4の44「3センチと死」



「……そうですね」



 ミツキはリドカインから奪った剣を、ニトロの方へ放り捨てた。



「…………!」



 ヨークはその様を、地面に這いつくばって見ていた。



 彼の体は石化が進み、もう声を出すことも出来ない。



「すまないね」



 ニトロはリドカインの剣を拾い上げた。



「あなたたちは……最初からこうするつもりだったのですね」



「そうだね。


 それが神の御意思だから」



「それだけですか?」



「…………。


 実を言うとね。


 少年のことは、ずっとこうしてやりたいと思っていたよ」



「あなたは彼のことを、名前で呼ばなかった。何故ですか?」



「キミに話すことでは無いね」



「そうですか」



「何か思い残したことは有るかな?」



「…………。


 日記の締めを、綴ってもよろしいですか?」



「日記……? 構わないけど……」



「それでは遠慮なく」



 ミツキはスキルを用い、分厚い本とペンを取り出した。



 そして本を開くと、何事かを記入していった。



 ひょっとすると、油断を誘っているのかもしれない。



 そう考えたニトロは、細心の注意をもってミツキを見守っていた。



 だがミツキは、反撃のそぶりは見せなかった。



 やがて記入が終わると、本はスキルで『収納』された。



「私への恨み言でも書いたのかな?」



「いえ。


 良い人生だったと」



「もう良いかな?」



「出来るなら、梅酒の一杯でもいただきたいところですが」



「残念だが、手元には無くてね」



「そうですか。


 まあ、別に構いませんがね」



「悪いね。


 お別れだ。ミツキ」



「……はい」



 ミツキはヨークに向き直った。



 ヨークはミツキの瞳を見た。



 そこには惑いも苦しみも無かった。



「…………」



 ニトロは剣を持ったまま、ミツキの背後に立った。



 終わりの時が、すぐそこにまで来ていた。



 ミツキはヨークにほほえみかけた。



「ご主人様。私のかみさま。


 あなたのことをずっと愛していました。


 そして、これからも」



 ニトロは剣を振った。



 剣先が、ミツキの右腹に入った。



 そしてヘソを通り、左腹へと抜けた。



 ミツキの体は、二つに両断された。



 上の体が、どしゃりと地面に落ちた。



 ミツキの所持品が、周囲に散らばった。



 『収納』スキルの効果が、無くなった証だった。



 他愛ない日用品も有れば、思い出深い品々も有った。



 さきほどの日記帳も、そこに落ちていた。



(あ……?)



 ヨークは何もできず、呆然とそれを見ていた。



 ミツキの腹の断面から、長さ3センチほどの何かが、ぽとりとこぼれた。



「これは……」



 ニトロが3センチの何かに気付いた。



「そうか……。


 三ヶ月といったところかな。


 キミたちはもう、


 ■■を作るほどの仲だったんだね」



 ぶちゅりと。



 ニトロの足が、3センチの何かを踏み潰した。



 ぐりぐりと、念入りにすり潰していった。



 3センチの何かは、地面の汚い染みになった。



「……………………」



 ヨークはそれを、認識出来なかった。



 純朴な彼は、目の前で何が起きてしまったのかを、理解することが出来なかった。



 現実が、ヨークの許容出来る範疇を、超えてしまっていた。



 残酷は、たしかに世界に存在する。



 ヨークはそれを、見ないようにして暮らしてきた。



 そして今日、残酷はヨークを捕まえた。



「ぁ…………」



 ヨークの喉から、か細い声が漏れた。



 そして殺意がやって来た。



 殺意は彼の内面を、埋め尽くしていった。



 それはニトロたちへの殺意であり……。



 ニトロたちの存在を許す、世界への殺意であり……。



 無力で無様な、自分自身への殺意でもあった。



 ヨークは産まれて初めて、心の底から、自分自身を殺したいと願った。



(『敵強化』)



 『敵強化』のスキルは、ヨーク=ブラッドロードに殺意を持つ者に対し、発動する。




______________________________




ヨーク=ブラッドロード



クラス 魔術師 レベル2298



______________________________




「があああああああああああああああぁぁぁっ!」



 ヨークは咆哮を上げた。



 服ごと石化していたヨークの体に、ヒビが入った。



 そのヒビから、紅い殺意が漏れ出していった。



 ぱらぱらと、石の欠片をこぼしながら、ヨークは立ち上がった。



 ヨークは石の呪いから、自由になっていた。



「石化が……」



 サッツルの視界から、ふっとヨークの姿が消えた。



 そう思った次の瞬間には、サッツルは首をつかまれていた。



「…………! ぐぼっ!?」



 ヨークはサッツルの首を、左に捻って殺した。



「ひっ……!?」



 次の瞬間、ヨークはトトノールの前に居た。



 ヨークの右手が、トトノールの腹へ刺さった。



「ひぎゃっ……!?」



 そのまま腹の中身を引きずり出すと、トトノールは死んだ。



「サレン……すま……」



 ニトロの視界に、振り上げられるヨークのカカトが映った。



 次の瞬間、ニトロの体は左右に分かれていた。



 振り下ろされたカカトが、ニトロの頭蓋から股間までを、粉砕していた。



 新しい死体が、三つ生まれた。



 それらの汚物は、殺戮者の心を慰めてはくれなかった。



「ぐうううぅぅ……!」



 ヨークは獣のような唸り声を上げた。



「ほう……人を超えたか?」



 興味深げに、トルソーラが呟いた。



「だが、神にも見えんな」



 トルソーラの声が、ヨークの耳に届いた。



 ヨークは思い出した。



 この場には、殺さなくてはならない相手が、もう二人居る。



 一人はトルソーラで、もう一人はヨークだった。



 ヨークを殺すのは、最後でなくてはならない。



 消去法で、ヨークはトルソーラを殺すことに決めた。



「がああっ!」



 ヨークは爪でひっかくように、トルソーラに襲い掛かった。



 だが……。



「がっ!?」



 トルソーラの障壁が、ヨークを弾き飛ばした。



 神々が持つ、特別な障壁だ。



 単純な物理攻撃では、突破することはできない。



 かつてヨークは、ニトロから預かった剣で、障壁を裂いた。



 剣は地面に転がっていた。



 だが、それを用いるだけの理性は、今のヨークには無かった。



 今のヨークは剣士ではなく、一個の獣と化していた。



 だからヨークは、別の手段を取ることに決めた。



「ぐ……ぐるるるっ……!」



 ヨークの体が、変形を始めた。



 彼の体は、徐々に人の姿を失っていった。



 それはいびつだが、どこか龍に似ていた。



「ごがあああああああああぁぁぁっ!」



 龍の牙が、トルソーラに迫った。



「…………!」



 トルソーラは、紙一重で龍の牙をかわした。



 外敵を阻むはずの障壁は、機能しなかった。



「これは……」



 トルソーラは、僅かな驚きと共に、ヨークを見た。



「喰ったのか。余の神壁を。


 ……そうか。


 我らの世界を滅ぼした、全てを喰らう龍。


 ……ダハーカ。


 貴様はそれになろうと言うのか?


 ならば……」



 トルソーラは、てのひらを天に掲げた。



 巨大な剣が、彼の手中に納まった。



「もはや、一片の油断もならぬ。


 全力で屠らねばなるまい」



 トルソーラは剣を構えた。



「ググアアアアアアァァァッ!」



 邪龍がトルソーラへと向かった。



 一方、トルソーラは剣を振った。



 その刀身から、青い熱線が、ヨークへと放たれた。



「グゲアアアアアアアアアァァ!」



 熱線が、ヨークの体を焼き尽くしていった。




 ……。




「……………………」



 ミツキは暗い空間を漂っていた。



「ミツキ……」



 まどろむミツキの意識に、女の声が届いた。



「…………」



 声を聞いても、ミツキはまだ覚醒することは無かった。



「起きてくれ。ミツキ」



 声が再びミツキを呼んだ。



「…………?」



 聞き慣れた声だ。



 そう思い、ミツキは目を開いた。



 そして体を起こすと、隣にフルーレが立っているのが見えた。



「フルーレさん……?」



 ミツキは、ふしぎそうにフルーレを見た。



 絶縁した相手だ。



 彼女の顔を見るのは、数カ月ぶりだった。



「ああ。私だ」



「私は……生きて……?」



「いや……。


 ミツキはたぶん、死んだんだと思う」



「それならどうして……。


 それに、あそこに居る人は……?」



 ミツキは左側を見た。



「…………」



 ミツキの視線の先に、青年が立っていた。



 青年は黒髪で、赤い肌をしていた。



 体型は華奢に見えるが、背筋がしっかりと伸びていた。



 ミツキにとっては見慣れない青年だった。



「さあ? 私も初めて見る」



「あの、お名前をうかがってもよろしいですか?」



 ミツキが青年に尋ねた。



「カナタ=メイルブーケだ」



 青年は、無愛想な声で答えた。



 それを聞いて、フルーレが驚きの声を上げた。



「始祖様!?」



「……? 何がどうなって……」



「私が説明しましょう」



 上方から、女の声が聞こえた。



 ミツキは声の方を見た。



 何も無かったはずの場所に、光が現れた。



 光が消えたとき、そこには少女の姿が有った。



「あなたは……。


 クリーンさん?」



「…………」



 少女はミツキを見つめた。



 本人か。



 それとも幻か。



 そこに現れた少女は、クリーンの姿をしていた。



「ミツキの知り合いか?」



 フルーレがミツキに尋ねた。



「そう見えますが……」



「違うのです。


 私は、クリーンだとかいう奴では無いのですよ」



 ミツキが聞き慣れた口調で、クリーンらしき少女は、そう言った。



「ですが、私の目には、クリーンさんにしか見えませんが」



「そうですか。


 今のおまえには、


 私はそのように見えているのですね。


 けど今は、そんなことはどうでも良いのです。


 重要なことでは無いのです」



「では、重要なことと言うのは?」



「このままでは、邪悪な存在によって、


 世界は滅んでしまうのです。


 それを止めます。止めなくてはならないのです」



「それを、どうして私に言うのですか?


 私は神の手先にさえ、敗れ去った身の上です。


 そんな私に、


 神を止めるお手伝いが出来るとは、


 到底思えませんが」



「いいえ。


 きっと、奴を止めることは、


 あなたにしか出来ないのです」



「……? どうしてですか?」



「それは、あなたがここに居るからなのです」



「意味が分かりませんが。


 そもそも、ここはどこなのですか?」



「ここは、ヨーグラウの中なのです」



「……ヨーグラウ?」



「ヨーグラウは、かつて世界を支配していた龍神。


 そして、ヨーク=ブラッドロードの前世です」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る