5.嘘と本当
ゼイン様と交際を開始してから、三ヶ月が
小説の中での関係とは全く
シャーロットが現れるまで、あと九ヶ月弱。ゼイン様からの好感度を、なんとかもっと上げていかなければ。
「
「それは良かった」
「はい、すごく美味しいです!」
「そうか」
そんな今日もゼイン様とデートをしており、今はスイーツが絶品だというお店に連れてきてもらっていた。
美味しすぎる
本当にゼイン様は
「あの、ゼイン様。もちろんこうしてお会いできるのは嬉しいんですが、無理はしないでくださいね」
「無理はしていないし、俺が君に会いたいだけだ」
「……そ、そうですか」
そしてゼイン様は会う
こちらが彼を落とさなければならない側だというのに、うっかり落とされてしまいそうになる。命がけの任務がなければ、私も危なかっただろう。
「君も最近、忙しいと言っていたが」
「はい。エヴァンから
「将来?」
「この先の人生計画を立てていまして」
実は地価が
既にある建物もそのまま利用できそうで、時間を見つけて
ちなみに
食べられる量も少しずつ増えており、ゼイン様も
「君はこの先、どうするつもりなんだ?」
「その、ゼイン様にわざわざ聞いていただくほどの大した将来ではないので、お気になさらず……」
シャーロットとゼイン様がラブラブしている
何より私はこの先、こんなにも優しいゼイン様をこっぴどく
「……君は本当に──」
「はい?」
「いや、何でもない。そろそろ行こうか」
何を言いかけたのだろうと気になったものの、
その後、カフェを出て手を引かれ
「おいで、グレース」
「は、はい……」
店内へ入ると、ショーケースの中で
ゼイン様はお得意様なのか、あっという間に奥の部屋へ通され、複数の店員に全力対応されている。
私は
「ゼイン様、何か
「ああ。君にネックレスを
「そうなんですね、私に……私に?」
本当に待ってほしい。目の前のテーブルに次々と運ばれてくるアクセサリー達は、
これをひとつ贈っていただくだけで、今までのお礼としては十分すぎるだろう。もしや恋人関係
「ど、どうして私に……? 誕生日でもないですし」
「君は目を
「えっ? 迷子にはなりませんよ」
「とぼけているのなら、本当に君は悪い女だな」
そう言って小さく笑うと、ゼイン様は色々と指示をして私に次々と試着させていく。
好みを尋ねられてもさっぱり分からないけれど、鏡に映る自分には何でも似合ってしまうから困る。ゼイン様は絶対に買って帰ると決めているようで、どうしようと頭を
「……あの、それは?」
「こちらはイエローダイヤモンドでございます」
他のものよりもずっとシンプルで小さいけれど、その
「ごめんなさい、気に入るものがなくて……」
こう言えば
予想通りゼイン様も「分かった」と
帰りの馬車に乗り込むと
エスコートされた際に
「ゼイン様、ありがとうございました」
「ああ」
やがて繫がれた手が離され、ゼイン様はポケットから小さな箱を取り出した。
ゼイン様が静かに箱を開けてその中身を見た
「どうして……」
「君は本当に
どうやら先程の「気に入るものがない」という言葉が噓だったことを、ゼイン様は
「受け取ってくれないか」
こうして私のためにと買ってくれた以上、受け取らないというのも失礼だ。何より、私の気持ちに気付き、こうして贈ってくれたことが嬉しかった。
私は小さく頷くと、差し出された小箱を手に取った。
「ありがとうございます。ゼイン様の
この世界ではみんな色とりどりの美しい瞳をしているけれど、私はゼイン様の瞳が一番好きだった。
「とても嬉しいです。ずっと大切に身に付けますね!」
自分でも不思議なくらい嬉しくて、へらりとした
すると次の
「あ、あの、ゼイン様?」
気が付けば私は、ゼイン様の
二ヶ月半前、馬鹿げたリストを見られて以来、こうして触れられるのは初めてだった。
「……君は本当に、何なんだろうな。近づいてきたと思ったら離れていって、
ゼイン様の甘い低い声が、耳元で
言葉ひとつ発せずにいると、
「俺にこうされるのは
そう尋ねられ、
「グレースといると、ありのままの自分でいられるんだ。俺には何かを楽しむ権利などないと思っていたが、君のお
「ゼイン様……」
私が彼の世界を少しでも良い方に変えられたのなら、それ以上に嬉しいことはない。
そしてこんな悪女に付き合ってくれている優しいゼイン様のお蔭で、初めは気を張っていた私も、いつしか心から彼との時間を楽しむようになっていた。
「ありがとうございます。私も優しいゼイン様といると、とても楽しいです」
「……ああ」
やがて馬車が
私から離れた後、ゼイン様は困ったように
「今回は泣いていないようで安心した」
「そ、その節は……」
「これからは少しずつ慣れてほしい」
「えっ?」
まさか、今後もこういうことがあるのだろうか。一応は恋人同士なのだから、おかしくはないのかもしれない。それでも、
「またすぐに
「お、おやすみ、なさい」
その後ふらふらと自室へと
「だ、だめだ、落ち着かないと……うー……」
私がときめいたって、何の意味もない。何もかもが
「……ゼイン様は、シャーロットのものなんだから」
ぎゅっと
──けれどあれは本当にすべて演技なのだろうか、という疑問を
*****
「なあ、ゼイン。少しでいいからさ、来週末のギムソン
「……なぜ俺が?」
「デビューしたばかりのビアンカが、お前とどうしても
「来週末はグレースとの予定があるから無理だ」
そこをなんとか! と両手を合わせるボリスは昔から、
彼女は昔から俺のことを
「二人で顔を出すのはどうだ?
「ふざけるな」
「お、なんだなんだ。
「ああ」
はっきりとそう告げれば、
やがて信じられないとでも言いたげな表情を
「……お前、それ、本気で言ってる?」
「俺がこんな
幼い頃からの付き合いで俺のことをよく知っているからこそ、こんなにも驚いているのだろう。俺自身、こんな感情を抱いたのは生まれて初めてだった。
──彼女が俺以外の男と触れ合い、踊っている姿を想像するだけで
先日、ランハート・ガードナーと彼女が二人きりで話しているのを見た際、抱いたものと同じだった。
本当はあの日の夜会で、声を
俺の前での姿とはまるで別人で、大勢の男に言い寄られていた彼女は、
彼女もあの男に興味があるのだろうか。そんなことを考えるだけで、
そしてランハートの元へ向かって歩き出した彼女を、俺は思わず引き留めていた。
自分らしくない
彼女の笑顔が自分だけに向けられることに安堵し、自分は特別なのかもしれない、嬉しいと感じてしまう。
その笑顔が他の男に向けられると思うと
「いやあ、驚いた。お前のことだし、義務感だけで付き合っていると思ってたんだけどな」
俺自身、初めはそのつもりだった。マリアベルの件がなければ関わることすらない、何よりも嫌いなタイプの人間だと思っていたのだから。
だが、実際に接した彼女は優しくて
彼女が犯人と繫がっており、俺達に恩を売るつもりで事件を仕組んだなんて考えは、とうに無くなっていた。
だからこそ、それ以上の礼を望まない彼女に対し、せめて恋人らしい振る
「
ボリスはそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。
初恋という言葉があまりにも自分に似合わず、
「まあ、当然と言えば当然だよな。マリアベルの命を救った上にお前の一番の悩みを解決して、お前の前でだけ
元々はマリアベルのこともあり、いずれは利害が
「……本当に、かわいいんだ」
「だろうな。俺ですらそう思う、っておい
あの
「彼女もお前のことが好きなんだし、さっさと
「…………」
──果たして彼女は俺が婚約を申し込んだところで、受けてくれるのだろうか。そんな疑問を抱いてしまう。
グレースは俺のことを好きだと言いながら、時折、自分の将来に俺はまるで関係ないという顔をする。
先日だけじゃない、いつだってそうだ。本人は自覚がないようだが、彼女の
今まで異性と
そしてその度に裏切られたような、傷付いたような気持ちになり、どうしようもないくらいに
ネックレスを贈ったのも、それが理由だった。目を離せばすぐに俺から離れて行ってしまいそうな彼女を、
全てが計算なら、彼女はまさに本物の
俺が
「そもそも、以前とは別人すぎるのも引っ掛かるよな。話を聞く限り、お前の前以外では変わってないようだし。料理なんていつ覚えたんだ?」
「それについては、俺も気になっていた」
「だよな。少し彼女について調べてみるといい。そもそも
元々王家にも仕えていたという
「でも俺は、どうしたってグレース嬢が悪い人間には見えなかったけどな。ま、ゆっくりでいいんじゃないか」
「……ああ」
まだグレースと知り合ってから、三ヶ月しか経っていないのだ。あっという間に自身の中で大きな存在になっていく彼女に、戸惑っているのも事実だった。
──時間は、いくらでもあるのだから。
*****
ゼイン様から届いた手紙や大量のプレゼントを前に、私は首を
「……もしかして私、好かれているんじゃないかしら?」
最初はマリアベルを救ったお礼として、義務感で付き合ってくれていると思っていた、けれど。それにしてはなんだか、度を
「でも、好きって言われたことはないんですよね?」
すると私の隣に座り、
元々貴族とは言っていたけれど、確かに言われてみると全ての仕草が綺麗なのだ。一人でお茶を飲むのも
「確かにそうだけれど……か、かわいいって言ってもらえるし、その、抱きしめられたし」
「かわいいくらい、男は誰にでも言えますからね。むしろ本気じゃない相手の方が手は出しやすいですし。それだけで油断するのはまだ早いですよ」
「えっ……手……だ……?」
「逆に思っていない方がさらっと言えたりしますから。少なくとも俺はそうですね」
急に大人の男性の顔をするエヴァンに、たじろいでしまう。
そんな私を見て、エヴァンは「でも」と続けた。
「お
「三十秒前に何を言ったか覚えてる?」
とは言え、エヴァンの言う通りなのかもしれない。男性経験がない私の、
ゼイン様はグレースにこっぴどく振られたことで、
だからこそ今はまだ、そこまで塩対応モードではないことは分かっていたけれど、想像以上に優しすぎて甘すぎて、うっかり勘違いをしてしまった。
やはりまだまだ油断はせず、アタックしていかなければ。そう心に決めた私は、先程からずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。
「それで誰なのかしら? そちらの美少年は」
そう、何故か
そして彼は何故か、
「最近お嬢様の周りをうろうろしていたので、
「
「少しでも
「怖いのはそっちじゃないんだけど」
エヴァンは全く
「俺がなんでこんな……くっ、殺せ!」
「お前、どうして俺に気付いた? おかしいだろ」
「俺はすごい風
「どうして私の周りをうろついていたの?」
「……言うはずがないだろう、さっさと殺せ」
「お嬢様のファンでは? 以前もいたんですよね、ストーカー
「は」
すると美少年は本気で
「それに間違いなく殺意はなかったので、大丈夫かと」
「もしかして、お姉さんのことが好きなの?」
「お前みたいな頭の悪そうな女は嫌いだ」
「あ、頭が……悪そう……」
グレースの容姿は
「お前……! 思っていても、口に出して良いことと悪いことがあるだろう!」
「ちょっと」
エヴァンが一番失礼だ。こんな時、まともな突っ込み役のヤナがいれば、と思うものの、彼女は現在
そして今は、新しいサクラのパティに世話をお願いしている。おどおどしているけれど、とても良い子だ。
「パティ、美少年にもお茶を出してあげて」
「何なんだよお前らは! 帰すか殺せ!」
とりあえず美少年にもお茶を出してみたところ大人しく飲み、負け犬っぽい
──その後「アル」と名乗った彼は、私の周りをうろついてはエヴァンに捕まり、強制的にお茶会に参加させられることになる。
そんなある日、私は朝からウィンズレット公爵邸を
第三日曜日にはマリアベルと一緒に昼食を作り、ゼイン様と三人で食事をする、というのがいつしか当たり前になっている。
私自身、二人と過ごす穏やかで優しいこの時間がとても好きになっていた。
「すごく美味しい、マリアベルって才能があるんじゃないかしら」
「嬉しいです! ありがとうございます」
「私がいなくても一人でもう作れそうね」
料理中、味見をしながらそう伝えると、マリアベルは何故か泣きそうな顔で私のエプロンをぎゅっと摑んだ。
「……私、一人で料理を作れるようになっても、ずっとずっとお姉様と一緒がいいです」
その可愛さと愛おしさに、胸が
それでもゼイン様と別れた後、マリアベルとの関係も変わってしまうことを思うと、やはり胸が痛んだ。
「ありがとう。私もマリアベルと一緒がいいわ」
二人がハッピーエンドを迎えた後、実は全部世界のためだったので許してください! と謝っても許されないだろうか、なんて考えながらマリアベルを抱きしめる。
その後は三人で昼食をとり、散歩をしたりお茶をしたりして楽しく過ごしていたけれど。
「私、本当に幸せです。ゼインお兄様とグレースお姉様が
何気ないマリアベルの言葉に、戸惑ってしまう。そんな日は、絶対に来ないのだから。
ゼイン様と結婚だなんて、私なんかにはもちろん想像もつかないものの、この穏やかな時間がずっと続いたら幸せだろうと、心の底から思っていた。
『君の側に居られることが、俺にとって最大の幸福だ』
けれど、それが正解ではないことを私は知っている。
優しくて可愛いシャーロットと会えばきっと、同じことを思うに違いない。三人は絶対に幸せになれるはず。
「…………」
それなのに、どうして嬉しいと思えないんだろう。
最初から分かっていたことなのに悲しくて、寂しい気持ちでいっぱいになってしまう。
「グレースお姉様……?」
「あっ、ごめんなさい! ……私も本当にそう思うわ」
不安げな顔をしたマリアベルに慌てて笑顔を向ければ、ほっとしたように微笑んだ。
彼女達のためにもしっかりしなくてはと自分に言い聞かせ、両手をきつく
楽しく一日を過ごし、センツベリー侯爵邸まで送ってくださるというゼイン様と共に、馬車に乗り込んだ。そして今こそ作戦決行の時だと、心の中で気合を入れる。
「あの、お隣に座ってもいいですか?」
そう尋ねるとゼイン様は少しだけ驚いたような様子を見せたけれど、すぐに頷いてくれ、私は向かいから隣へと移動する。
ぴったりと隣に座ると、優しい良い香りや触れ合った
「て、手を繫いでもいいですか」
「……ああ、もちろん」
差し出された手を取ると、ゼイン様はすぐに優しく握り返してくれる。男の人らしい手だと、いつも思う。
──ヤナがいない今、本屋で大量に買ってきた
その結果、こうして触れてみているのだけれど、ちらりとゼイン様を見上げてみても、彼に変わりはない。これ以上のスキンシップとなると、私のキャパを超えてしまう。
それでも
「ああ、
するとそんな反応をされ、私は内心頭を
誘惑しようとして寝かし付けられるなんて、
「ち、違います! 眠いわけじゃありません」
「それなら何故、こんなことを?」
「その、ゼイン様に好きになってもらいたくて」
もうここは
まるで何かを聞いたことがあるような口ぶりに、少しの引っかかりを覚える。
「……そんなこと、する必要なんてないのにな」
繫がれた手のひらに、力が込もる。
どういう意味だと尋ねてみても、ゼイン様は教えてはくれない。
「君は俺との結婚についてどう思う?」
「えっ? ええと、絶対にお相手は幸せだと思います! ゼイン様は誰よりも優しくて、
「それなら、どうして──」
ゼイン様は傷付いたような表情を浮かべた後、「ありがとう」と呟いた。
「俺も、君と結婚できる相手は幸せだと思うよ」
そんな言葉に驚いて顔を上げれば、困ったように微笑むゼイン様と視線が
「…………」
やがてゼイン様のあたたかな体温や優しい声、馬車の小さな
優しく頭を撫でられる感覚に、ほっとする。
「……ずっと、このまま過ごせたらいいのに」
無意識にそう呟いたことには気が付かないまま、私は穏やかな夢の中に落ちて行った。
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