僕が死なない為の遺書を書いた理由。

たいだしたい

生きる孤独と死ぬ孤独

その日僕は、死なない為に遺書を書いた___



最初の遺書は、何の変哲もないものだった。死に至った理由、そして今までに犯してきた失態。かけてきた迷惑。

あくまでも自己満足の、他殺であると思われない為のもの。何の意味もない紙切れ。


「お母さん お父さん こんな子供でごめんなさい。何も遺せなくてごめんなさい。私にはもう、生きる為の勇気はありません。今までありがとう」


この文章は、実際に僕が書いたものの一部だ。見ての通り、ただただ僕が楽に、気持ち良くなるだけの文章。一方的な懺悔。後先考えずに書きなぐった駄文。

最初の遺書は、そんなもの。忘れもしないあの日。腹が立つほどに日が照り出していた、2021年の夏だった。

しかしそれから僕は、約一年、この通り死なずに生きている。損なってしまったのだ。挫折しながらも書き上げた駄文が、文字通り意味を成さぬ塵へと成り下がってしまった。

しかも、その理由がまた腹立たしい。さあ、いざ首を括ろう。そう行動しようと思ったその時、ふと思い出してしまったんだ。好きなテレビ番組の放送日が今日であることを。


……たった、それだけだった。拍子抜けだろう。所詮子供の抱く希死念慮なんだ、と貶されても文句は言えない。

それくらいばかげている、あまりにも酷すぎる理由が僕を生かした。その程度で生かせれてしまったんだ。

いや、違う。その時の僕はきっと、端から死ぬ気なんてなかったに違いない。生きる口実欲しさに、思考を巡らせて行き着いた先がそれだったに違いない。

きっとそうだ。


_________


さて、ここからは最近あった事を書こう。あの時の半端な希死念慮ではない、恐ろしいほどに僕に纏わりついて殺そうとしてくる、禍々しいものが根付いていた2022年 11月1日の話を。


すでに僕は限界だった。

そしてついに、母に死にたいと縋った。恥も外聞もなく、死ぬことに対する許しを乞い泣き崩れた。

誤解をされないよう予め書こう。僕はこの行為を止めて欲しいなんて、微塵も思っていなかった。ただ、死ぬ為の後押し欲しかった。

後押し、そう、拒んでほしかった。気持ち悪いと、前のように。

悲劇のヒロインだと、突き放してほしかった。そうすれば、前のように妙な理由で自害を中止することもないだろうと、判断したから。

だが、そんな僕の期待は当たり前のように裏切られた。正直、がっかりさえもした。そして改めて、母親という存在が分からなくなった。予想が外れすぎて、暫くは上手く言葉が紡げなかった。それくらい僕にとっては衝撃的な言葉と行動だったんだ。

前は、そう、前は違った。

自傷行為を行っていた事がばれたときは、心底この傷が嫌なんだろうな、そう思えてしまうような目で見られたんだ。信じられない、気持ち悪い、恥さらしだ、とも言われた。なのに、なぜ。

僕には理解ができなかった、もちろん今もできない。できる日が来るのかも怪しいくらいだ。なぜ、本当に限界な僕には、そんな言葉をかけてくるのか。嫌がらせなのか、とさえも思った。何にしろ、僕には死ぬ事以外の逃げ方が分からないのだ、ここでまた死ねなかったら、さらに辛い未来が待っている。きっとそうに違いない。

なのに、それでも生きなければならないのか。僕はもう、泣く事しかできなかった。


楽しいことがあっても直ぐに鬱屈とした思考で覆われてしまうこんな頭と、世間的には「当たり前」と言われている事さえ満足に実行できないこんな体。長所を聞かれて口籠ってしまうこの後ろ向きな性格とも、まだおさらばが出来ないのかと、あの夏の日に死に損なった事を、今更後悔した。

耐えきれない苦痛の待っている未来を歩まなくてはいけないのか、生にしがみつかせる気なのかと、僕は母に言った。嗚咽を漏らし、鼻水を垂らして。汚らしい光沢を纏っているであろう顔を上げて。

その言葉を、母は黙って聞いていた。そして、僕の事を抱きしめてくれた。こんなに涙と涎、鼻水に塗れた僕を。汚れることなんて気にせずに。


やはり僕には、理解が出来なかった。過去にあんな事を言ってきた母がなぜ、今更こんな行動をとるのかを。素直にその行動を受け取るのも、勿論無理だった。

僕が何日もの時間を費やして思考を巡らせても、到底理解ができなかった。

そして悟ったのだ、自分を殺したいのなら、生かしたいのなら、自分の言葉でそれをさせればいいじゃないか、と。

その日の母の甘いだけの言葉でもなく、いつかのあの凍てついた誹謗でもない。紛れもない僕の、生きた言葉で。

そのためにその日僕は___


「生きる為の遺書を書いた」










ここまで読んでくださりありがとうございました。僕の中では、生きるという行為は常に孤独との隣り合わせ。そう今までの経験上思っているのでタイトルを「生きる孤独と死ぬ孤独」にしました。内容とは全くと言っていいほど無関係です。笑


生きる為に遺書を書くなんて馬鹿げていると、そう思われるかもしれません。正直僕も、最初はそう思う気持ちが多少なりありました。でも今となっては、僕にとっての蜘蛛の糸、救いの道となっています。

何事も試してみないと、分からないものですね。





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