エルフさんの胃袋

藤谷ある

第1話 鉄板ステーキ


「おい……あれ、エルフじゃね?」


「うわ、ホントだ……。俺、初めて見た……すっげー美人……」




 夜のネオンが瞬く町の通りを歩いていると、二人組の青年が私に羨望の眼差しを向けてきていた。




 この東京にエルムガルドと繋がるゲートが開いてから早五年。


 地方から出てきた者にとっては、私のような異種族はまだまだ珍しい存在らしい。




こういう時は「愛想笑いの一つもするものだ」……と討伐隊の上官に言われているが、実際はなかなか難しい……。




 変に引き攣った表情を隠すように足取りを速める。




 私の名はレニス・レンブラント。


エルフの女剣士である。


 エルムガルド――即ち彼らの立場でいう異世界から、この日本に溢れ出してしまったモンスターを討伐するのが私の仕事だ。




 エルムガルドとのゲートが開いたことによって、そこに住む者達とこの世界の住人達との間で異文化交流が始まったのだが、同時に元々この世界にはいなかった凶暴なモンスターまでもが放たれてしまうことになった。




 しかし、この世界の住人達はモンスターと戦う術を持っていなかったので、我々エルムガルドの戦士達がその役割を担うことになったのだ。




 丁度今も、そこのガード下で暴れていたミノタウロスを仕留めてきたところ。


 本日は、それで五匹目だった。




 だが、それももう打ち止めっぽいな。




 闇が濃くなるとモンスターは活発になるのがエルムガルドの常だったが、どういうわけかこの世界では逆のようで、夜になるとめっきり活動を停止してしまう。


 エルムガルドとの環境差がそうさせているのでは? と魔獣研究者は言うが真相は定かではない。




仕事はここまでにしておこう……。今から暴れ出すモンスターなんてそうそういないだろうし、今日は五匹も狩ったのだ、平均よりは多い。充分頑張った。うん……そうだ、終わりにしよう。




そんなふうに自分を納得させる。


その時だった。




ぐきゅるるるるうぅ




「む……」




示し合わせたように腹の虫が鳴り響いたのだ。




ほら見ろ、私の体も身を休めて力を補給しろと言っている。


となれば……本日の夕食探しだな!




 顔を上げ、意気揚々と歩き出す。


 自分でもモンスターを相手にしている時よりも力が漲っていると感じている。




 それもそうだろう。


仕事のあとの飯だけが私の生き甲斐なのだから。


 これの為にこの仕事をしていると言っても過言ではない。




 それくらい、この世界の飯は美味すぎるのだ。




 初めてラーメンを食べた時なんか、どこの貴族の食べ物だと思ったくらいだからな。




 私は歩きながら、通りの左右を視線で物色する。


 それだけで様々な飲食店の看板が視界の中に入ってくる。




 この東京という町は非常に多くの飲食店がひしめき合っていて、三歩進む度に何らかの店に突き当たる。


 聞くところによると、東京はこの町だけで色々な国の料理が食べられるという世界でも有数のグルメシティなのだとか。




こちらの世界に来て一年足らず。


 私もこれまでに多くの料理を食べてきたが、まだまだ知らない食べ物がたくさんある。


 それらを全部堪能しなければ、エルフの寿命は長いとはいえ死んでも死にきれない。




さあ、今宵も私を楽しませてくれよ。ふふ……。




 そんな感じで独りニヤけていると、前から来た若い女性が引いた顔で私を避けて行った。




 っと……いけない。




 慌てて顔を取り繕い、新しい出会いを求めて路地裏に入る。


 すると通りには、各々の店の換気扇から排出された様々な香りが漂っていた。


その香りに食欲が掻き立てられる。


 通りは細いながらも奥へと続いていて、所々に看板や提灯の明かりも窺える。




いい雰囲気だ。名店がある予感がしてきたぞ……。




 期待に胸躍らせ、通りを進む。


 すると、白い暖簾のかかったこぢんまりとした店の前で自然と足が止まった。


店先で煌々と光を放っている立て看板に目を向ける。


そこに書かれていたのは、




「ん……〝鉄板ステーキ〟?」




 その言葉に妙に惹かれる。


ステーキはこの世界に来てからも食べたことがある。


 エルムガルドにも同様の食べ物はあるが、こちらでは大体に於いて、熱した鉄板プレートの上に焼いた肉が載っかって出てくるのがメジャーな提供方法だ。


しかし、それをわざわざ店名の前にまで持って来て謳っていることが気になる。




 カウンター上にある大きな鉄板でシェフが食材を焼いてくれる鉄板焼きスタイルということも考えられるが……。


私は行った経験がないので何とも言えないが、あれはちょっと高級なイメージがある。




 しかし、目の前のこの店からはそんな雰囲気は全然しない。


 入口の前にはビールケースが転がっているし、レトロな店構えは庶民的な居酒屋といった感じ。




 気になるな……。今日は五匹も討伐できたことだし、たまには奮発して……。




 少々の葛藤の後――。




うむ、そうしよう。




決断すると店の扉に手を掛ける。




「らっしゃい!」




 扉を開けた途端、威勢の良い店員の声と共にむわっとした熱気のようなものを体全体に受ける。


 その理由はすぐに分かった。


全てのテーブルに鉄板が設置されていて、そこから熱が放たれていたからだ。




まさかのお好み焼きスタイル!




「お一人様ですか? こちらのお席にどうぞー」




 若い女性店員に促され、窓際の席に座る。


 その際に、




「あのー……そちらお預かりしましょうか?」


「ん……?」




 店員の視線は私の腰にある剣に向けられていた。




「えっと……座りにくいかなあと思いまして……」


「ああ、これなら大丈夫だ。いつも側に置いておかないと落ち着かない性分でな。その気遣いだけ、ありがたく受け取っておくよ」


「そ、そうですか、失礼しましたっ」




 店員はそう言うと、どういうわけか頬を赤らめながら厨房の奥へと消えて行った。


それを少し不思議に思いながらも、腰から外した剣を隣の席に立てかける。


 そしてその手でテーブル上のメニューを手に取った。




 ふむふむ、やはり一番上にメインで書かれているのはこの鉄板ステーキというやつだな。




 恐らく、というかほぼ確実に目の前にある鉄板の上で肉を焼いて食べる方式。


 部位はアンガス牛の肩ロースのみという潔さ。


 セットでライスとスープとミニサラダが付いてくる。




 その他のメニューはというと……やっぱりというかなんというか、お好み焼きとか、焼きそばとか、もんじゃ焼きとか、普通にお好み焼き屋のメニューが並んでいる。




この中ではステーキだけが異質だ。というか他が異質なのか?


 こうなってくると、やはり前面に押し出されている鉄板ステーキを頼むのが常道だろう。




 料理はそれに決めたとして……。


 肉はグラムが選べるのか。




 最小は150グラムから、200、300、400グラムとある。


 試しに200……と言いたい所だが、ここは思い切って……。




 今一度、自分の腹に手を当て、具合を確かめる。




 うむ……行ってしまおう。




「すまない」


「はーい」




 手を上げるとすぐに先ほどの店員がやって来る。




「鉄板ステーキを400で頂きたい」


「はい、鉄板ステーキを400グラムですね。かしこまりましたー」




 頼んでしまった。


 しかし、後悔はしていない。


 今日の私は肉! 体が肉を求めているのだから!




 自身の豪気さに酔いしれていると――、




「お待たせしました。鉄板ステーキ400グラムです」


「早っ!?」




 あまりの早さに思わず声を上げてしまった。


 提供が異常に早かった理由は目の前の肉を見れば分かる。


 生肉だからだ。




目の前の鉄板で焼くわけだから、生なのは当然なのだが、ステーキを頼んでこの状態で出てきたのは初めてだったので一瞬、戸惑った。




テーブルの上に分厚い肉の塊が置かれる。


 さすが400グラム、圧巻の厚さだ。




「鉄板の手前は温度が低いので、お好みの焼き加減で頂いてくださいね」


「うむ」




 なるほど、火が入っているのは鉄板の中央のみなのか。


 それもそうか。


普通のプレート提供のステーキと違って、食べている最中にどんどん火が入ってしまうから、そういう部分がないとゆっくりしていられないしな。




 店員がセットの品を全てテーブルに置いて去って行くの確認すると、早速分厚い肉を鉄板の中央に載せる。


すると肉表面の脂が溶け出してジュワァァッという良い音を立てる。




 ついでに付け合わせで載っていたもやしも一緒に焼いてしまおう。


 くくく……いいぞ。この肉が焦げる芳ばしい香り。たまらん……。




 この厚みでは火が通るまでには少々時間がかかる。


 その間にセットメニューであるサラダとスープを食べて待つとしよう。




 小鉢に入ったミニサラダはレタスやキャベツがメインのシンプルなもの。


 表面には既にオレンジ色のドレッシングがかかっている。




 私はフォークを手に取って、シャキシャキのレタスに突き刺す。


 パリッとした新鮮な感覚が指にまで伝わってくる。




 そのまま一口。




 ふむふむ、これは人参のドレッシングか。


 仄かな甘みの中に突き抜けるニンニクの香りが癖になる美味しさだ。


 しかも、この僅かに残る繊維の舌触り、市販のものではなく店で手作りのようだ。




 こんな所に意外な伏兵が潜んでいようとは思いもしなかった。


 口の中をさっぱりとさせながら、焼ける肉を楽しむ。


 まるでスポーツ観戦のようだな。




 一旦、フォークを置くと、今度はカップに入ったスープを手に取る。


 中はこちらもシンプルなコンソメ仕立てのワカメスープ。




 そいつを一口、口に含む。




「ぷはぁ……」




 思わず吐息が漏れた。


 強張っていた筋肉の緊張がほぐれたような感覚。




 ステーキ屋や焼肉屋で見かける定番のスープだが、まさに「これでいいんだよ」的なスープだ。




 そんな事をやっている間に肉の具合が気になってくる。


 そろそろ裏返した方が良さそうだ。




 おもむろに用意されていたトングを使って肉を掴み上げる。




 重い……。




 ずっしりとした重みが手首に伝わる。


 見た目だけじゃなく、本当にどっしりとしている。




 そのまま裏返すと、焼き目の付いた面が露わになる。




「ふは……」




 狐色の焦げ目の合間で、溶け出した脂がしゅわしゅわと気泡を弾けさせているのが見える。


 思わず涎が垂れそうになるのを我慢しつつ、裏返した面を焼いてゆく。




 あまり火を入れ過ぎると硬くなってしまうから気を付けないと……。




 トングで逐一、確かめながら良い頃合いを待つ。


 そして――裏面からも芳ばしい香りが立ち込め始めたところで、ナイフとフォークを手に取った。




 そろそろいいだろう。




 鉄板の上に横たわる分厚い肉にナイフの先を差し入れる。


 すると、切っ先が思いの外スッと中に入った。




 中は薄いピンク色。


 絶妙な火の入り具合だ。




 一口大に切ると、小皿に入ったステーキソースをちょいと浸け、そいつをハフハフしなが口に放り込む。




「……!」




 自分でも瞳が見開かれるのが分かった。




 柔らかい。


 正直、肩ロースと聞いて硬い肉を想像していたが、思ったより柔らかい。


 丁寧に筋切りがされているのだろう。




 そして噛む度に感じる肉々しい食感と、そこから溢れ出す旨味ジュースのような肉汁が


たまらない。




 これは間違い無く、旨い!




 目の前で焼く鉄板だからこその熱々感が更に美味さを押し上げている。




 付属のステーキソースもいい。


 玉葱とニンニクベースのシャリアピンソースが、シンプルな赤身肉に旨味を添えている。




これは止まらないな。




 カットした肉をライスの上でバウンドさせて貪りつく。


ソースの染みた米を掻き込む。


その繰り返し。




 いつまでも焼き立ての熱々だから、食欲が掻き立てられる。


それでも食べているうちにどんどん肉に火が入ってくる。




 焼き過ぎは禁物。


 そろそろ手前に避けて、ゆっくり楽しむか。




 大事なものを扱うように、トングを使って肉を移動させる。


 そこでスープを一口飲んで一旦、小休止。


後半戦に備える。




 そんな時だ。




「すんませーん、グラスビール下さい」


「はーい」




 隣の席の客が追加注文の声を上げた。


その男性客も私と同じメニューを食べている途中だったのだが……。




 分かるなーその気持ち。


このステーキを食べていると、そのつもりはなかったのにビールが欲しくなる。


 しかもグラスサイズでちょっとだけ飲みたい。まさにそんな気分にさせてくれる料理だ。




 そんなふうに心の中で共感していると、程なくして隣の客席にグラスに入ったビールが運ばれてきた。




「はい、こちらグラスビールでーす」


「ああ、どうも」




 それを受け取った男性客を私はしばし観察する。


 他人様がそいつをぐいーっと一気に飲み干し、ぷはぁぁっとやる所を見届けたかったからだ。




 しかし、そこで予想だにしない出来事が起こった。


 その客はグラスを口元へ持って行くわけでもなく、あろうことか鉄板の上にぶちまけたのだ。




えええぇぇっ!?




 思わず内心で絶叫を上げる。


鉄板の上ではグツグツと沸騰するビールの海の中でステーキ肉が踊っているのが見える。




 な、なんてことを……。




 あまりの光景に絶句していると、その男性客は小皿にあったステーキソースをも鉄板の上に注ぎ始めた。




「これが旨いんだよなー」






 男性客が向かいの席に向かってそう言うと、連れの男も、




「ああ、残り半分をこいつで締めるのがたまんねえよな」




 そんなことを言い出した。


 私は驚愕しながら、思わず口ずさむ。




「マジか……」




 私の動揺を他所に、隣からは「うまっ」「最高」などという声が聞こえてくる。




「……」




 よもや、そんな食し方があろうとは思ってもみなかった。


 言われてみれば、隣の鉄板から立ち籠めてくる香りは食欲をそそるものがある。




 これは……試さないわけにはいかないな。




「すまない」


「はーい」




 私は店員を呼び、グラスビールを注文する。


 程なくして――。




 自分のもとにもビールがやってきた。


 こちらの世界にやって来たばかりの頃は、仲間から途轍もなく旨い酒があると聞いて、かなり嵌まって飲んでいた時期もあったが、まさかこんなふうに使う時が来ようとは……。




私は鉄板の上で恐る恐るグラスを傾ける。


一瞬、勿体ないことをしているのではないだろうかと不安になる。


だが――、




「ええい、ままよ!」




 途端、ジュワァァァァッという音と共にアルコールが混ざった蒸気が舞い上がる。


 すかさずそこへステーキソースも追加すると、鉄板の上で混ざり合い、なんとも芳しい香りが舞い上がる。




 しばらく待つと、良い具合に煮詰まり始め、とろみを帯びたソースが肉に纏わり付き始める。




 確かにこれは旨そうだ……。


 どれどれ、その真価をこの私に見せてみよ。




 ソースが絡み付いた肉の一片にフォークを突き刺す。


 ふーっと一回、息を吹きかけて冷ますと、そのまま口の中へと放り込んだ。




「……!」




 こ、これは……!




 フォークを持つ手が震えた。




 肉に絡み付いた濃厚なシャリアピンソース。それが煮詰まって濃厚な旨味を引き出している。


 そこへビールが加わったことで苦みが付加され、ソースにキレと深みが出ている。




 それに決して嫌な苦みではない。


加熱されアルコールが充分に飛んでいるし、玉葱とニンニクの香りが強めなので言われなければビールだとは気付かないだろう。


綺麗に一つのソースとしてまとめ上げられている。




 ビールソース……とでも言うべきか。


 こんな食べ方があるとは……この世界の食べ物は奥が深い。


 まだまだ、私の知らないものがたくさんありそうだ。




 ビールソースで食が進んだ私は、そこから一気に残りを平らげてしまった。




「ふぅ……満足だ」




 なんと幸せなことだろう。


 こんな気分が毎日味わえる、この世界の人々が羨ましい。




 私は隣に立てかけてあった剣を手に取ると、勘定を済ませる為にレジへと向かう。


 先ほどの女性定員に伝票を渡し、金を払う時になっておかしな事に気が付く。


料金が少しばかり安いのだ。




「金額を間違っていないか?」




 すると彼女は私の耳に向かって小声で言ってくる。




「ビールの分だけサービスしておきました」


「え……どうして?」


「うちの店長が『いつも町を守ってもらってるんだから、それくらい安いもんだ』って」




 言われて厨房の奥に目を向けると、そこで件の店長が小さく会釈をしてくるのが見えた。




「すまないな……」


「いえ、そんなことないですよ。それに……レニスさんですよね?」


「え……どうして私の名を?」




 唐突に彼女の口から自分の名前が出てきて不意を突かれた。




「テレビやネットニュースで見たことがあったので。それに私、町でレニスさんがモンスターを倒しているところをこの目で見たことがあるんです」


「えっ」


「私、その時からレニスさんのファンなんです。あんな大きいモンスターを私よりも細い体の女の子が一太刀で倒してしまうのを見て、すごいなーって思って」


「……」


「この人のお陰で私達の安全が守られてるんだって、身に染みて感じたんです。だから、私からの感謝の気持ちも入ってますんで」


「なるほど……」


「これからも応援してます!」


「あ、ありがとう……」




 なんだか、くすぐったい気持ちになりながらも勘定を終えて店を出る。


 町は先ほどの変わらずビカビカのネオンの中。


 まだまだ夜は始まったばかり。




 そんな夜道をトボトボ歩きながら、さっき食べたばかりのステーキの味と、店員の顔を思い出す。


 すると、自然に顔が綻ぶのが分かった。




「さて、明日は何を食べようか」




                          [第1話 了]

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エルフさんの胃袋 藤谷ある @ryo_hasumura

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