4の19の1「月狼族と真昼の月」



「は…………?」



「正妻の血を引いた僕が、目障りだったんだろうね」



「月狼族が、


 同胞を売ったというのですか?」



 月狼族は少数民族だ。



 だからこそ、仲間を気遣う気持ちは、大陸の人間よりも強い。



 ミツキはそう思っていた。



 ……思いこんでいた。



 常識にヒビを入れられ、ミツキの心が揺れた。



「そうだね」



 ミツキの動揺を気遣うことなく、ユウヅキは言葉を続けた。



「それも、僕が最初というわけでも無い。


 ……僕たちが小さかった頃、


 町の子が、消えたことがあっただろう?」



「何日も探しても見つからなくて、


 神隠しと言われていましたね」



「あの時の子も、


 実は僕みたいに売られてたらしいんだよね」



「……確かなのですか?」



「奴隷商の人に聞いたからね。


 僕に嘘をつく理由は、無いと思う。


 つまり……


 月狼族の権力者たちは、


 しばしば同族の子供を売って、


 小銭稼ぎをしているのさ」



「……………………」



 ミツキは時間をかけて、現実を噛み砕いていった。



 現実の味は苦かった。



 それらを飲み込むと、ミツキは絞り出すように言った。



「あなたは……


 かみさまを探しに来たのでは……


 無かったのですね」



「かみさま?」



 ユウヅキは、きょとんとした顔で、ミツキを見た。



 彼女が何を言っているか、分からないようだった。



 だが、少しすると、ミツキの言葉の意図に、思い当たったらしい。



「…………あぁ」



 遠い目をして、ユウヅキは頷いた。



「そんな子供のころの話、


 よく覚えてたね」



「記憶力は、良い方なので」



「うん。そうだったね。


 それで、家出をしたと思って、


 姉上まで城を飛び出して来たんだ?」



「それは……置手紙も有ったので」



「ちゃんと筆跡も調べた?」



 手紙を見つけたとき、ミツキの行動は、衝動的だった。



 周囲が止めるのも聞かず、あっという間に家を飛び出していた。



 ユウヅキの問いは、それを見透かしているようにも聞こえた。



「あの時は……慌ててしまって……」



 ミツキはとっさに自己弁護しようとしたが、その言い訳は、弱々しかった。



「それで捕まって、奴隷になったと。


 ……詐欺に合うタイプだね」



 ユウヅキは、呆れ顔を見せた。



 それに対し、ミツキは拗ねたような顔を見せた。



「……悪かったですね」



「別に、悪くは無いけどね。


 美しい姉上が、あの国に居たら、


 どうせ、政略結婚の道具にされてただろうし。


 肥え太った権力者の慰み者になるのと、


 ここで奴隷になるのと、


 どっちがマシなんだろうね?」



「奴隷に決まっています」



 ミツキは真顔で言い切った。



「そう。


 それなら、癒しの力のことを隠し通せたのは


 僥倖だった。


 もし知られれば、


 兄上は絶対に、


 あなたを逃がさなかっただろうから」



「べつに、大した力では無いと思いますが」



「自己評価が低いのも、考えものだね」



「…………」



「とにかくもう、夢を見る年でも無いよ。


 月狼族は、救いようが無い。


 平気で仲間を売るような一族が、


 救われて良いわけが無い。


 僕たちを救ってくれる神様なんて、


 居なかったのさ」



 ユウヅキは、諦めの笑みを浮かべた。



「……そうでしょうか?」



「どうしたの? 姉上」



 ユウヅキは、眉をひそめた。


 姉らしくない言葉が出た。


 そう思ったからだ。



「奴隷にされたショックで、


 信心が目覚めたのかな?」



「そうかもしれませんね」



「本気?」



「私のことは良いでしょう。


 あなたはこれから、どうしたいのですか?」



「どうもこうも、


 割とどうしようも無いよね」



「今の私なら、


 あなたをここから逃がすことも出来ます」



「逃げても、その先が無い。


 僕を売った兄上の所には、


 帰りたくない。


 それに、この国に居ても、


 奴隷商人に狙われるだけだ」



「……私たちは、王都を出るつもりです。


 ご主人様と一緒に、


 私と彼が


 穏やかに暮らせる場所を探します。


 私と一緒に来ませんか? ユウヅキ」



「考えておくよ」



「……三ヶ月後、


 必ずあなたを迎えに来ます。


 その時までに、答えを出しておいて下さい」



「分かった」



 ミツキはフードを深く被った。



 ユウヅキに背を向け、窓から外へ出た。



 そして、見張りに見つからないように、素早く庭を抜けた。



 塀を飛び越え、敷地の外へ。



 通りへ。



 そのとき……。



「姫」



 通りに立ったミツキの眼前に、見知った男が現れた。



 年は60ほど。



 髪は短い銀髪で、背の低い、がっしりとした体格の男だった。



 月狼族だが、その頭には、狼の耳は無い。



 腰のしっぽも無かった。



 彼の服装は、王都にすっかり馴染んでいるようだった。



 男の名は、コジロウ=コバヤカワ。



 ユウヅキの世話役を、務めていた男だった。



 ミツキが彼と会うのは、ユウヅキの家出事件以来だった。



「じいや」



 知り合いとの、久しぶりの再会だ。



 だが、ミツキの顔に笑顔は無かった。



 冷ややかな視線が、コジロウへと向けられていた。



「ユウヅキの見張りですか?


 せっかく排除したあの子に、


 国に戻られては困りますからね」



「……お迎えにあがりました。


 さあ、国へ帰りましょう」



「お断りします」



「わがままを言わないで下さい」



「わがまま?


 弟を売った外道ども。


 その意に逆らうことが『わがまま』なのですか?」



「…………。


 第三種族は、


 王都ではまっとうには生きられません」



「なるほど。


 だから耳を取ったというわけですか。


 戦で失ったというのも、


 嘘だったのですね」



 コジロウは、両耳としっぽ、その全てを、付け根から綺麗に失っていた。



 そして、それ以外には、大した外傷も無い。



 戦場での偶然と言い張るには、いささか不自然だった。



 だが、盲目的だった以前のミツキは、そんなことにすら気付けなかった。



「その頭は、人族のふりをして、


 小銭稼ぎをするための変装だった。


 ずっと、守るべき民を裏切っていた。


 そうですね?」



「……国を守るには、犠牲も必要です」



 コジロウはミツキの問いを、否定しなかった。



 自分たちの行いは、必要悪だ。



 そう考えているようだった。



 月狼族の国は、小さな島国にしては、とても豊かだった。



 それが同族の犠牲の上に、成り立っていたというのなら……。



 ミツキにとっては、唾棄すべき事実でしかなかった。



「びっくりです。


 強欲と無能を棚に上げると、


 そんな言葉が出てくるのですね。


 あなたの身のこなし、


 クラスの力を得ていますね?


 それも、かなりレベルが高い。


 50程度ですか?


 民には穢れた力だと言って、


 下々の力を、抑え込んでいたというわけですか。


 ……けがらわしい」



「姫……。


 どうしても、国に帰ってはいただけませんか?」



「そんなに私の純潔を、


 高く売りつけたいのですか?


 ですが、残念でしたね。


 私はもう、身も心もご主人様の所有物です。


 全て、あの方にさしあげました。


 いえ。貰っていただきました。


 値をつけられる純潔など、


 もうありませんよ」



「…………!」



 ミツキは月狼族の姫だ。



 高い貞操観念を持つように教育されている。



 そんな彼女の思いもよらぬ言葉に、コジロウの顔が驚きに染まった。



 以前のミツキであれば、こんな発言は、顔を真っ赤にしても不可能だったはずだ。



 だが、今のミツキにとっては、どうでも良いことだった。



 全ては些事にすぎない。



「去りなさい。じいや。


 今ならまだ、見逃してあげます」



「…………。


 ご無礼を、お許し下さい」



 コジロウは、素手のまま構えた。



 生娘で無かろうが、ミツキほどの美貌なら、いくらでも使い道は有る。



 そう考えたのだろうか。



 コジロウは、ミツキを組み伏せようと前に出た。



「…………!」



 コジロウの顔が、驚きで満ちた。



 ミツキの小さな手が、彼の腕を掴んでいた。



 そして……。



 何かが砕ける音がした。



「ぐうううっ!?」



 コジロウは、苦悶の声を上げた。



 ミツキの手が、コジロウの腕の骨を、握り砕いていた。



 ミツキのレベルは、コジロウの6倍は有る。



 猛獣と子ウサギほどに、膂力に差が出来ている。



 やろうと思えば、腕を引き千切ることも出来た。



 そうしなかったのは、身内に対し、1片の情が残っていたからだろうか。



「ご主人様の


 奴隷であるこの私に、


 あなた如きが敵うわけが無いでしょう。


 二度と私の前に


 現れないで下さい。


 また、下らない理由で顔を見せれば……


 次は、首の骨を砕きます」



 ミツキはコジロウに背を向けた。



 もう彼に対し、何の興味も無いようだった。



 ミツキは振り返らず、歩き出した。



(もう、帰る場所も無い。


 ご主人様。


 私はいつまでも、あなたの傍に)



 ミツキは強く地面を蹴った。



 ミツキの体が、王都の空へと舞い上がった。



 風圧が、ミツキのフードをめくり上げた。



 長い銀髪が、月のように輝いた。



 コジロウの視界では、真昼の月を追うことは出来なかった。



 ただミツキの姿が消えたようにしか、見えなかった。



 その後、二人が出会うことは、2度と無かった。


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