おっさん、仙人になる ~異世界で山に籠って幾星霜、極めた《スキル》がチート化したので知らない内に最強に~

歌岡赤(旧:R II)

一章 万魔山地

第1話 プロローグ

 その日は雨が降っていました。傘を差しても足元が濡れるくらいの大雨です。

 靴の濡れる不快感に辟易としながら家路を急いでいます。

 長靴を履けば良いのでしょうが、大人になるとは不思議なことで、長靴を履くのが躊躇われるようになるのです。


 早く街路樹の下に入ろうと、歩道橋を駆け足で上がり、渡って、降りようとしたそのとき。

 びょう、と一際強い風が吹き、背中を押される。傘が煽られる。足を踏み外す。


 あ、と思った時にはもう手遅れでした。体は宙に投げ出され、視界は急回転。

 ネコ科ならざる私には、ここから受け身を取ることなど到底できません。

 自身の終わりを意識の片隅で感じ取りながら、私は思いました。


 ──生まれ変わったら、長靴を履いた猫になりたいですね。




◆  ◆  ◆




 目を覚ますと、そこは教会でした。

 出入口が存在せず、壁には無数の鏡が掛かっていますが、それ以外は至って普通の教会です。


 寝転がっていた長椅子から身を起こし、前に向き直ります。

 するとそこには、一目で外国人とわかる彫りの深いお顔の、金髪の女性が一人。

 ……ふむ。


「Excuse me, I'm」

「日本語で構いませんよ」

「おや、これは失礼しました」


 日本語にも堪能な外国人であったようですね。


「突然ですが、あなたは死亡しました。ここは死後の世界なのです」

「そうなのですね」


 直前の記憶を思い返してみれば、死んだと言われてもあまり不思議ではありません。

 異世界に行くというのは常識の埒外の事態ですが、そもそも死後の世界の証明など現代科学でも出来てはいないのです。

 こんなことがあってもおかしくはない、と不自然なまでに冷静な思考で私は考えました。


「状況は理解しました。死後の世界がこんな風になっていたとは驚きです。待っていたら他の方もいらっしゃるのでしょうか?」

「いえ、死んだ人間全員がここに流れ着くわけではありません。幸運に恵まれた者しか来れませんので、それを待っていては先にあなたが餓死することでしょう」

「死後の世界にも餓死があるのですか」


 なんとも世知辛い事ですね。

 それから少し思案し、問いかけます。


「……これから私はどうなるのでしょうか」

「あなたには今二つの選択肢があります。このまま消滅するか、私の世界に転生するかです」

「私の世界、というのは?」

「魔物が居て《レベル》や《スキル》もある、RPGのような世界です。私は世界の管理者ですので、その世界にならあなたを転生させられるのです」

「それは愉快そうですね。では、転生する方向でお願いします」


 即決しました。

 これでも友達の家に集まってファミコンに齧り付いていた世代ですので、ゲームは好きです。

 魔物が居るのが懸念点ですが、そもそももう一方の選択肢が消滅な時点で答えは実質一択です。


 管理者さんは一つ頷き、口を開きます。


「分かりました。転生には孤児として赤子から生まれ直すコースと、地球での肉体を修復して使うコースがありますが、どちらになさいますか? 現代日本ほど戸籍管理は徹底されていないのでその点は考慮せずとも大丈夫です」

「そういうことでしたら、この体のままでお願いします」


 死んだ両親から与えられた大切な体です。

 若い体は魅力的ですが、簡単には捨てられません。


「それでは、こちらに必要事項を入力してください」


 一枚の手鏡を差し出されました。

 受け取ると鏡面が波打ち、文字が現れます。


『名前を入力してください【   】』


 空欄になっているところに触れるとキーボードも出て来ました。

 いやにハイテクですねぇ、と思いつつタップして本名を入力していきます。


小津オヅ 山人ヤマヒト


 入力フォームの隣にある決定ボタンに指を伸ばし、心がざわりとしました。


 ……? 何をためらっているのでしょう?

 手続きに名前が必要なのは当然のことのはずです。

 そのはずですのに、何かが引っかかります。


 釈然としない思いを抱きつつも決定ボタンを押しました。

 ここで詰まっていては先に進めません。

 それからも質問に正直に答えて行き、最後の項目に辿り着きました。


『境界に流れ着いたことを祝福し力を授けます。望むものを一つ、選んでください』


・武の道を究めよう 武術セット

・魔の深淵を目指そう 魔術セット

・索敵も隠密もお手の物 斥候セット

・あなたに合わせた特別仕様 登山セット


 セット名をタップすると得られる《スキル》や《称号》が表示されます。

 名称しかわかりませんが、色々と種類があるようですね。


「《スキル》とか《称号》は全部でどのくらいあるのですか?」

「百や千ではききません。数え切れないほどありますよ」

「ほう、それは凄いですね。……その中には精神に干渉して、落ち着かせたり、従順にさせたりするような能力もあるのですか?」

「…………」


 管理者さんの笑顔が固まりました。


「……お気づきになられましたか」

「ええ。ここに来てからの私は、どうにもおかしかったので」


 ずっと引っかかっていた違和感に、この段階でようやく気付けました。

 質問に馬鹿正直に答えていたのもそうですし、死んだにもかかわらず大して動揺していないのもおかしいです。

 死んでしまったとなればもう少し取り乱すはずですから。


「仰る通り、あなたには二種類の精神干渉をおこなっています。特定感情の抑制と私の言葉を信じやすくする誘導ですね」


 このことに気付いたのはあなたが初めてです、と溜息を吐きながら言う管理者さん。


「現世への未練がなかったことが原因でしょうね。精神干渉は未練の大きさで出力が決まりますので」

「未練がないなんてことはありませんよ。できれば仕事の引き継ぎくらいはさせていただきたかったのですが」

「それは未練のない人の答えです」


 まあ、肉親も恋人も居らず、多大な情熱を注いでいる事柄もないため、他の人に比べれば執着は薄いかもしれません。

 そんなことを考えていると管理者さんがコホンと咳ばらいをしました。


「さて、話を戻しましょう。精神干渉をおこなっているのは認めます。それを知った上で、あなたはこれまでの選択を保持しますか?」

「そうですね…………このままで大丈夫です」


 落ち着いて振り返ってみましたが、私の選択に見直すべき点は見つかりませんでした。

 精神干渉下での『落ち着いて』にどれだけの信憑性があるかは意見の分かれるところでしょうが、言ったところで解除してくれるとは思えないので仕方ありません。


「では、能力セットを選んでください。精神干渉に気付く特殊条件をクリアしたため、『無心セット』も選択肢に追加しました」

「ご親切にどうもありがとうございます」


 礼を言って、追加されたという『無心セット』の詳細を見てみます。

 それから他のセットと見比べ、管理者さんに異世界のことについていくつか質問し、そして決めました。


「『無心セット』でお願いします」


 理由は複数ありますが、やはり隠し要素なことが一番です。

 せっかく見つけたのだから使ってみたいのが人情でしょう。

 チェックを付けて決定ボタンを押すと、『手続き終了』の表示が出て、鏡が消えました。


「ありがとうございました。作業は以上です。あとは転生するのみとなりますが何か他に確認したいことはありますか?」

「いえ、お構いなく。聞きたいことは全て聞き終えています」


 セットを選ぶ際に気になることの質問は済ませていました。


「それではこれより転生開始します。よい一生をお過ごしください」


 管理者さんが言い終わるや、私の視界は白い光に包まれました。

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