3の28「去ったモノと失われたモノ」



「急に何っスか?」



「後ろ盾が欲しい。それが本心ですか?」



「長くなるなら、外に行かないっスか?」



 リホはちらりとヨークを見た。



 彼がリホたちのやり取りに、気付いた様子は無かった。



 完全に熟睡しているようだった。



「……ブラッドロードを起こしたくないっス」



「分かりました」



 ミツキは頷くと、ベッドから立ち上がった。



 そして、部屋の出入り口へと向かった。



 リホもすぐあとに続いた。



 二人は寝室を出た。



 廊下を歩き、階段を下り、宿屋を出た。



 そして通りに立った。



 周囲は既に暗い。



 人通りも少なかった。



 だが、無人でもない。



 王都とは、そういう所だ。



 人々は、ミツキたちには関心も持たず、どこかへ歩いていく。



 それぞれが、自身の人生を歩んでいた。



 北の方では、世界樹が、仄かな光を放っていた。



 街灯と、世界樹と、星月の光だけが、二人を照らしていた。



 ミツキとリホは、肩が触れ合うような距離で、じっと立っていた。



 以前のミツキなら、この距離は許さなかっただろう。



 今の彼女は、この立ち位置を、苦に感じていない様子だった。



「話してもらえますか?」



 少しの間を置いて、ミツキは口を開いた。



「……何の話だったっスかね?」



「後ろ盾が欲しいから、


 スカウトを受ける。


 それがあなたの真実なのですか?」



「少なくとも、嘘は言って無いっスよ。


 ウチみたいな弱い存在が、


 一人で生きていくには、


 後ろ盾は必要不可欠。


 今回のことで、


 それがハッキリ分かったっス」



「一人……」



 ミツキは視線を下げた。


 彼女のローブの裾から、つま先がちらりと覗いていた。



「私たちは……三人で歩んでいけると思っていました」



「男一人に女二人なんて、不健康っスよ」



「私は、ただの奴隷です。


 処理にでも使っていただければ、御の字。


 妻には他の誰かがなれば良い。


 ……そう思っていました」



「そうっスか。


 ……悪くないかもしれないっスね。


 そういう爛れた関係も」



「でしたら……」



「ウチは、ブラッドロードを傷つけたっス」



「気にしてはいませんよ。ご主人様は」



「責められた方が、


 マシだって分からないっスか?」



「それは……」



「ブラッドロードは、


 ウチを絶対に見捨てない。


 ウチが弱いから、


 一人で立てないって思ってるから、


 見捨てられないんス。


 ウチが俯いてたら、


 どんな時だって、手をさしのべて、


 おんぶして……」



 その結末として、いくらかの血が流れた。



「だからもう、あの人を頼るは、


 止めにするっス」



「それでも一緒に居て欲しい。


 そう言ったら、迷惑でしょうか?」



「別に、今生の別れじゃ無いっス。


 また、会いに来るっス。


 ウチが自分のこと、


 一人前だって認められるようになったら。


 その時は……対等な友だちとして……。


 …………」



 リホの両目から、涙がこぼれた。



 リホは腕で目を覆った。



 そして歩いた。



「リホさん」



 ミツキはリホを呼び止めた。



 リホは目を覆ったまま、立ち止まった。



 そして、涙声で言った。



「もう……行くっス……。


 ウチの弱っちい声が……


 ブラッドロードに届いてしまうから……。


 荷物……また今度取りに来るっス……」



 リホは跳躍した。



 一跳びで、宿の屋根に飛び乗った。



 驚くべき跳躍力だ。



 リホの肉体は、一人前の冒険者になっていた。



 屋根に跳んだリホは、そのまま走り去っていった。



 泣きながら。



 鳴きながら。



「う……うぁ……。


 ああぁぁああああぁあぁぁぁぁぁ……」



 リホは涙が枯れるまで、王都の空を駆け続けた。




 ……。




 夜が明けた。



 早起きした者たちの喧騒が、ヨークの耳に届く。



 そんな時間になった。



 朝の気配が、ヨークを包みこんだ。



「んん……」



 ヨークはベッドの上で、目を開いた。



 目覚めの時だった。



「おはようございます。ヨーク」



 ミツキは既に、目覚めていたらしい。



 隣のベッドに腰を掛け、新聞に目を通していた。



 ヨークは新聞を読まない。



 だからそれは、ミツキだけの習慣だった。



 ミツキは新聞から視線を外し、ヨークを見た。



 ミツキの表情は、どこか暗かった。



「ん」



 ヨークはミツキの挨拶に短く答え、上体を起こした。



 そして自身も、朝の挨拶をした。



「おはよう。ミツキ」



 それからヨークは、寝室を見回した。



「あれ……? リホは?」



 有るべき姿が、寝室から消えていた。



 ベッドにも作業台にも、リホの姿は見当たらなかった。



「洗面所か?」



「……いいえ」



 ミツキは新聞を畳むと、スキルで『収納』した。



「彼女は、行ってしまいました」



「……そうか」



 ヨークは呟いた。



「居ないのか。


 ……リホは、居ないんだな」



「……はい。


 そのうち荷物を取りに来る。


 そう言っていました」



「……………………」



 ヨークはしばらく黙った。



 そして、どこか遠くを思うような表情で、再び口を開いた。



「居なくなるんだな」



「ヨーク?」



「バジルたちとは、


 ずっと一緒に居るもんだと思ってた。


 16まで一緒に居て、


 だから、それからもずっと……。


 けど、今は同じ王都に居るのに、


 一緒に遊びにも行かねえ。


 リホと一緒なら、


 高い所に行けるかと思った。


 ……けど、終わるんだな」



「あの……」



「何だ?」



「……いえ」



 ミツキは、バジルたちの行方を知っていた。



 だが、それをヨークに伝えることは、何故か出来なかった。



「俺が……。


 …………あいつに刺されたのが、


 悪かったかな」



「そうかもしれません」



「首輪の命令が、


 絶対だってことは知ってた。


 リホが首輪をつけてるのも、分かってた。


 考えられることだった。


 油断した。


 あいつに酷いことをした」



「…………そうですね」



「ちょっとは庇ったらどうだ?」



「庇って欲しいのですか?」



「……べつに」



「でしょうね」



「ミツキ……。


 おまえも……居なくなるのか?」



 ヨークの目が、赤くなっていた。



 けど、泣きはしない。



 涙を零すのは、成人した男のすることでは無い。



 強い男は泣かない。



 ヨークはそう思っていた。



 ミツキは、ベッドから立ち上がった。



 そして、ヨークの隣に腰かけた。



「私は居なくなりませんよ」



 ミツキはそう言って、ヨークの顔を、自分の胸へと引き寄せた。



 ヨークの表情が、周囲からは見えなくなった。



「この命尽きるまで、あなたの隣に居ます。


 私はあなたの……」



 ミツキは少し黙り、言葉を選んだ。



 そしてこう言った。



「第一の友ですから」



「……そうか」



 ヨークは自分の目蓋を、ミツキの着物にぐっと押し付けた。



 柔らかい感触がした。



(俺は……泣いてない)



 そう思い、ヨークはミツキの腰を、強く抱いた。



 ミツキはヨークの体を引いた。



 ヨークたちは、ベッドに倒れ込んだ。



 ミツキのすらりとした脚が、ヨークに絡まった。



 ベッドが軋む音がした。



 その日、二人は宿を出なかった。




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