ラプラスの判決

輝響 ライト

零日目《はじまり》

 窓から差し込む月明かり、時刻は深夜一時を過ぎ、部屋は静寂に包まれて……いなかった。

 ガサガサと、自室のクローゼットを漁る。どんどん掘り返されたもので部屋が散らかっていくが、もはやそんなことはどうだっていい。


「……あった」


 手に取ったのはオレンジ色の登山用ロープ、そのロープを持ち自室の扉を開けた。

 ピチャピチャと音を立てながらリビングを横切り、落下防止の柵にロープを括り付けて、自分の首にも巻き付ける。


 ――あとはここから飛び降りれば、この命は消える。柵を乗り越えようとして……


「ほい、ちょっと待ってねー」


 柵の外側・・から、部屋に押し込まれた。



   ◇   ◇   ◇



「お前、誰だよ」

「生憎と名乗る名前は持ち合わせていなくてね、適当に呼んでくれて構わないよ」


 相変わらずベランダの外側に浮いているソイツは、空中であぐらをかいている。


 西洋的……小説で見るような紳士服、長めの髪で中性的な見た目、満天の星空すらも吸い込んでしまいそうな黒い瞳ブラックホール、少し高めの声、男とも女とも見た目だけでは判断しがたい。

 そもそも空中に浮いている時点でヒトではないのだ。


「……そうかよ、人外」

「うんうんそれでいい、キミにも名乗る名前はないだろう?」


 ソイツは、僕の後ろにある山を指差して言った。

 積み重なっているのは僕の両親、足元の血だまりがそれらが死体であることを伝えてくる。


「そう……だな」

「あぁ、なにもキミを牢屋にぶち込もうとか、そんなことは考えてないよ? むしろその逆さ」

「逆?」

「そう……ボクはキミを助けに来たのさ!」


 実に胡散臭い、こんな得体のしれないヤツの誘いに乗るのは間違っている。大体……


「助けてほしいなんて、思っていない。さっさと死ねればそれでいいんだよ」

「それじゃあボクが困ってしまうのさ、キミには協力してもらわないといけない」

「じゃあ助けに来たなんて言わず、僕に協力してくれって言えよ。どうせ死ぬつもりだし話くらいは聞いてやる」

「ってことは交渉成立だね! ありがとう愛してる!」

「ちょ、近寄るな触るなじゃれつくな!」


 ソイツは僕の返り血だらけの顔に容赦なく頬擦りしてくる、少し長めの髪がうっとおしい上、妙な匂いがする。

 全く持って表現し難い、直感的に死を感じる匂いだった。


「……おや、ボクの匂いに気が付くなんて。もしかしてキミ、才能あったりする?」

「な、なんのだよ」

「ボク達みたいなヒトならざる者を判断する才能さ。例えば悪魔なら、人の心を蝕み殺すような匂いがするわけだ」


 人の心を蝕み殺すような匂い、つまるところソレが表すのは死で……


「お前、悪魔なのか?」

「えへへー」


 ――今からでも、協力するのをやめるべきだろうか。

 しかし、このまま逃げても血だらけの僕が外に出ればすぐさま捕まるし、この悪魔が逃げるための支度を許すはずもないだろう。


「わかった、もういい、乗り掛かった舟ってことにしておく……だから早く言え」

「わぁい! 単刀直入に言うとね、ボクに体を貸してほしいんだ」

「体を貸す?」

「そうそう、実はとある目的のために現世に出てきたのはいいものの……こうやってお話しするだけでも大量のエネルギーを消費しちゃうんだ」


 ……本当か? という疑念の目を向ける。

 ふよふよと宙を漂っているし、会話をするだけでエネルギーがたくさん持っていかれるのなら、浮くのもかなりのエネルギーを消費するのではないだろうか。


「消費したエネルギーは現世じゃ自然回復しない。人間から奪うことで回復できるけど、ボクとしてはゴメンだね」

「で、誰も傷つけたくないし温存するために体を貸せ……と」

「そういうコトさ☆ キミの体に憑依する形になるけど、キミの意識はそのままだし、身体的な被害も出さないよ」


 保証する! と親指をグッっと立てながら肩をバシバシと叩いてくる。

 聞いてる限り怪しい点しかないが、害だけはないみたいだ。


「それに……ボク、いろいろできるからかなり便利だと思うよ?」

「例えば?」

「それ☆」


 悪魔が指を鳴らした瞬間、部屋に充満していた鉄の匂いが消えた。後ろを振り返ると、両親の死体が跡形もなく消えていた。床の血だまりも、僕の体についた返り血すらなかった。


「なっ――」

「こんな感じで、大抵の事ならなかったこと・・・・・・に出来るし、キミの要求全てに出来る限り応えよう」

「そもそも要求は死にたいの一言で……お前に協力する筋合いはない」

「ごめんボクがわるかった三日だけでいいので協力してくれないかこの間両親のいないキミの生活は全てボクが保証するからぁ!」


 ソイツは器用に空中で土下座をしている、手の平を返す速度も速く、それだけ困っているという事なのだろうか。


「……本当に、要求には答えてくれるんだな?」

「もちろんだとも」

「じゃあ三日後、要件が終わったら僕のことを殺してくれ」

「もちろん、そこに落ち着いてくれると思ってたよ。いやー助かる! ありがとう愛してる!」


 コイツの愛してるは安いんだろう。そう思いながら再度頬擦りしてくるこの悪魔を遠ざける。


「邪魔だって!」

「はーい☆」

「なんでも、どれだけでも叶えてくれるんだよな?」

「もちろん! さて次の要件はなんでございま――」

「頬擦り禁止」

「ごめん謝るからそれだけは勘弁してください」


 この悪魔、すぐに謝る割には反省の色というものが見えない。

 なので僕は、にこやかにこう返してやったのだ


「うん、嫌だね」

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