第6話 甘美な愛の歌、桜花図鑑


 あの甘美で悲愁な歌を聴くと心打たれ、何度リピートしても夜の褥に涙が一筋零れそうになる。


 あの歌は商業的な価値の有無を凌駕した、本物の歌だと思える。


 歌詠みが名も無き人々へ奉るような神秘的な、甘美な愛の歌、ラブソング。



「桜月夜。桜時。桜雨。桜花。万朶の桜。桜狩り。桜蕊降る。桜前線。桜月。桜づくし。桜吹雪。残花……」


 つい、うっかりすると時間を忘れてしまいそうなくらいの、綺麗な桜の言の葉。


 桜の花びらで編んだ図鑑を読んでみたい、とつい桜を愛でる。



「君、物知りなんだね」


 桜東風も吹く卯の花腐し、僕は春情にこの気まぐれな出まかせをこの身に委ねさせている。



「いいえ。全然。桜は奥ゆかしいんですよ」


 願わくば桜の下で春、死なん、と詠んだ、幽玄の月を生涯、愛した歌人のように僕もまた、桜を愛でながら死んでしまいたい、と奥底で秘文を落とす。



「謙虚なんだな。君は」


 青年の誉め言葉にも邪心はなく、嫌味さえもタブらなかった。



「お花見したいよな。みんなで」


 なかなか、外出できないけど、看護師さんに頼み込めば、何とか聞き入れてくれるかもしれない。


 僕らはその後、朝桜を満喫するために看護師さんに外出届を提出し、二人で和気藹々と近くの公園の桜の樹を見ようと歩いていく。



 宮崎神宮の近辺にある、緑豊かな文化公園は桜の名所として、県内でも有数のスポットだった。


 宮崎神宮には国宝に指定されている、藍藤の古木が咲き乱れる藤棚があり、看護師さん一人と青年の三人で道草を食うついでに鑑賞することにした。


 

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