第6話 現出
謎の気配の集束地点に着きました。
山の裾野のその場所で、気配が空中に集い凝固し、一つの物体を形作ります。
それはあたかも闇そのものであるかのように、光を一切反射しない暗黒でした。
形は滑らかな楕円形で、まるで卵のよう。
その闇卵が幼児くらいのサイズになったところで、気配の流入が止まり、
──ビキリ。
罅の入るような音がしました。
真っ黒な卵なので視覚的にはよくわかりませんが、実際に罅が入っているようです。
音はその後も連続して聞こえ、そして遂に卵が割れました。
「くぁーはっはっはッ! 人の苦悩が尽きぬように、我が命運もまた尽きず! 無知にして蒙昧なる人間めっ。卑劣なる闇討ちで
高笑いしながら現れたのは、一人の童女でした。
烏の濡羽色の髪が背を覆い隠し、頭からは二本の
まるで、百年ぶりに自由を手にしたかのような上機嫌さで快哉を叫んだ彼女は、こちらに背を向けたまま高笑いを続けています。
このままではいつまでも気づかれなさそうなので、こちらから話しかけてみましょう。
「すみません」
「ぬわっ、に、人間!? こっ、ここまで追って来たのか!?」
「いえ」
「ええいっ、《レベル》も《スキル》も激減しておるというのにっ」
「私に」
「じゃがワシもただではやられんぞ! 《術技系スキル》は全て健在じゃ。食らえっ、〈ブラックブレイク〉!」
「敵対する意思は」
童女から大量の魔力が溢れ、物凄い速度で暗黒の塊が飛来しました。
〈魔術〉、というやつでしょう。
魔物の中にもこういった攻撃をしてくる個体は居ます。
「フッ、直撃か。他愛ないのう」
「ご安心ください。私は生きておりますよ」
「なっ!?」
考え事をしている間に闇の塊が炸裂しましたが、私に傷はありません。
「と、〈特奥級魔術〉じゃぞっ? それも対単体の! ロクな防御も無しに耐えられるはずが……」
「〈魔術〉の等級ではなく、あなたの《魔導力》に問題があったのかと思われますが」
《魔導力》とは〈魔術〉の威力に影響する《パラメータ》です。
彼女はそれが、というか《パラメータ》全般が非常に低いため、私を傷つけるに至りませんでした。
「くぅ……。ここ、までか……。ワシの負けじゃ。煮るなり焼くなり好きにせい」
「そのようなことはしませんよ」
「なに? 《復活》したワシを殺しに来たのではないのか?」
「先程から申し上げておりますように──」
戸惑っている様子の童女に、私が来たのは殺すためではないと説明しました。
「思い返してみればあやつはもっと黒っぽかったの。お主は白っぽい。ワシの早とちりであったか、すまなんだ」
白っぽい、というのは色のことでしょう。
白い《無垢の羽衣》を着ているのもありますし、髪も白いですからね、私は。
そう、《仙人》に進化した影響か、いつの間にか私の頭髪は真っ白になっていたのです。
初めて水面を覗いた時は心底驚き、かのナルキッソス氏のようにじっと見つめたものです。
「いえいえ、それよりあなたが何故ここにやって来たのかお教え願えますか?」
「もちろんじゃよ。と言ってもさほど複雑な事情ではないがの。ただ、殺されただけじゃ」
彼女の話によると、かつてはここではない山奥に居たとか。
竜で溢れていたというその山脈で、彼女は最強の存在であったため、何不自由なくのんびり長閑に過ごしていたそうです。
しかしある夜、人間の剣士に寝込みを襲われ、あえなく死んでしまったとか。
「本来ならばそこで終わりなのじゃが、ワシには《無明の化身》があるからの。こうして時を経て転生を果たしたというわけじゃ」
「なるほど」
地球からか同一世界からかという違いはありますが、同じ転生者として少し親近感が湧きます。
本来なら真偽を疑うところなのでしょうが、私には《宿命通》があるので彼女が一度死んでいることはわかっていました。
用途の不明な能力でしたが、こんな場面で役立つのですね。
「しかし不思議ですね。前世のあなたはドラゴンだったそうですが、今のあなたはほぼ人間です」
「それも《無明の化身》の効果じゃな。他殺された場合は、殺害者の《種族》に影響を受けて生まれ変わるのじゃ」
「そういうことでしたか」
「……うむ? そういえば
「転生の際に言語を習得させてもらったのではないでしょうか」
「ん? ……おお! たしかにそのような効果があるようじゃ!」
《ステータス》を確認する間を置いて、彼女は得心が言ったように頷きました。
私の経験が活かせてよかったです。
転生に伴って言語を刷り込まれたのは、私も同様でしたので。
「では今度はワシから質問してもよいかの?」
「ええ、どうぞ」
「どうしてお主は先程から後ろを向いておるのじゃ?」
彼女が闇卵から出て来てからずっと、私は背中を見せていました。
疑問を抱くのも当然でしょう。
但し、これにはどうしようもない理由があるのです。
「それはあなたが服を着ていないからですよ」
「服?」
こてん、と首を傾げる──目視ではなく気配で動きを把握しています──童女。本当に知らない様子です。
仕方がないので《無垢の天衣》の肩を摘んで見せます。
「こういうひらひらです」
「成長すればその内
「そういう生態ではないんですよね」
それから数分後。
人と竜の文化の違いには少々手間取りましたが、何とか服を着ることの必要性を伝えられました。
「ほうほう。人とは左様な面倒事をいつも行っておるのか」
「そうですね。転生したてで服が無いのでしたら私が用意しますが」
「いや、構わん。その程度で他者を頼るほどワシは落ちぶれてはおらん。〈アビスベール〉」
何かしらの〈魔術〉でしょう、闇が虚空に現れて、薄っすらとした布状になりました。
それらが纏わりつき、彼女の首から膝上までを覆い隠しました。ちょうどローブのような感じです。
「これでよいか?」
「取りあえずは大丈夫だと思いますよ」
人前に出る時にはもう少し着込んだ方が良いのでしょうが、今はそこまで求める必要もありません。
私も回れ右して彼女に向き直ります。
金銀妖瞳という言葉通りの、右が金色で左が銀色の瞳と視線が合いました。
「そう言えばお主の名を聞いとらんかったの」
「自己紹介がまだでしたか。私はヤマヒトと言います」
「そうか。ワシは元《
「ええ、よろしくお願いします」
こうして、私とドリスさんの永い付き合いは始まったのでした。
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