五章 同盟結成
第49話 三人旅
蹄鉄が土を蹴る軽快な音が一定のリズムで聞こえます。
打ち鳴らすのは一頭の馬。
体毛は茶色で鼻のラインに沿って額まで白い毛が伸びるその馬こそが音の発生源です。
悪路に険路も何のその、四脚を巧みに動かして駿馬は風を切り駆けます。
「全然速度が落ちませんねっ」
「舌を噛まぬようお気をつけくだされっ」
馬に乗ったナイディンさんとその背に掴まるヴェルスさんが、その健脚に驚嘆しました。
この馬、ユウグは障害物の多い場所でもほとんど減速なしで走っています。
「ご満足いただけたようで何よりです。ここまで育成した甲斐があります」
ユウグと並走ながらそう言いました。
これほどの名馬はそう何頭も見つからなかったため、私は自前の足で移動しています。
ユウグは走行補助にもなる《ユニークスキル:
「ヤマヒト殿っ、そろそろ領の境界のはずですがっ、見張りはいないでしょうかっ?」
「ええ、このまま進めば大丈夫ですよ」
ちなみに現在地はポイルス領の東端です。
領境には関所があり、鑑定をされたり通行税を取られたりします。
しかし、そこまで厳密な警備ではないため、少し外れた山の中を行けば監視の目は届きません。
およそ数分後、特に波乱なく領境を突破しました。
山道でも平地であるかのように走れる《横行闊歩》様様です。
そのまま坂を駆け下り、ユウグと私はさらに進んで行きます。
「むっ、魔物ですなっ」
「どうしましょうっ、降りて戦いますかっ?」
「心配は無用です」
ユウグの移動速度ならば、魔が見えて来るまでそう時間はかかりませんでした。
大きなハクビシンの魔物で、二体で私達を待ち構えています。
「しっかり掴まっていてくださいね」
私がそう忠告したきっかり一秒後。
ユウグが一段、ギアを上げました。
ハクビシン達の予測よりワンテンポ早く肉迫し、そのまま蹄鉄で頭を踏み潰します。
倒せたのは片方だけでしたが、もう一体に構うことなくそのまま走り去って行きました。
あまりの早業にヴェルスさん達は目を丸くしています。
「これなら今日中にあと二つは領を跨げそうですなっ」
「旅程を一日は短縮できるでしょう」
今回の旅の目的地は隣領ではなく、ここはただの通り道です。
目指すは十ほどの領地を越えた先にある高位貴族のお膝元。
すなわち、
「良かったねナイディンっ、帰郷が早まりそうだよっ」
ナイディンさんの故郷、バラッド領です。
彼の生家は穏健派の高位貴族であり、ヴェルスさんのお父様とも親交が深かったと聞きます。
武帝打倒にはヴェルスさん達だけでは手が足りなさそうなので、協力を打診をしに行くのです。
家督はナイディンさんのお兄様が継いだようですが、誠実かつ実直な人物で信頼できるとナイディンさんは仰っていました。
高位貴族であり影響力も発言力も強く、断られたとしても密告される心配も薄いため、初めの交渉相手として打ってつけです。
「ここまで来れば官吏の目も届きません。一度休憩しましょう」
「承知しましたっ」
関所から一つ山を挟んだ地点、川のほとりで休息を取ります。
《装備品》である蹄鉄や《魔道具》である鞍によってユウグの消耗は軽減していますが、ただでさえ二人も乗せているのです。
二十四時間ずっとは走れません。
そんな風にしてナイディンさんの故郷、バラッド領への旅は続きました。
夜が近付いて来れば近くの村で宿に泊まり、日が昇れば再び山野を駆ける。
そんな日々が少し続き、バラッド領の隣領までやって来ました。
このままのペースならば昼過ぎにはバラッド領都に着けそうですが、その前にやるべきことがあります。
「あちらです」
静まり返った山を進みます。
ざわざわと木々の揺れる音がするばかりで、生き物の立てる音がバッタリと止んでいます。
やがて崖縁に行き当たり、ユウグから降りてもらって三人で下の森を観察します。
十メートルほど下方のそこでは、両前脚に刃の生えた巨大イタチが獲物の肉を貪っていました。
獲物の方も変異種であったようですが、イタチさんの腕刃によってあえなく斬り殺されてしまったらしいです。
「目にする前から感じてはおりましたが、いやはや、強烈な気配ですな」
「戦闘能力は随一であり食欲も旺盛です。魔物達の一部はこの山から逃げようと動き出していますし、そうなれば獲物を求めてイタチさんも移動します。村人達を脅かすのも時間の問題でしょう」
「放置しておくのは危険、ですね。師匠の言う通り、僕が倒します」
「お気をつけて」
腰に差した濁剣を引き抜き、ヴェルスさんが崖から飛び降ります。
膝を折り曲げ軽やかに着地したヴェルスさんに、イタチさんが振り返ります。
ヴェルスさん達が上から見ていることには気付いていましたが、食事を中断するのは嫌だったようです。
「キュァッ!」
食事を邪魔され不機嫌そうな声で威嚇するイタチさん。
のっそりと二足で立ちあがり、刃の生えた右前脚を振るいました。
それに巻き込まれた風が刃となってヴェルスさんを襲います。
「〈術技〉、ではありませんね……っ」
不可視の風刃を《気配察知》で捉えて回避しました。
イタチさんは立て続けに腕刃を振るいますが、どれもヴェルスさんの身には届きません。
遠距離攻撃では埒が明かないと悟り、地面を蹴って飛び出します。
「クィッ!」
疾風を纏いて駆けるイタチさん。
比喩ではなく、《スキル:旋風纏》の力で本当に風を纏っているのです。
《スキル》の後押しもあり、その速度は《敏捷性》以上のものです。
ヴェルスさんの脇を駆け抜けつつ、腕刃で斬りつけました。
それは濁剣で防がれましたが、すぐに方向転換して再度突進します。
「気配のっ、感じよりっ、速いですねっ」
イタチさんの猛攻を捌くヴェルスさんが小さく溢しました。
ただの《気配察知》では《パラメータ》配分のような細かな情報までは読み取れないのです。
《旋風纏》の
イタチさんのシャトルランはしばらく続き、そしてある時を境にバッタリと攻撃が途絶えました。
呼吸するのも苦し気で、走りすぎで疲れているだけでないことは明白です。
「ようやく効いてきましたか」
ホッとしたようにヴェルスさんが呟きます。
彼の持つ濁剣は攻撃が命中すると《毒》を付与するのですが、この《装備効果》はイタチさんの腕刃と打ち合った時にも発動していました。
そしてあれほどの頻度でぶつかり合っていては、《パラメータ:抵抗力》による自然治癒も間に合いません。
「キィゥ……」
自身の不利を知ったイタチさんは冷静に次の一手を選びました。逃走です。
自分より強い相手からは逃げればいい、野生動物として当然の思考でしょう。
逃走経路に異常がないか確認しようと、動く様子の無い敵から一瞬目を離したそのときでした。
「キュィっ!?」
《気配察知》が報せる攻撃の気配。
慌ててその場から跳び
そして斬撃が片目を抉ったのでした。
「ギィィィっ!?」
初速の速い特殊な歩法で、棒立ち状態から瞬く間に距離を詰めたヴェルスさんの攻撃は、一太刀だけでは終わりません。
即座に剣を翻し二太刀目、前脚の関節を斬り裂きます。
懐に潜り込み三太刀目、後ろ脚をざっくり行きました。
「おっと」
「ギィゥッ!」
ヴェルスさんが連撃を中止してバックステップした直後、イタチさんを囲むように竜巻が発生。
退かなければあれに巻き込まれて手傷を負っていたでしょう。
しかしそれを見切ったヴェルスさんは、竜巻が消えると同時に追撃を仕掛けます。
カウンターで仕留めようと構えていたイタチさんの攻撃を掻い潜り、一閃。
斬撃が首に深い傷を刻みました。
それでも油断せず側面に回ったヴェルスさんの目の前で、イタチさんの体から力が抜けて行き、そして気配が途絶えました。
「お見事です」
崖から降りて手を叩きます。
その賞賛にヴェルスさんは笑顔で答えます。
「領民の方々に託されたこの《装備品》に懸けて、変異種程度には負けられませんから」
そう言って、トン、と黒い革鎧の上から胸を叩いたのでした。
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