5.嘘と本当


 ゼイン様と交際を開始してから、三ヶ月がった。すでに『運命のと聖なるおと』のストーリーも始まっている時期だ。

 小説の中での関係とは全くちがうものの、こいびと関係は順調にけいぞくしている。

 シャーロットが現れるまで、あと九ヶ月弱。ゼイン様からの好感度を、なんとかもっと上げていかなければ。


美味おいしいです! わあ、美味しい……」

「それは良かった」

「はい、すごく美味しいです!」

「そうか」


 そんな今日もゼイン様とデートをしており、今はスイーツが絶品だというお店に連れてきてもらっていた。いそがしいはずなのに十日に一度くらいのペースで時間を作り、私の好みに合わせたデートをしてくれるのだ。

 美味しすぎるりんのタルトをいただき、力を完全に失う私にも、ゼイン様はあいづちを打ってくれている。

 本当にゼイン様はやさしすぎて、気持ちはうれしいものの無理をしているのではないかと心配になってしまう。


「あの、ゼイン様。もちろんこうしてお会いできるのは嬉しいんですが、無理はしないでくださいね」

「無理はしていないし、俺が君に会いたいだけだ」

「……そ、そうですか」


 そしてゼイン様は会うたびに糖度が増しており、この三ヶ月で恋人の演技が格段に上手うまくなっていた。

 こちらが彼を落とさなければならない側だというのに、うっかり落とされてしまいそうになる。命がけの任務がなければ、私も危なかっただろう。

 れいで格好良くて地位もめいもあって、優しくて。何でも持っているゼイン様にとくべつあつかいされて、好きにならない女性などいるわけがないのだから。


「君も最近、忙しいと言っていたが」

「はい。エヴァンからほうを教わったり、将来について考えて勉強をしたりしています」

「将来?」

「この先の人生計画を立てていまして」


 実は地価ががる前に、無事にミリエルの街中にて食堂を開店する場所も決まり、忙しい日々を送っている。

 既にある建物もそのまま利用できそうで、時間を見つけておもむいては準備を進めている。メニューを考えて実際に作ってみたりするのも、すごく楽しい。

 ちなみにこうしゃくていにも月に一度は遊びに行っていて、マリアベルと料理をしたりお茶をしたりと楽しく過ごしている。彼女はいつも天使すぎて、一番のやしだ。

 食べられる量も少しずつ増えており、ゼイン様もあんしているようだった。


「君はこの先、どうするつもりなんだ?」

「その、ゼイン様にわざわざ聞いていただくほどの大した将来ではないので、お気になさらず……」


 シャーロットとゼイン様がラブラブしているころ、私が田舎いなかでのんびり過ごす話なんて、どうでもいいはず。

 何より私はこの先、こんなにも優しいゼイン様をこっぴどくり、暴言をいてきらわれてしまうのだから。そう思うと、なんだかむねの奥がちくちくと痛んだ。


「……君は本当に──」

「はい?」

「いや、何でもない。そろそろ行こうか」


 何を言いかけたのだろうと気になったものの、たずねるタイミングを失ってしまった。

 その後、カフェを出て手を引かれ辿たどいたのは、高級感あふれる宝石店だった。


「おいで、グレース」

「は、はい……」


 店内へ入ると、ショーケースの中でかがやくたくさんの宝石達に囲まれ、きんちょうしてしまう。ひとつひとつの値段を想像するだけで、眩暈めまいがした。

 ゼイン様はお得意様なのか、あっという間に奥の部屋へ通され、複数の店員に全力対応されている。

 私はすすめられるまま、やけにふかふかなソファに彼とぴったり並んでこしを下ろした。


「ゼイン様、何かしいものがあるんですか?」

「ああ。君にネックレスをおくろうと思って」

「そうなんですね、私に……私に?」


 本当に待ってほしい。目の前のテーブルに次々と運ばれてくるアクセサリー達は、さきほどのショーケースにあったものとは宝石の大きさや輝きがだんちがいだ。ど素人しろうとの私でも、とんでもない値段だということは分かった。

 これをひとつ贈っていただくだけで、今までのお礼としては十分すぎるだろう。もしや恋人関係しゅうりょうのための手切れ金かと、あせが出てくる。


「ど、どうして私に……? 誕生日でもないですし」

「君は目をはなしたら、すぐにいなくなりそうだから」

「えっ? 迷子にはなりませんよ」

「とぼけているのなら、本当に君は悪い女だな」


 そう言って小さく笑うと、ゼイン様は色々と指示をして私に次々と試着させていく。

 好みを尋ねられてもさっぱり分からないけれど、鏡に映る自分には何でも似合ってしまうから困る。ゼイン様は絶対に買って帰ると決めているようで、どうしようと頭をなやませていたけれど、ふと一番はしにあるものが目についた。


「……あの、それは?」

「こちらはイエローダイヤモンドでございます」


 他のものよりもずっとシンプルで小さいけれど、そのがねいろの輝きに思わず目をうばわれてしまう。とは言え、こんな高価そうなものなど買ってもらうわけにはいかない。

 いったん、店員が席を外したすきに、私はこっそりとゼイン様に告げた。


「ごめんなさい、気に入るものがなくて……」


 こう言えば流石さすがに、無理に買うことはないだろう。

 予想通りゼイン様も「分かった」とうなずいてくれて、店員に話をしてくると言って部屋を出て行き、私はほっと胸をろした。


 帰りの馬車に乗り込むと何故なぜとなりに座るよう言われ、大人しく言う通りにする。

 エスコートされた際にれた手は、つながれたまま。


「ゼイン様、ありがとうございました」

「ああ」


 やがて繫がれた手が離され、ゼイン様はポケットから小さな箱を取り出した。

 ゼイン様が静かに箱を開けてその中身を見たたん、私は「えっ」とおどろいてしまう。先程の宝石店で目を奪われた、イエローダイヤモンドのネックレスが輝いていたからだ。


「どうして……」

「君は本当にうそが下手だな」


 どうやら先程の「気に入るものがない」という言葉が噓だったことを、ゼイン様はいていたらしい。そしてこっそりこうにゅうしてくれたのだろう。


「受け取ってくれないか」


 こうして私のためにと買ってくれた以上、受け取らないというのも失礼だ。何より、私の気持ちに気付き、こうして贈ってくれたことが嬉しかった。

 私は小さく頷くと、差し出された小箱を手に取った。


「ありがとうございます。ゼイン様のひとみの色とよく似ていて、本当はすごく綺麗だなと思っていたんです。初めて見た時から、本当に好きで」


 この世界ではみんな色とりどりの美しい瞳をしているけれど、私はゼイン様の瞳が一番好きだった。


「とても嬉しいです。ずっと大切に身に付けますね!」


 自分でも不思議なくらい嬉しくて、へらりとしたがおを向けてしまう。

 すると次のしゅんかんには、視界がぶれていた。


「あ、あの、ゼイン様?」


 気が付けば私は、ゼイン様のうでの中にいた。優しい体温とにおいに包まれ、心臓がはやがねを打っていく。

 二ヶ月半前、馬鹿げたリストを見られて以来、こうして触れられるのは初めてだった。


「……君は本当に、何なんだろうな。近づいてきたと思ったら離れていって、つかめない」


 ゼイン様の甘い低い声が、耳元でひびく。

 言葉ひとつ発せずにいると、きしめられる腕に力が込もる。


「俺にこうされるのはいやじゃない?」


 そう尋ねられ、あわてて首を縦に振る。噓ばかりいている私だけれど、こればかりは本音で、ゼイン様は安堵したように小さく笑う。


「グレースといると、ありのままの自分でいられるんだ。俺には何かを楽しむ権利などないと思っていたが、君のおかげで考えが変わったよ。ありがとう」

「ゼイン様……」


 私が彼の世界を少しでも良い方に変えられたのなら、それ以上に嬉しいことはない。

 そしてこんな悪女に付き合ってくれている優しいゼイン様のお蔭で、初めは気を張っていた私も、いつしか心から彼との時間を楽しむようになっていた。


「ありがとうございます。私も優しいゼイン様といると、とても楽しいです」

「……ああ」


 やがて馬車がまり、センツベリーこうしゃくていに着いたことをさとる。

 私から離れた後、ゼイン様は困ったようにほほんだ。


「今回は泣いていないようで安心した」

「そ、その節は……」

「これからは少しずつ慣れてほしい」

「えっ?」


 まさか、今後もこういうことがあるのだろうか。一応は恋人同士なのだから、おかしくはないのかもしれない。それでも、どうようかくせなくなる。


「またすぐにれんらくする。おやすみ」

「お、おやすみ、なさい」


 その後ふらふらと自室へともどった私は、そのままベッドにたおれ込むと、手足をじたばたと動かした。


「だ、だめだ、落ち着かないと……うー……」


 私がときめいたって、何の意味もない。何もかもがじゃな感情でしかないと分かっているのに、どうしようもなくどきどきしてしまう。

 ちがいなく私に男性経験が全くないせいだ。後はゼイン様の顔が良すぎるのと、優しすぎるのが悪い。


「……ゼイン様は、シャーロットのものなんだから」


 ぎゅっとまくらを抱きしめ、さっさとて忘れようと目を閉じる。

 ──けれどあれは本当にすべて演技なのだろうか、という疑問をいだきながら。



*****



「なあ、ゼイン。少しでいいからさ、来週末のギムソンはくしゃくしゅさいとう会に顔を出してくれないか?」

「……なぜ俺が?」

「デビューしたばかりのビアンカが、お前とどうしてもおどりたいってうるさいんだよ」

「来週末はグレースとの予定があるから無理だ」


 そこをなんとか! と両手を合わせるボリスは昔から、従妹いとこのビアンカをできあいしている。

 彼女は昔から俺のことをしたっているようで、事あるごとに会ってほしいとたのまれていた。


「二人で顔を出すのはどうだ? おいのベンもグレースじょうみたいな美女と踊れたら──」

「ふざけるな」

「お、なんだなんだ。しっか?」

「ああ」


 はっきりとそう告げれば、揶揄からかうような様子を見せていたボリスは、ソファから身体からだを起こす。

 やがて信じられないとでも言いたげな表情をかべ、俺の顔をまじまじと見つめた。


「……お前、それ、本気で言ってる?」

「俺がこんなじょうだんを言うとでも?」


 幼い頃からの付き合いで俺のことをよく知っているからこそ、こんなにも驚いているのだろう。俺自身、こんな感情を抱いたのは生まれて初めてだった。

 ──彼女が俺以外の男と触れ合い、踊っている姿を想像するだけでいらちがつのっていく。

 先日、ランハート・ガードナーと彼女が二人きりで話しているのを見た際、抱いたものと同じだった。

 本当はあの日の夜会で、声をけるかなり前からグレースの存在には気が付いていた。彼女は良い意味でも悪い意味でも、だれよりも目立つのだ。

 俺の前での姿とはまるで別人で、大勢の男に言い寄られていた彼女は、げんそうな様子でいっしゅうしていた。けれどそんなグレースが何故か、ランハート・ガードナーをじっと見つめていることに気が付いた。

 こうしゃく令息で見目の良いランハートは、いつも女性に囲まれている。女性なら誰でも一度は好きになる、などと言われているくらいだ。

 彼女もあの男に興味があるのだろうか。そんなことを考えるだけで、しょうそう感がみ上げてくるのが分かった。

 そしてランハートの元へ向かって歩き出した彼女を、俺は思わず引き留めていた。

 自分らしくないゆうのない行動にまどう間もなく、俺を見た瞬間、破顔したグレースに心臓が大きく跳ねる。

 彼女の笑顔が自分だけに向けられることに安堵し、自分は特別なのかもしれない、嬉しいと感じてしまう。

 その笑顔が他の男に向けられると思うとかいで、苛立つことにも気が付いていた。


「いやあ、驚いた。お前のことだし、義務感だけで付き合っていると思ってたんだけどな」


 俺自身、初めはそのつもりだった。マリアベルの件がなければ関わることすらない、何よりも嫌いなタイプの人間だと思っていたのだから。

 だが、実際に接した彼女は優しくてなおで、まっすぐでけんきょで。俺が想像していた人間とは真逆だった。そんなグレースに、俺は二度も救われたのだ。

 彼女が犯人と繫がっており、俺達に恩を売るつもりで事件を仕組んだなんて考えは、とうに無くなっていた。

 だからこそ、それ以上の礼を望まない彼女に対し、せめて恋人らしい振るいをしようと思っていたのに。いつしか義務感なんて、無くなっていた。


おそはつこいだな、おめでとさん」


 ボリスはそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。

 初恋という言葉があまりにも自分に似合わず、ちょうしてしまう。


「まあ、当然と言えば当然だよな。マリアベルの命を救った上にお前の一番の悩みを解決して、お前の前でだけわいくて優しくて素直で、あの容姿だぞ? あんなの、好きにならない方が無理だろ」


 あきれたようにいきを吐くと、ボリスは再びソファにぼふりと身体を預けた。

 元々はマリアベルのこともあり、いずれは利害がいっした家から形だけの妻をむかえ、あとぎもしんせきから養子をとろうと考えていた。

 れんじょうなんて無駄で、俺にはえんのない物だと思っていたのに。


「……本当に、かわいいんだ」

「だろうな。俺ですらそう思う、っておいにらむな」


 あのくったくのない笑顔を見ていると、つられて笑顔になってしまうくらい、おだやかな気持ちになる。自身の中にこんな感情があったことも、初めて知った。


「彼女もお前のことが好きなんだし、さっさとこんやくすればいいのに。ゼインも身を固めた方がいいとしだろ」

「…………」


 ──果たして彼女は俺が婚約を申し込んだところで、受けてくれるのだろうか。そんな疑問を抱いてしまう。

 グレースは俺のことを好きだと言いながら、時折、自分の将来に俺はまるで関係ないという顔をする。

 先日だけじゃない、いつだってそうだ。本人は自覚がないようだが、彼女のおもえがく未来に俺はいないことは明らかだった。

 今まで異性とせつ的な付き合いしかしてこなかったから、という可能性もある。ただ、何か別の理由がある気がしてならない。

 そしてその度に裏切られたような、傷付いたような気持ちになり、どうしようもないくらいにどくせん欲が込み上げてくる。

 ネックレスを贈ったのも、それが理由だった。目を離せばすぐに俺から離れて行ってしまいそうな彼女を、しばけておくものが欲しかった。

 全てが計算なら、彼女はまさに本物のたいの悪女だろう。

 俺がだまり込んだのを見て、ボリスは「まあ、急ぐことでもないか」と困ったようにまゆじりを下げた。


「そもそも、以前とは別人すぎるのも引っ掛かるよな。話を聞く限り、お前の前以外では変わってないようだし。料理なんていつ覚えたんだ?」

「それについては、俺も気になっていた」

「だよな。少し彼女について調べてみるといい。そもそもこうしゃくのお前が付き合う相手なんだし、それくらいすべきだろ。マリアベルのこともあるし」


 元々王家にも仕えていたというちょうほう員をしょうかいすると言い、ボリスは立ち上がった。

 りょううでをぐっとばし、息を吐く。


「でも俺は、どうしたってグレース嬢が悪い人間には見えなかったけどな。ま、ゆっくりでいいんじゃないか」

「……ああ」


 まだグレースと知り合ってから、三ヶ月しか経っていないのだ。あっという間に自身の中で大きな存在になっていく彼女に、戸惑っているのも事実だった。

 あせる必要はないし、少しずつ彼女のことを知っていけばいい。そう自分に言い聞かせる。


 ──時間は、いくらでもあるのだから。



*****



 ゼイン様から届いた手紙や大量のプレゼントを前に、私は首をかしげていた。


「……もしかして私、好かれているんじゃないかしら?」


 最初はマリアベルを救ったお礼として、義務感で付き合ってくれていると思っていた、けれど。それにしてはなんだか、度をえている気がしてならない。


「でも、好きって言われたことはないんですよね?」


 すると私の隣に座り、ゆうに紅茶を飲んでいたエヴァンもまた、首を傾げてそう言ってのけた。

 元々貴族とは言っていたけれど、確かに言われてみると全ての仕草が綺麗なのだ。一人でお茶を飲むのもさびしいため、よく相手をしてもらっている。


「確かにそうだけれど……か、かわいいって言ってもらえるし、その、抱きしめられたし」

「かわいいくらい、男は誰にでも言えますからね。むしろ本気じゃない相手の方が手は出しやすいですし。それだけで油断するのはまだ早いですよ」

「えっ……手……だ……?」

「逆に思っていない方がさらっと言えたりしますから。少なくとも俺はそうですね」


 急に大人の男性の顔をするエヴァンに、たじろいでしまう。

 そんな私を見て、エヴァンは「でも」と続けた。


「おじょうさまはかわいいですから。だいじょうですよ」

「三十秒前に何を言ったか覚えてる?」


 とは言え、エヴァンの言う通りなのかもしれない。男性経験がない私の、ずかしいかんちがいの可能性がある。

 ゼイン様はグレースにこっぴどく振られたことで、れいてつこうしゃくと呼ばれるようになるのだ。

 だからこそ今はまだ、そこまで塩対応モードではないことは分かっていたけれど、想像以上に優しすぎて甘すぎて、うっかり勘違いをしてしまった。

 やはりまだまだ油断はせず、アタックしていかなければ。そう心に決めた私は、先程からずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。


「それで誰なのかしら? そちらの美少年は」


 そう、何故かいっしょにテーブルを囲んでいる中に、見知らぬ美少年がいるのだ。くろかみ黒目の容姿に、なんだかなつかしさを覚えてしまう。

 そして彼は何故か、に縛り付けられさるぐつわめられている。っ込みのカロリーが高すぎて、なかなか触れられずにいた。


「最近お嬢様の周りをうろうろしていたので、あやしいと思ってつかまえたんです。それとティータイムの人数が少ないことを気にされていたので、ここに置いてみました」

こわすぎるわ」

「少しでもみょうな動きをしたら、一秒もかけずに殺すので大丈夫ですよ。それに俺、人を見る目はあるので」

「怖いのはそっちじゃないんだけど」


 エヴァンは全くしんぴょう性のないことを言うと、笑顔のまま美少年の猿轡を外した。


「俺がなんでこんな……くっ、殺せ!」


 ぶっそうなことを言っているけれど、声まで良い。年は私より少し下くらいだろうか。それにしても、周りをうろついていたなんてさっぱり気が付かなかった。


「お前、どうして俺に気付いた? おかしいだろ」

「俺はすごい風ほう使つかいなので、風を使ってつうの人間には絶対に聞こえない音も聞こえるんです」

「どうして私の周りをうろついていたの?」

「……言うはずがないだろう、さっさと殺せ」

「お嬢様のファンでは? 以前もいたんですよね、ストーカーこうをしておきながら、見守っていたと言い張るやからが」

「は」


 すると美少年は本気でおこったように、顔を赤くしてまゆり上げた。図星で照れているのかもしれない。グレースのぼうなら、やっかいなファンがいても仕方ないだろう。


「それに間違いなく殺意はなかったので、大丈夫かと」

「もしかして、お姉さんのことが好きなの?」

「お前みたいな頭の悪そうな女は嫌いだ」

「あ、頭が……悪そう……」


 グレースの容姿はりんとしているのだ。そう見えるのは中の人の私のせいだろうかとショックを受けていると、エヴァンはめずらしく怒ったような様子を見せた。


「お前……! 思っていても、口に出して良いことと悪いことがあるだろう!」

「ちょっと」


 エヴァンが一番失礼だ。こんな時、まともな突っ込み役のヤナがいれば、と思うものの、彼女は現在きゅうちゅうでいない。

 そして今は、新しいサクラのパティに世話をお願いしている。おどおどしているけれど、とても良い子だ。


「パティ、美少年にもお茶を出してあげて」

「何なんだよお前らは! 帰すか殺せ!」


 とりあえず美少年にもお茶を出してみたところ大人しく飲み、負け犬っぽい台詞せりふを言って帰って行った。

 ──その後「アル」と名乗った彼は、私の周りをうろついてはエヴァンに捕まり、強制的にお茶会に参加させられることになる。


 そんなある日、私は朝からウィンズレット公爵邸をおとずれていた。今日は私の瞳の色によく似た、空色のドレスだ。

 第三日曜日にはマリアベルと一緒に昼食を作り、ゼイン様と三人で食事をする、というのがいつしか当たり前になっている。

 私自身、二人と過ごす穏やかで優しいこの時間がとても好きになっていた。


「すごく美味しい、マリアベルって才能があるんじゃないかしら」

「嬉しいです! ありがとうございます」

「私がいなくても一人でもう作れそうね」


 料理中、味見をしながらそう伝えると、マリアベルは何故か泣きそうな顔で私のエプロンをぎゅっと摑んだ。


「……私、一人で料理を作れるようになっても、ずっとずっとお姉様と一緒がいいです」


 その可愛さと愛おしさに、胸がめ付けられた。私だって、マリアベルとずっと仲良くしたいと思っている。

 それでもゼイン様と別れた後、マリアベルとの関係も変わってしまうことを思うと、やはり胸が痛んだ。


「ありがとう。私もマリアベルと一緒がいいわ」


 二人がハッピーエンドを迎えた後、実は全部世界のためだったので許してください! と謝っても許されないだろうか、なんて考えながらマリアベルを抱きしめる。

 その後は三人で昼食をとり、散歩をしたりお茶をしたりして楽しく過ごしていたけれど。


「私、本当に幸せです。ゼインお兄様とグレースお姉様がけっこんしたら、絶対にもっともっと幸せですね!」


 何気ないマリアベルの言葉に、戸惑ってしまう。そんな日は、絶対に来ないのだから。

 ゼイン様と結婚だなんて、私なんかにはもちろん想像もつかないものの、この穏やかな時間がずっと続いたら幸せだろうと、心の底から思っていた。


『君の側に居られることが、俺にとって最大の幸福だ』


 けれど、それが正解ではないことを私は知っている。

 優しくて可愛いシャーロットと会えばきっと、同じことを思うに違いない。三人は絶対に幸せになれるはず。


「…………」


 それなのに、どうして嬉しいと思えないんだろう。

 最初から分かっていたことなのに悲しくて、寂しい気持ちでいっぱいになってしまう。


「グレースお姉様……?」

「あっ、ごめんなさい! ……私も本当にそう思うわ」


 不安げな顔をしたマリアベルに慌てて笑顔を向ければ、ほっとしたように微笑んだ。

 彼女達のためにもしっかりしなくてはと自分に言い聞かせ、両手をきつくにぎりしめた。


 楽しく一日を過ごし、センツベリー侯爵邸まで送ってくださるというゼイン様と共に、馬車に乗り込んだ。そして今こそ作戦決行の時だと、心の中で気合を入れる。


「あの、お隣に座ってもいいですか?」


 そう尋ねるとゼイン様は少しだけ驚いたような様子を見せたけれど、すぐに頷いてくれ、私は向かいから隣へと移動する。

 ぴったりと隣に座ると、優しい良い香りや触れ合ったかたの体温にどきどきしてしまう。


「て、手を繫いでもいいですか」

「……ああ、もちろん」


 差し出された手を取ると、ゼイン様はすぐに優しく握り返してくれる。男の人らしい手だと、いつも思う。

 ──ヤナがいない今、本屋で大量に買ってきたれんあい本をあさった結果、とにかく触れてゆうわくし、異性だと意識をさせることが大事だという知見を得たのだ。

 その結果、こうして触れてみているのだけれど、ちらりとゼイン様を見上げてみても、彼に変わりはない。これ以上のスキンシップとなると、私のキャパを超えてしまう。

 それでもがんらなければと思い、恥ずかしさや照れを必死に押さえつけ、こてんと頭を彼の身体に預けてみる。


「ああ、ねむいのか。着くまで眠って大丈夫だ」


 するとそんな反応をされ、私は内心頭をかかえた。

 誘惑しようとして寝かし付けられるなんて、けすぎる。


「ち、違います! 眠いわけじゃありません」

「それなら何故、こんなことを?」

「その、ゼイン様に好きになってもらいたくて」


 もうここはせいこうほうだと思い正直に告げると、ゼイン様は驚いたように「本当にそう思っていたのか」とつぶやいた。

 まるで何かを聞いたことがあるような口ぶりに、少しの引っかかりを覚える。


「……そんなこと、する必要なんてないのにな」


 繫がれた手のひらに、力が込もる。

 どういう意味だと尋ねてみても、ゼイン様は教えてはくれない。


「君は俺との結婚についてどう思う?」

「えっ? ええと、絶対にお相手は幸せだと思います! ゼイン様は誰よりも優しくて、らしい方ですから。うらやましいです」

「それなら、どうして──」


 ゼイン様は傷付いたような表情を浮かべた後、「ありがとう」と呟いた。


「俺も、君と結婚できる相手は幸せだと思うよ」


 そんな言葉に驚いて顔を上げれば、困ったように微笑むゼイン様と視線がからんだ。

 められて嬉しいはずなのに、またずきりと胸が痛んだのは何故だろう。


「…………」


 やがてゼイン様のあたたかな体温や優しい声、馬車の小さなれにより、本当に眠たくなってきてしまう。静かに目を閉じると、あっという間に意識が遠のいていく。

 優しく頭を撫でられる感覚に、ほっとする。


「……ずっと、このまま過ごせたらいいのに」


 無意識にそう呟いたことには気が付かないまま、私は穏やかな夢の中に落ちて行った。

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