたまま硬直していたオレの肩をクロード社長が軽く叩く。


「実は、彼女はね。今日から私の専属秘書になることが決定したんだよ。今まではエスカイアが事務員として色々と雑務をこなしてくれていたけど、柊君に取られちゃったからね。新しく募集していたら、ちょうど東雲君が例のミチアス帝国の件の人身御供として退職したと聞いてね。色々と交渉術を使って我が社にスカウトすることに成功したのだよ。いやー、東雲君の獲得は骨が折れたね」


 東雲女史は確か、公安調査庁調査三部第一課長のキャリア組だったはずで、官僚としてエリート街道に乗っていたはずの人物であると記憶していた。


 それが退職したというのは、よほどミチアス帝国の件が重大事案になったということであろうか。


 そうなると、とても申し訳ない気がしてならないのだが……。


「東雲さん……まさか、オレのせいで?」


「柊君のせいと言えばせいね。だけど、元々私も公安調査庁や日本政府のエルクラストに対する姿勢に嫌気が差していたし、今回のミチアス帝国の件で総理に対して私を人身御供として突き出した公安調査庁に愛想が尽きたというのが、本音ね。民間警備会社に再就職でもしようかとおもっていたけど、クロード社長が熱心に足繁く通って私を口説き落してくるから、つい情にほだされちゃって入社のオッケーをしちゃったわ。そこのおじさんは見た目と同じ位に強引な人よ」


 顔を赤らめて喋る東雲女史はまるで、恋する乙女のように身をくねらせて恥ずかしがっているが、クロード社長の使った交渉術が何だったのか知らない方がいいと思われた。


「それは、ご迷惑をおかけしましたと言うしかないですね」


「そんなに迷惑でも無いわよ。クロード社長の力を使えば、公安調査庁に居た時にはできなかったこともできるしね。それに調査三部第一課長時代の部下達は私の言うことならなんでも従う子達だから、裏で動かせるし、それにお給料は倍増だからね。いいことずくめの転職だと思っているわ」


 どこか吹っ切れたような顔をして話している東雲さんであった。


 キャリア官僚時代は相当な努力をしてあの地位にまで上り詰めた才媛であることは間違いないので、日本国政府は彼女を手放したことで益々クロード社長に言い様にされてしまうのではないかとも思えた。


「いや、有能な秘書がいると仕事が捗るからね。これでまた関係各所との会合も色々とセッティングできるよ。エスカイアが抜けてからは忙しくってロクに顔を出せてない所もあるからね。知らない虫も増えたようだし、一旦手入れをしてこないと」


 いやいや、会合という名前の接待にしか思えないんですけど。


 絶対に仕事を東雲さんに押し付けて自分は飲み歩いてお姉さん達と楽しむつもりでしょ。


「柊君、今、『飲み歩いて遊ぶつもりだろ』とか思っただろ? これも社長としての仕事で私も仕方なくやっているんだよ。得意先を接待するのは社長の仕事だからね。柊君が代わってくれるなら喜んで代わってあげるけど」


 クロード社長はサングラスをクイっと押し上げると、真面目な声で話しかけてくる。


「オレには接待なんて無理ですよ。特に日本側の接待なんてよく分からない礼儀とかいっぱいあって、楽しんで自分が飲めないんで絶対に嫌ですよ」


 隣で話を聞いていた東雲女史がフフっと笑っていた。


 笑われてもいいから、絶対に接待の席には同席したくはなかった。


 よく知らないおじさん達と酒を飲むのは非常に気疲れするので、その一点だけを考えればクロード社長はスゴイの一言に尽きる。


「それは残念だ。では、近いうちにまた私が接待をしてあげることにしよう。六本木のお姉さん達は綺麗だぞ」


「あー、それはエスカイアさんと涼香さんにバレると吊るし上げられる案件なんでご遠慮します」


「あら、柊君は奥手かと思ったら、すでに二人に手を出しているのね?」


「手を出しているという表現には首を傾げますけど、嫁候補ですね」


「そうなの? でも日本じゃ重婚は認められてないから、将来はエルクラスト住まいするつもり? そういえば、貴族入りしたんだったわね。じゃあ、現地の愛人をいっぱいこさえるつもりかしら?」


 興味深げに話を聞いている東雲さんは、何だか芸能リポーターの様相を呈してきていた。


「ブッハッ! 愛人とかって言うのは止めて下さいよ。それに愛人なんていませんよっ!」


「そうかな。クラウディア君は愛人候補ではないのかね? 有能な子だけど、天涯孤独な子に割と重要ポストを与えているから、私は柊君が愛人として囲うのかと思っていたぞ。別に社内規則には愛人を囲うことに罰則規定はないからね。それに我が社は社内恋愛も解禁している会社だし、自由にしてもらって結構だが。修羅場にだけはならないように上手くやってくれたまえ」


 クロード社長までもがオレが愛人を囲っていると言い出し始めた。


 クラウディアさんは孤児達の面倒を見てもらう代わりにしっかりとした給与を支払っただけで、全然愛人とかにするつもりはない。


 周りの人から見るとそういった扱いになってしまっているのなら、本人と相談して色々と決めなければならないと思う。


 クラウディアさんも嫁入り前の女性なので、オレとの間にあらぬ噂が立てば、結婚できない可能性もある。


 そういったデリケートな問題は迅速に対応するべきだ。


 後に回せばそれだけ憶測を呼ぶことになるので、近いうちに彼女と面談をしておく必要があるだろう。


「クラウディアさんはそういった対象ではありませんよ。彼女の能力を買ってあの地位に就けているんですから。嫁入り前の女性に関して憶測で喋るのはやめてくださいますか」


「おや、これは珍しく柊君を怒らせてしまったようだ。すまんな。クラウディア嬢の件は謝罪しよう。けど、世間はそうは見てくれないからな。特に領民は領主代行をしているクラウディア嬢を柊君のお手付きだと思っているさ」


「私も色々とエルクラストの事情を探っているけど、独身日本人男性の派遣勇者はかなりの確率でエルクラスト女性に押し切られて関係を持っているわよ。綺麗で一途な子が多いからね。ピュアな派遣勇者達は落とされちゃうみたいよ。柊君もそのうち落ちるわね」


 エルクラストの情報に詳しい東雲さんもオレがクラウディアさんをいつか愛人にすると太鼓判が押された。


「そうならないように努力しますっ! というか、オレの修行はどうなったんですか?」


「柊君は気が早いなぁ。東雲君と一緒にストレッチでもしていたまえ。それに修行の相手は東雲君だよ。私は筋肉を育てるのに忙しくてね。初歩を教えるのは東雲君に任せようと思って」


 オレは目の前にいる東雲さんに視線を向けた。引き締まった身体をしているが、どう見ても武道経験を積んでいるとは思えない人であるのだ。


「私が呼ばれた理由はそれだったのね。東雲流の体捌きを教えればいいのかしら?」


「そうだね。霞君のご実家である東雲流居合術の体捌きから教えて貰えるとありがたい。柊君はエルクラストでは無駄に力が強いから、なんとかなってしまうんでね。日本でしっかりと武道の基礎を仕込みたいそうだ。私が教えてもいいが、こっちだと柊君が壊れかねないし、他の社員も忙しいからね。そこで、霞君の出番というわけさ。多少、荒めにやってもらってもいいよ」


「なら、久しぶりに本気で教えようかしら」


 ニヤニヤと笑う東雲さんの顔が穏やかな顔つきから、獰猛な肉食獣のソレに変貌していく。


 外見は非力な女性ではあるが、放つ気配が尋常ではないように感じられた。


「お、お手柔らかにお願いします」


 東雲さんから発せられる気配に足が勝手に震え出していく。


 これもエルクラストの人達に勇者としての勇姿を見てもらうために必要な試練だと思い頑張ることにした。

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